翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

カウリスマキ監督の引退

10代の私を導いたのがボブ・ディランなら、中年期はアキ・カウリスマキです。

西洋かぶれでありながら、西洋のコンプレックスもあり、対等の立場で外国人と友達になることなんてあるのだろうかと思ったものです

そんな時、フィンランド人のアキ・カウリスマキ監督の映画『浮き雲』を観て、ヨーロッパにこんな国があったのかと、一気にフィンランドに心ひかれました。
カウリスマキ映画の登場人物は、「美男美女が出ない映画」とも呼ばれていますが、たしかに登場人物はあまりお洒落じゃなくて、寡黙で不器用。
あとでわかったことですが、カウリスマキ小津安二郎の『東京物語』を観て映画監督を志しました。『浮き雲』の登場人物がどこか日本的なのも、小津の影響でしょう。

そのカウリスマキ監督が「映画製作をやめる」と発表しました。
移民をテーマにした三部作を作っていたはずなのに、『ル・アーヴルの靴磨き』に続く二作目の『The Other Side of Hope(英題)』が最後の作品になるそうです。

『ル・アーブルの靴磨き』を吉祥寺の映画館で観た日のことをよく覚えています。
カウリスマキ監督の作品を全部、観なくては」と、レンタルショップに寄って片っ端から借りました。そして、『トータル・バラライカ・ショー』でレニングラードカウボーイズのヨレ・マルヤランタを見つけたのです。
それまでは、音楽映画だし、巨大リーゼントに軍服という奇妙ないでたちから、「これは観なくていい」と敬遠していたのです。

その後はフィンランドとつながりたい一心で、フィンランド語を習いに行き、カウチサーフィンを始め、日本語教師の資格を取り、フィンランド人学生のホームステイを受け入れました。
すべてはカウリスマキから始まったのに、映画製作から引退とは…。

カウリスマキは現在、59歳。引退は、小津安二郎の影響もあるのではないでしょうか。

小津安二郎は1903年12月12日に生まれ、1963年12月12日に亡くなりました。
還暦を迎えた誕生日で人生を全うしています。
小津に心酔しているカウリスマキですから、小津が亡くなった年を越えて映画を撮るのがいやになったのかもしれません。

50代半ばの私にとっては、還暦はすぐそこです。
すぱっと引退できたらいいのですが、今の日本では還暦で仕事をやめるのは贅沢な選択です。
高齢化社会では、60代、70代、へたしたら80代でも総活躍しなくてはいけません。
マラソンのゴールを目指して走って来たのに、ゴール近くまで来たら、「あと10キロ走りなさい」と言われているような状況です。

還暦を過ぎてどう生きるのか、とりあえずカウリスマキはどんな生き方をするのか、興味津々です。


フィンランドのシンボル、ヘルシンキ大聖堂。