澎湖島(ほうことう)という島の名前を初めて聞いたのは何年も前のこと。スポーツクラブの友人のお母さんの生まれ故郷です。日本統治下で生まれ、終戦を迎えて5歳で日本へ引き上げ。メジャーな観光地を巡る台湾旅行に家族旅行した際に「本当に行きたいのは澎湖島」と告げられたそうです。
80代のお母さんが海外旅行に行くのはけっこう大変ですが、悔いのないように友人は連れて行くことを決断。お母さん自身が強く望んでいる体験を実現してあげるなんて、これ以上の親孝行はないでしょう。うらやましがっていたら、同行を誘われました。
話が出たのはスペインの巡礼のずっと前で、出発は11月初め。まだまだ先のことだと思っていたら、あっという間に旅立ちの日を迎えました。
澎湖島には港とビーチがたくさんあります。台北から国内線の飛行機で向かいました。
そして、台湾有数のリゾート地であるとともに、要塞や砲台も点在します。中国本土から海路で台湾に侵攻するなら澎湖島が受容な拠点となるからです。
中国大陸との往来を支えた漁翁島灯台。白く塗られた灯台が青い海に映え、観光客の撮影スポットになっていますが、軍の基地が隣接し撮影禁止箇所もありました。
台湾有事の際には真っ先に中国に攻められそうですが、ガイドさんによると現地の人はそういう危機感はあまり持っていないそうです。
友人が手配してくれた日本人ガイドさんは観光や食事だけでなく、友人のお母さんの戸籍謄本をもとに現住所をつきとめためてくれました。そして、当時そこに住んでいたという女性人に会う手筈も整えてくれました。「この古い住所を知っている人はいませんか」とFacebookに投稿したところ、日本統治下の歴史を研究するグループとつながったそうです。なるほど、SNSはこういう風に活用できるのか。
30年以上前に、似たようなことを試みたのですがこれほどうまくいきませんでした。100年以上前に日本からイギリスに渡った一族のルーツ探しです。
80年前のご近所さんだったという86歳のガオさんのご自宅にお邪魔しました。とてもお元気そうで、自ら椅子やお茶を出してくれました。友人のお母さんの実家はお菓子屋さんでをガオさんの家は写真館。ガオさんは日本人ではありませんが、一家は日本人から写真技術を学んだこともあり大の親日家。皇室のカレンダーがあったのにびっくりしました。日本人より熱烈な皇室ファンかもしれません。
澎湖島を離れたのが5歳の時のため、お互いに面識があったのかどうか今ひとつ確証は持てませんでしたが、話しているうちに3件隣の家だったことが判明。ガオさんは10人きょうだいだったので、よその家の子供と遊ぶことはあまりなかったそうですが、同じ時代に同じ場所で暮らし、たまにはすれ違っていたことはたしかです。
最後は日本の唱歌の数々を2人で合唱。お母さんは感無量だし、ガオさんもとてもうれしそうでした。
一生のうちに会える人は限られているし、再び会えるかどうかは定かではありません。だからこそ、通りすがりの人にも温かい気持ちで接したい。旅に出る旅にそうした思いが強くなり、今回の澎湖島で縁の不思議さを改めて実感しました。