- 作者: デールカーネギー,Dale Carnegie,山口博
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 1999/10/31
- メディア: 単行本
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ローマの詩人パブリアス・シラスは紀元前100年に「われわれは、自分に関心をよせてくれる人々に関心を寄せる」と書き、デール・カーネギーは、人に好かれる法の第一として「相手に対して誠実な関心をよせること」と説いています。
日本語学校で、同僚の先生から「作文のクラスってすぐ学生と仲良くなれるのね」と言われたことがあります。
それは、学生の作文のネタを探すために「何が好きか」「日本の何に興味があるか」「日本での生活を楽しんでいるか」を常に引き出そうとしているからです。
通常のクラスはレベル別に学生が分けられ、シラバス通りにその日に教える語彙や文型をこなしていかなくてはいけませんから、学生の内面までそうそう踏み込めません。ライティングの時間はあっても、それは文法を定着させるための練習です。
作文は選択クラスなので、授業の進め方を私が決めることができます。
学生の書くモチベーションを高めるのは、教師が学生の書く内容に関心を持つことだという結論に達しました。
以前は、クラス全体でその日の共通のテーマはあるものの、レベルに応じて質問や例文を用意していました。個人別対応に切り替えたのは、兄弟で受講したホセとニコラスのおかげでした。
現在はこの方法をさらに進めて、共通のテーマを前面に出すことをやめました。
私の教えている日本語学校では、毎週のように新しい学生が入り卒業していきます。
留学期間も2週間から半年までと幅広く、書きたいテーマはみんな違います。
だったら、個人に向き合うしかない。授業を回すために編み出した苦肉の策ですが、結果的に学生が「この教師は私に関心を持っている」と感じ、好意を抱いてくれるという思わぬ副産物があり、教師冥利に尽きます。
雑誌や書籍のライターとして何十万部も印刷される活字原稿を書いているのに対し、日本語学校の作文クラスのために用意するメモや質問の読者は一人だけ。
でも、目の前で私の書いた文章を食い入るように読む学生の姿を見ると、たった一人の読者でも十分意味があると励まされます。そして、学生が日本語を書けば、次は私が読者となります。
日本語を専門とする学生を別にすれば、ほとんどの学生は国に帰れば漢字や動詞の活用なんて忘れてしまうでしょう。でも「日本語で自分を表現して、日本人の教師がそれを受け取った」という記憶だけは持ち続けてほしいのです。