翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

アキ・カウリスマキ わが道を行く

占い師として四柱推命の命式を見ていると、世の中はなんて個性的な人が多いのだろうと感心します。
しかし、同調性を重んじる日本社会では、意に反して周りに合わせている人もたくさんいるのではないでしょうか。社会生活を送っている以上、ある程度の妥協は必要でしょうが、最終的には、変わり者でいいじゃないかと思います。

私は「変わっている」と言われることがよくあります。けなされているのか、ほめられているのか微妙ですが(発言者の価値観による)、「みんなと同じ」と言われるよりましです。

最新のヒットチャートをチェックするよりも、ボブ・ディランザ・バンドの古い曲を聴くほうを好みます。ハリウッドの話題の新作よりも、フィンランドカウリスマキ監督の作品を繰り返し観ます。

カウリスマキ作品のDVDは手に入れにくいので、近所のレンタルショップで借りています。
レニングラードカウボーイズの「トータル・バラライカ・ショー」を何度も借りています。トータル・バラライカ・ショーはYouTubeでも視聴できますが、カウリスマキの映像を大画面で見たいのです。そのうちレジの人に「これ、先週も借りていますが、大丈夫ですか?」と声をかけられました。

そんなこともあり、近所の店には置いていない作品もあるので、新宿のTSUTAYAまで足を伸ばしました。
監督別のコーナーにカウリスマキ監督を見つけられなかったので店員さんに聞いてみました。
「ここはハリウッド映画です。カウリスマキはあちらの棚です」
カウリスマキのアメリカ嫌いをこの店員さんは知っているのかも。

映画監督だというのに、カウリスマキは世界最大の映画市場であるアメリカを無視し、筋金入りの反米思想の持ち主です。
ニューヨークの映画祭へ招かれたものの、同時に招かれたアッバス・キアロスタミ監督がイラン人だったためビザがおりず、自分もボイコット。
「米国がイラン人に用がないなら、フィンランド人も無用だろう。我々は石油すら持っていない。米国防長官を我が国に招くから、キノコ狩りでもして気を静めてもらいたい。
世界の文化の交歓が妨害されたら何が残る? 武器の交換か?」

アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされても、アメリカのイラク政策に反対して授賞式出席を拒否しています。

今年の1月、ロッテルダム映画祭に招待されたものの、遅刻した上、酔っ払っているし、壇上に用意された椅子ではなく、セットに座り込みタバコを一服(会場は禁煙)。
司会者に質問されても、うつむいたままで質問をはぐらかすという沢尻エリカの上を行くやりたい放題でした。

それでいて来日時には鎌倉まで足を伸ばし、敬愛する小津安二郎のお墓参り。
ドキュメンタリー「小津を語る」では、こんなことを語っています。

「私が11本ものダメな映画を作りましたが、すべてあなた(小津安二郎)のせいです」
「76年、兄にロンドンで強引に見せられたのが『東京物語』です。その時から、私は文学への憧れを捨てて赤いヤカンを探すことにしました」

「赤いヤカン」とは、小津安二郎のカラー映画第一作「彼岸花」で、主人公一家の茶の間に置かれていたもの。カラーフィルムを使うにあたり、ヤカンの赤がどのように映るかを見極め、色彩の基準としました。
日本人の取材者がフィンランドを訪れたとき、カウリスマキ監督が恥ずかしそうに持参したのが、赤いポット。小津監督への敬愛をぜひ日本人に伝えたかったのでしょう。

そして極めつけ。
「私の墓には『生まれてはみたけれど』と刻みます」
「生まれてはみたけれど」は1932年の小津作品です。

たしかに彼は、世界的に誰もが知っている有名な監督とは言いがたいでしょう。日本ではDVDが入手困難で、ファンは苦労します。
でも、カウリスマキ監督が変わり者としての道をまっとうしているからこそ、数は少なくても熱烈な支持者を集めているのです。撮りたくもない作品を撮るよりも、彼にとってずっと幸せなことでしょう。

※追記 その後、カウリスマキ監督のDVDは再発売されました。


カウリスマキ作品を見てヘルシンキはどこか野暮ったい印象があったので「ここなら緊張することもなく気楽に過ごせるだろう」と出かけてみたのですが、実際には洗練された美しい街でした。お洒落な女子向きに北欧雑貨ツアーがあるぐらいですから。カウリスマキ監督は、フィンランド観光局からやんわりと「もう少し撮影場所を考えていただけませんか」とお願いされているそうです。


雑貨屋さんの店先。

映画「かもめ食堂」の舞台となったカフェ。