翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

聖地の抗争と夜明けのマッドマックス

東京の緊急事態宣言は3月第1週に解除されると思い込み、そして、父親が亡くなるなんて想像もしていませんでした。

そんなわけでJALの「どこかにマイル」に申込んでいました。一足早く春を感じようと九州中心の候補地を選んだら、熊本に決定。

 

私が引きこもっていようと旅に出ようと、大勢に影響なし。 というわけでひっそり出かけてきました。

 

熊本と言えば、サウナーにとって西の聖地「湯らっくす」!

f:id:bob0524:20210317213518j:plain

 

サウナに泊まるのに抵抗もなくなりましたがさすがに連泊はきつそう。初日の到着が午後7時と遅いので、一泊目は水前寺公園前のビジネスホテル、2泊目は湯らっくす、3泊目はドーミーインという日程にしました。

 

湯らっくすの水風呂は圧巻。男性用171cm、女性用153cmの深さですっぽりと阿蘇の天然水につかれます。

そしてサウナ室の一画を仕切ったメディテーションサウナ。テレビの音も入って来ず、フィンランド式のロウリュが楽しめます。

しかし、時間によっては常連さんがおしゃべりに興じています。

2人組が出ていくと、残った一人の女性が私に話しかけてきました。「ここのサウナ、会話禁止なのに気になりません?」

「そうですね、メディテーションサウナなのに、あまり瞑想という雰囲気じゃないですね」と私。

再び2人組が戻ってくると、私に話しかけた女性は「ここは会話禁止です」とおしゃべりを制しました。一見さんの私は抗争に巻き込まれたらどうしようとドキドキしましたが、2人組は素直に謝っていました。

そして、別の時間帯ではその場にいない人の悪口大会が繰り広げられ、おちおちサウナにも入っていられません。

 

エルサレムを巡るイスラエルパレスチナの抗争の火種が尽きないのと同じく、サウナの聖地に平和は訪れないのでしょうか。

やはり泊まりにして正解でした。夜明けの時間帯はサウナも水風呂もほぼ独占状態。昼間は押すのがはばかられた水風呂のマッドマックスボタンも押して、頭から滝のような水をかぶりました。

 

いい水が湧く地にサウナがあれば最高。常連さんの抗争も旅の思い出。全国に点在するサウナの聖地巡礼を考えれば、生きるエネルギーが湧いてきます。

六十四卦の火山旅(かざんりょ)は、物見遊山ではなく旅先の不便や憂いといった意味が込められていますが、東洋占術では同じ場所にとどまって空気がよどんだ状態は凶。旅は日常を見直すきっかけとなります。コロナが収まって、以前のように気軽に旅に出られる状況を心待ちにしています。

 

在野の聖職者

父は介護老人施設で看取ってもらいました。担当のスタッフの方々には本当に頭が下がります。

 

目を真っ赤に泣きはらした若い介護士さん。そんなに涙もろくてはこの仕事は大変なのでは。

そして、看護師さん。

「意識がしっかりしているうちに面会に来られたほうが…」と電話をもらった時は半信半疑でした。12月は元気だったし、緊急事態宣言も出ている中、東京から行っていいものか。

「ご家族に連絡するタイミングはいつも迷います。でも『もっと早く言ってくれたらよかったのに』ということにならないように、こうしてお伝えしているのです」

中には「重要な仕事で多忙なのに呼びつけられた」あるいは「年金のために少しでも長く生かせろ」というクレーマー体質の人もいて気苦労の多いことでしょう。

息を引き取った後は体と顔をきれいに整えて、亡くなるまでの父の様子などを語ってくれました。日本にはチャプレンという職業はありませんが、現場の人たちは聖職者のような働きぶりです。

 

bob0524.hatenablog.com

 

葬儀は母の時と同じ葬儀社に頼みました。

両親ともあまり宗教的ではなかったので、無宗教でもいいかと思ったのですが、母の葬儀で父は僧侶を呼ぶことを希望しました。田舎の親戚から墓やお寺のことで面倒な連絡があるたびに「イスラムスンニ派に改宗する」と言ってた父ですが、葬儀となると保守的な宗教観に立ち戻るのでしょう。

 

お坊さんは葬儀社に紹介してもらったので、母の時と同じお坊さん。葬儀の打ち合わせで昨年の12月に行うはずだった母の三回忌をしていないことを指摘されました。コロナもあってうやむやにしていたのですが、お寺はちゃんと記録をつけているようです。

父の四十九日と同時に行うことができるというのでお願いしました。お布施は割増しになりますが、お車代、御膳代は1回で済みます。

そして、夫婦連名の位牌にして母の戒名だけ入れていたのですが、そこに父の戒名を入れるためには魂抜きの供養が必要とのこと。面倒ですがそこを否定しては宗教が成り立たないので、お願いしました。親切ないいお坊さんですが、営業マンの道を選んでも大成したのでは。

 

ケアマネさんから聞いた話。

信心深いおばあさんが認知症になり、お坊さんへのお布施を菓子折りでいいと思い込むようになった。お坊さんはしょっちゅう呼ばれるけれど、お布施は一切なし。たまりかねて後見人の行政書士に連絡を取り、お布施を銀行振込にしてもらった。記録が残るし、おばあさんの前でお布施を渡すと「お金を渡すなんて失礼」と言い出しかねないから。

 

お坊さんだって霞を食べて生きているわけではありませんし、お寺の維持もありますから現金収入が必要です。しかし、日頃は仏教徒の接点がなく、身内が死んだ時だけ儀式を頼むから葬式仏教だと感じてしまうのでしょう。

 

施設で高齢者を看取る人々。世俗的な計算では報われない職業ですが、徳を積んだことで報われることがあってほしいと祈りたくなりました。

 

f:id:bob0524:20200830194135j:plain

帯広の公園の一画にある小さな教会。聖職者はいませんが、自然に祈りたくなります。

 

父との約束

先週、父が亡くなりました。

昨年12月に会った時は、足腰は弱っていたものの頭はしっかりして冗談も飛び出すほどでした。本人の希望で介護ヘルパーさんを自費でも頼みまくって一人暮らしを続けていたのがとうとう無理になったのが昨年の夏の終わりごろ。施設に入所して一安心と思っていました。

先月から食欲が落ちていると聞いていたのですが、東京も兵庫も緊急事態宣言発令中。3月になったら会いに行こうと思っていたのですが、施設の人から「顔を見ておかないと後悔する」と連絡が入り、信じられない思いで神戸に向かいました。

 

マスク、手袋、防護ガウンを付けて1日10分の面会。延命は望まないと施設に申し出ておいたので、食事も無理強いされなかったようでかなり痩せていました。呼吸も苦しくなっていますが、コロナで病床が逼迫していることもあり、人工呼吸器や栄養点滴のために病院に入ることは断りました。母がパーキンソン病で口から栄養が摂れなくなり胃ろうを設置し、廃人のようになって永らえたことから、人間の尊厳がまったくない最期は選びたくありませんでした。

 

結局、老衰という形で亡くなりました。満88歳ですから、長寿を全うしたと言えるでしょう。

 

それでも、こんなに早く亡くなるとは予期していなかったため、母の時より心が乱れました。もう両親は二人ともいない。「寄る辺なき」という言葉は子どもに使うべきなのに、とうとう私も寄る辺なき身になってしまったと心細くてたまらなくなりました。

 

しかし、感傷にひたっている暇はありません。遺された者がやらなくてはならないことが山積しています。2年前の母の葬儀の経験もあり、同じ葬儀社に頼んで段取りを組みました。

 

父との約束。母がまだ生きていた3年前の夏にこう言われました。

「この家でまともなのはお前一人になってしまった。お前が親の葬儀を二つ出せ」

ろくな親孝行もせず、孫の顔を見せることもできなかったから、せめて最後の約束ぐらいは果たしたい。

 

葬儀の打ち合わせは細かい選択の積み重ねです。祭壇、棺、死装束、遺影。通夜振る舞いや精進落としは、コロナの影響で取り分けではなく個食となったので人数を把握しなくてはいけません。遠方の親戚はコロナを言い訳に出席しなくてすみます。父の仕事関係も葬儀が終わった後に伝えることにしました。

 

身内だけの告別式なので、親族代表のあいさつは省略してもいいと葬儀社の人に言われましたが、それでは父が悲しむだろうという気がしました。生涯、海の仕事をしてきた父ですが、本当になりたかった職業は小説家。言葉遊びや冗談が好きで、故事を持ち出しては人を煙に巻くような人です。そして「本日はお忙しい中、○○の葬儀にご臨席たまわり~」から始まり「これからもご指導たまわりますよう」で終わる定型文の挨拶では満足しないでしょう。

 

岡山に生まれ、東京の商船大学で学び、外国航路の船乗りになった父の経歴、父の父は愛媛の伊予大島出身で村上水軍の末裔であることを紹介しました。

姪は昨年結婚したばかり。スポーツマンタイプの凛々しい新郎も葬儀に駆けつけてくれました。「父は海の仕事、そして最愛の孫娘が結婚した人は空の仕事。すばらしい伴侶を得たことを知り、安心して旅立ったことでしょう」と結婚のお祝いメッセージも込めました。

挨拶の締めくくりはメーテルリンクの『青い鳥』の死者の国から引用。

チルチル  おじいさんたちいつでも眠ってるの?
おじいさん そうだよ。随分よく眠るよ。そして生きてる人たちが思い出してくれて、目がさめるのを待ってるんだよ。生涯をおえて眠るということはよいことだよ。だが、ときどき目がさめるのもなかなか楽しみなものだがね。

若い世代が時々父のことを思い出してくれたら、死者の国で父はさぞかし喜ぶことでしょう。

 

f:id:bob0524:20201203091620j:plain

父の仕事場である神戸港。ここから門司まで外国船を水先案内していました。

価値のない老人としてひっそりと生きる

オリンピックを巡るドタバタを見ていると「ホワイト・エレファント」という言葉を思い出しました。

昔、タイでは白い象は神聖な動物とされ王だけが乗ることができました。しかし、餌代が高いので王は気に入らない家来に白い象を与えます。家来は乗ることができず、餌代だけがかかり、かといって捨てることもできず困り果てます。

 

コロナ禍のオリンピックはまさにホワイト・エレファント。

83歳から84歳への老老交代で日本の旧態依然とした体質が世界に拡散されました。80を過ぎても権力や名誉欲を持ち続けられるなんて、すごいことですが。

 

アメリカだって新大統領のバイデンは78歳。でも、副大統領にカマラ・ハリスを据え、妻のジル・バイデンはファーストレディとなっても教師として働き続けるそうです。

就任式に22歳の女性詩人アマンダ・ゴーマンを選んだのも妻の助言があったから。


Amanda Gorman reads a poem at inauguration

 

 「老害」がキーワードになり、この記事が目に入ってきました。 

blog.tinect.jp

老人が尊敬されるなんて昔話。平均寿命が延びて老人だらけになり、老人固有の知識なんて何の役にも立たない世の中に。そもそも老人に聞かなくても情報は簡単に手に入るし、時代の変化に対応するのは若者のほうが得意。介護なしで生きていけない老人が巷に溢れ財政を圧迫する中で、どうして若者が老人を尊敬できるだろうか、といったことが書かれています。

 

若い人だっていつかは必ず老人になるのだし、若者だって他人事ではないと結ばれていますが、そんな何十年先のことより今の生活を考えるので精一杯という人が大半なのではないでしょうか。

 

6老人と呼ばれる日が着々と近づいている私。誰にも迷惑をかけず、ひっそりと死ねたらいいのですが、うまく行く保証はありません。

少なくとも「老害」と指さされるような事態だけは避けたい。欲張らずひっそりと生き、若者が進む道を邪魔しない老人を目指します。

 

ウラナイ8の玉紀さんが新プロジェクト「ソロ活占い師の仕事術」を始めました。

note.com

玉紀さんが挙げているキーワード。

「自由平等」「自主独立」「共存共栄」「肩書き関係ない交友関係」「未来を拓く」

ソロで活動しながら、出入り自由でゆるやかにつながる。こういう形が求められる時代です。世間を騒がせる老害を反面教師としながら、ひっそり参加します。

 

f:id:bob0524:20191229130109j:plain

長崎の孔子廟孔子が「孝」を説いたのは、介護を経験しなかったからだという説に思わずうなづいてしまいました。昔の老人は寝たきりになる前に寿命を全うすることが多かったのでしょう。

中国政府は当初、コロナのワクチンを接種できるのは18~59歳という年齢制限を設けていました(徐々に高齢者にも広げています)。安全確認のためにさらなる臨床試験を待たなければならないと説明していましたが、社会に貢献しない老人よりも働き盛りを優先したのではないのでしょうか。

選択肢の数と幸不幸『そして、海の泡になる』

今はバブルなんでしょうか?

たしかに株式相場は高値を更新しているけれど、私が体験した1980年代とは雰囲気はまったく異なります。あの頃は社会全体が浮かれていました。

 

そんな思いから手に取った『そして、海の泡になる』。 帯にこうあります。

終戦バブル崩壊、コロナ禍

私たちはまた同じ過ちを繰り返してしまうのか

 

 東洋占術では、十干十二支で60年が一つのサイクル。1929年の世界大恐慌から約60年後にバブルが再び崩壊しました。

しかし、六十干支は資本主義や株式取引以前からあったものですし、そんなに規則的に値が動くなら東洋占術をかじった人はみんな大金持ちになっているのでは。 

昨年春にはコロナによる株式暴落があり、バブル崩壊に匹敵するのかと思いましたがまさかの回復。この2月に暴落するといううわさも流れていますが、それがわかれば苦労しません。

 

『そして、海の泡になる』を読んだことで「目の色を変えて蓄財したところで、それが何になる」というある種の達観を得ました。

 

小説のモデルとなった尾上縫(バブル期に個人市場の最高額の負債を抱えて倒産した相場師の女性)と刑務所で同室となったのが、カルト宗教の信者である両親に育てられた女性という設定です。巨額のマネーゲームと教義に縛られた清貧な生活の対立が鮮やかです。

その宗教は資本主義に背を向けて、教団お墨付きの”浄品”のみを使うように指導されています。ただでさえ所得が高くない信者は、この縛りによりますます貧しい暮らしを強いられます。

女性は同じ境遇の男性と駆け落ちします。熱心な信者である親からは勘当されましたが、自由な生活を手に入れたのです。 

 スーパーの品ぞろえは”浄品”よりもずっと多様ですが、選択肢が多ければ、それだけ迷いも生まれます。俗世には「いい物」がたくさんありますが、何を選んでも「もっといい物」があるような気になってしまうのです。そして「いい物」や「もっといい物」を選ぶためにはお金が必要です。

 私たちは以前なら教団への奉仕活動をしていた時間も働くようになり、自由になるお金は増えました。割高で品質もよくない”浄品”ではない、物やサービスを選ぶことができるようになりました。しかし同時に「欲しいのに買えないものがある」とか「やりたいのにできないことがある」という苦痛を、より多く味わうようになったものです。 

 

シーナ・アイエンガーの『選択の科学』を思い出しました。

この本で印象深かったのは、ベルリンの壁崩壊後の東ドイツ市民。

たとえば、西側社会の豊かさの象徴である炭酸飲料。コカコーラ、ダイエットコーラペプシ、スプライトなど何種類もの炭酸飲料を前に「選択肢が多すぎると選ばされるプレッシャーを感じる」という消費者が続出したのです。

 

選択の自由がある社会はすばらしいようでいて、重圧も伴います。『そして、海の泡になる』にはこんな一節もあります。

 

私にとって自由は必ずしもいいことではありません。だって自由に自分の意思で何かを選んだら、その結果を自分の責任として引き受けなくてはならないから。間違ってしまったらどうしようという心配がいつも付きまといます。誰か自分より間違わなそうな人に全部決めて欲しいと思うことはしょっちゅうです。いえ、私は実際、子供の頃は親と神様に、駆け落ちしてからは彼に、何でも決めてもらおうとしていました。自由から逃げたかったんです。

占い業界に身を置く者としては、「そこで占いですよ」と身を乗り出したくなります。占いは、とりあえず目の前にある選択肢のうちどれを選ぶかのヒントを与えてくれます。多すぎる選択肢を前に途方にくれたら、思考を整理するために使ってみてはどうでしょうか。そして占いの結果は絶対ではなく、強制でもありませんから、最終的に選ぶのはあなた自身です。

 

f:id:bob0524:20200512091038j:plain

コロナのため朝食バイキングをセットメニューに変えたホテル。私はこのほうが楽。バイキングではきれいに盛り付けられませんし、「取り過ぎたかも」「あれも食べたかった」といった迷いが交差してゆっくり味わえません。