翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

文化的雪かきの終わり

近所の書店が店を閉めます。NHKのニュースにもなりました。

www3.nhk.or.jp

 

西日本から東京の出て、どこに住むかを考えたとき、候補に挙がったのが中央線沿線でした。編集者やライターも多く住んでいるので、わざわざ出版社まで出向かなくても近所で打ち合わせできるのも大きな魅力でした。

20数年前に引っ越した当時は、書店は5店ほどありました。それが今は1店だけとなり、その店もなくなりつつあります。

雑誌や書籍の仕事をしてきて、自分が関わってきた業界が終焉を迎えるのをひしひしと感じています。夕張炭鉱で働いていた人たちもこんなふうに感じたのでしょうか。

 

村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公は編集プロダクションを経営していて、仕事についてこう説明しています。

「穴を埋める為の文章を提供してるだけのことです。何でもいいんです。字が書いてあればいいんです。でも誰かが書かなくてはならない。で、僕が書いてるんです。雪かきと同じです。文化的雪かき」

私がやっていたことも、同じです。

雑誌の全盛期、「1冊も売れなくても広告収入だけで利益が出るから、とにかく出せばいい」と聞いたことがあります。雑誌として世に出るからには、何か書かれていなくてはいけない。そこに私がせっせと文字を埋めていました。

 

当時の女性誌の花形ジャンルはファッションとコスメでしたが、文章力ではなく美的センスが問われるので私にはとても無理。もっぱらマネーやメディカルを担当していました。無味乾燥になりがちな内容をどれだけおもしろく書くかを工夫するのが好きで、複数の出版社から仕事をもらうようになりました。文学的才能はなくても、文化的雪かきにも向いていたのです。

そのうち、占いの原稿はとても効率がいいことに気が付きました。ロジックがわかれば、長々と取材しなくても原稿が書けます。本格的に学ぼうと都内の占い学校に入り、週4日のペースで通った時期もありました。そのうち有名占い師に信頼されて「よろしく」の一言でどんどん仕事が入ってくるようになったのです。

 

対面鑑定の経験を積むために横浜中華街の占いの館に座ったり、地元のお祭りで占いイベントを開催したこともあります。その縁でウラナイ8にも加えてもらっています。

www.uranai8.jp

 

文化的雪かきの需要はなくなりましたが、占いを通して広がった人間関係は仕事抜きで貴重なものです。

 

 

台北の占い書籍の専門店、進源書局。

 

店主ご夫妻に易の本を贈呈しました。「日本の先生?」と聞かれて気恥ずかしかったのですが、台湾に行くたびに通っていた店に感謝の気持ちを伝えられただけで大感激です。