翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

この世はすべてレンタルスペース

エリザベス女王を支えてきたフィリップ殿下が99歳で死去。1947年の結婚当時は、イギリス生まれではなくギリシャの王族で、姉たちはナチス関係者と結婚していたため、かなりの反対の声があったそうです。王族、皇族の結婚に国民が口をはさみたくなるのはどの国も同じなんでしょう。

 

エリザベス女王の名言。

Work is the rent you pay for the room you occupy on earth.

仕事とは、自分が地球上で占めているスペースの賃貸料である。

 

莫大な資産を有するイギリス王室の女王であっても、スペースを借りていると考えていることに驚きました。

 

一人静かなワ―ケーションにこっそり出かけていますが、ホテルが連泊でない場合、チックアウトしてチェックインまでの時間を過ごす場所に悩むことがあります。

 

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熊本の最終日は、空港バスの出発までスターバックスのテラス席で過ごしました。

 

空いているカフェならいいのですが、混雑してくると長居するのがはばかられます。

最近はコワーキングスペースが各地にあり、利用した時間だけ料金を払うドロップインで利用しています。Wi-Fiと電源があり、パソコンが広げられるデスク。ドリンクも飲み放題でカフェより快適です。そんな場所でずっと続けている雑誌連載のため、アメリカのビジネス事情を翻訳していると、自分がどこにいるのかわからなくなります。

 

東京の自宅だって、ローンを完済した、好きな間取りにリノベーションをしたといっても、あの世に持っていけるわけではありませんから借りているようなもの。宗教家は「肉体だって借りもの。寿命が尽きればお返しする」と言います。この世はすべてレンタルスペースだと割り切れば、欲や執着心から解放されるのかもしれません。

仕事に忙殺されていた若い頃は、リタイアしてのんびり暮らしたいと願っていましたが、賃貸料の支払いは一生続けなくてはいけないので、ささやかでも仕事を続けたいと思うようになりました。

どうせ買うなら使用頻度の高い物を

映画『ノマドランド』の影響で、所有物はできるだけ少なくしようと思いました。

しかし、定住生活では、あれこれ必需品を買わないわけにはいきません。

 

以前、風水の大家に取材した時、「数年に一度しか出番のないよそ行きの服やバッグ、宝石を買うより毎日部屋で目にするカーテンを新調するほうがずっといい」という話を聞きました。毎日カーテンを開け閉めするたびに幸せな気持ちになれるからです。

 

その点では昨年買い替えた換気扇(フラット形レンジフード)に大満足です。

なにしろ、掃除をしなくていいのです。

換気扇掃除といえば大掃除の定番ですが、なにかとあわただしい年末には手が回らないことが多く、「暖かくなってからやろう」と先延ばし。毎日、換気扇のスイッチを入れるたびにどんよりした気持ちになるし、家に人を招いてもキッチンには入ってほしくありませんでした。

 

2年前に築20年のマンションのリノベーションを行い間取りを変更し、フローリングや壁紙を新しくしました。

キッチンは特に不満がなかったので手を付けなかったのですが、リノベーション後に換気扇を新しくしました。普通の家電のように店ですぐに買えるわけではなく、店頭で申し込みをして設備業者のアポを取り、実寸を測り見積もり。代金を支払ってから取付工事となります。手間がかかりましたが、それだけの価値があります。

 

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約2か月に一度、洗浄ランプが点灯したら、お湯をセットして自動洗浄。排水はあまり汚れていないので本当にきれいになっているのか半信半疑ですが、そういうものだと割り切って使っています。

説明書によるとファンフィルターの交換は10年に一度とありますが、うちはあまり料理をしないのでもっと持つかも。うまくいけば一生、このままでいけるかも。とにかく、換気扇掃除から解放されたのは大助かりです。

 

ラベンダーの香りとキサー・ゴータミー

父の四十九日法要のために神戸の実家に行くと、仏壇の前の大量の枯れた花が放置されていました。

 

母が亡くなった時は、兄の奥さんができた人で「遺骨を一人ぼっちにするのが忍びない」と四十九日まで自宅で供養してくれました。

父の時は、兄が実家にちょくちょく泊まると言っていたのに。男性だから枯れた花の処分まで気が回らなかったのか、それにしても49日間も放置するなんてあんまりだと思いました。風水では枯れた植物は大凶ですし。

 

私にとっては姪、父にとっては初孫である兄の長女が体調不良のため四十九日法要を欠席すると連絡がありました。もしかしてコロナ?と不安になったのですが、おめでたでした。姪は去年結婚し、コロナで披露宴をせず、姪のご主人とは父の葬儀で初めてお目にかかりました。スポーツマンタイプのきりっとした好青年で、これなら父も安心して旅立っただろうとうれしくなりました。

姪のご主人が長崎に転勤となり、兄夫婦は引越しの手伝いで上京し姪の体調不良でそのまま付き添うことになったと聞きました。

 

死者より生者の都合が優先されるべきだし、父にとっては何よりの供養でしょう。

 

枯れた花を片付け、お線香をあげました。

ウラナイ8の仲間、ユミコさんからいただいたラベンダーの香りのお線香です。香りが立ち昇り、ユミコさんも昨年、お父さんを亡くしたんだと思い出しました。

 

そして、ケネス田中先生の英語で学ぶ仏教講座で取り上げられた「キサー・ゴータミー」まで連想が広がりました。

最愛の息子を亡くしたキサー・ゴータミーは仏陀に子どもを生き返らせる薬を求めます。仏陀は「芥子の種をもらってくればいい」と言いますが、「今まで死者を出したことのない家からもらうこと」と条件を付けます。

町中を探し回り、死者を出したことがない家なんてないことを知り、キサー・ゴータミーは息子の死を受け入れることができました。

 

ユミコさん、そして同じくウラナイ8の仲間のともみんさんもお父さんを亡くしています。どう言っていいのかわからず、ちゃんとしたお悔みも言えませんでした。

介護生活が長かった母の死は受け入れられたけれど、先月まで元気だった父の死は衝撃的でなかなか受け入れられませんでした。でも、こういう思いをするのは私だけでなく、世間に無数にある話です。ラベンダーの香りをかぐたびにキサー・ゴータミーを思い出すでしょう。

  

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富良野のファーム富田。ここのお土産店でもラベンダーのオイルを買いました。

喪失と再生の映画『ノマドランド』

先月亡くなった父の四十九日法要と納骨を済ませました。

こうした儀式は死者のためというより生者のためのものなのかもしれません。時間を区切って、段階的に死を受け入れていくのです。

納骨の日は前日の雨が上がり、ほっとしました。お寺や仏具屋さんの手配の関係で日時を変更できませんから、雨の日に屋外で執り行う式は大変だったでしょう。

 

この日を区切りにする意味もあり、父がお世話になった施設やケアマネージャー、訪問介護訪問看護の事務所にお礼のご挨拶に回りました。介護や医療の仕事は感情労働であり、かなりの精神力を消耗していることでしょう。せめて感謝の言葉で報いたいと思いました。できるだけ長く自宅で過ごしたいという父の希望をかなえられたのもこうした人々の支えがあったからですし。

忙しいところにお邪魔するので短時間に切り上げたつもりでしたが、お世話になった訪問ヘルパーさんに連絡してわざわざ事務所に来ていただいたりして、けっこう時間がかかりました。

 

その日のうちに東京に戻るとかなり遅くなりそうなので神戸でもう一泊することに。父のいない実家には連泊する気がせず、三宮まで出ました。ちょうど観たかった映画『ノマドランド』の夕方の回に間に合いました。

両親が亡くなり、神戸の地との縁も切れ、血縁とも距離を置いて一人で死んでいこうという心境にふさわしい映画です。

 


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アメリカは思い切りのいい国です。ある企業がだめになり工場が閉鎖されると、企業城下町すべてを切り捨てます。電気や水道など公共サービスはもちろん、郵便番号さえも消滅。もともと何もない荒野に工場ができて住民が住み着いてできた町だから消えるしかないのでしょう。

60代女性のファーンは亡き夫がその企業で長年働き、地元に愛着を持って暮らしてきましたが、住み続けるわけにいかず、車に生活道具を積み込み移動生活を始めます。

 

ノマド」というとカフェでキーボードを叩いているようなイメージがあったのですが、元々は遊牧民という意味ですから、車上生活を送りながら仕事のある場所を転々とする人たちもノマドと呼ばれるようです。

クリスマス前はアマゾンの配送センター。春と夏はキャンプ場の清掃員、秋は農作物の収穫、合間にレストラン。

若者にもけっこうきつい肉体労働なのに、よくできるものだと感心。しかもファーンは勤勉で対人スキルにも恵まれ、移動の先々で良好な人間関係を築きます。教養もあり、代用教員を務めたこともあるそうです。

 

これほどの人がどうして車上生活に陥ってしまったのか。

ファーンは「思い出を引きずりすぎた」と回想しています。夫との結婚生活の思い出から離れがたく、衰退する地に留まってしまったからでしょう。住宅を購入し、堅実にローンも返していった。でも老後を迎えると地元はまるごと消滅し、家は無価値に。

映画に登場する女性ノマドの「ずっと働いて子供二人を育て上げたのに年金は月500ドル。暮らせるわけない」という発言がありましたが、小さな政府が好まれるアメリカでは社会保障は最小限なのでしょう。

 

ファーンを演じるフランシス・マクドーマンド。15年ほど前の『ファーゴ』で演じた婦人警官がはまり役でした。狂言誘拐を企てた犯人に「何のためにやったの? ちょっとした金のため? 人生にはそんな金より価値のあるものがある。見てごらんなさい、こんないい天気なのに」と語りかける台詞が忘れられません。極寒のミネソタの人には多少の雪でも「いい天気」なんだとびっくりしたからです。

ノマドランド』も自然描写がすばらしいから映画館で観たほうがいいと言われていますが、ネバダアリゾナの自然は荒々しくて美しいというより畏怖の念を抱きました。

 

印象に残ったシーン。

お湯を沸かして温かいコーヒーをポットに入れ、車上生活者たちに配るファーン。

そして、「タバコある?」と声をかけてきた若者にはタバコだけでなくライターもあげていました。

経済的にぎりぎりの車上生活を送っていても、人のために何かができるというファーンの矜持が伝わってきました。年老いても、こうありたいものです。

 

そして、長年暮らした地を去る時は倉庫を借りて亡夫の服や思い出の食器を預けていたのですが、一年間の旅を終えるとすべて手放す決心をします。旅を通して精神の自由を手に入れ、思い出にしがみつく必要がなくなったのでしょう。

 

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ノマドランド』を観て、神戸レディススパに一泊。ファーンの車中泊に比べたら、レディススパのカプセルは天国のようなもの。

おととしは杏子さんが企画して占い講座を神戸で開催。玉紀さんも合流して、一緒にレディススパに泊まったことを思い出しました。

レディススパ近くの三宮東急ハンズは昨年末に閉店(左手のビル)。道の奥にある生田神社で藤原紀香が挙式した時は、私が働いていた女性週刊誌編集部は大騒ぎでした。今は再婚して幸せになっているでしょうか。

 

母の時にもお世話になったヘルパーさんに「初めてお宅にうかがったのは18年前」と言われ、そんなに長かったのかと自分でもびっくりしました。この18年間続けてきた月1回ペースの神戸帰省ももう終わり。両親を送って自由になった私もガラクタを次々と手放し、軟弱ノマドを目指します。 

 

水風呂と神の臨在

 久しぶりに吉祥寺のスペインレストランに出かけました。

シェフは私と同い年で関西出身。雑誌の取材に行ったのがきっかけで、誕生日や記念日など改まった食事を楽しみたい時はこの店へ行くようになり、もう30年近くになります。

コロナで外食を楽しむのがはばかられ、実家通いも続き、しばらく足が遠のいていまいた。仕事関係でお世話になっている方からプライベートでゆっくり話したいとの要望があり、ランチコースの予約をしました。

 

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冷えた白ワインを飲みたいところですが、ノンアルコールビールにしました。

 

たっぷり食べて話して、気が付いたら3時間近く店にいました。

これまで仕事関係でしか会ったことがない、10歳下の女性と話が弾み、新しい友人ができたようで心が弾みました。歳を重ねるにつれて友人を作るのがむずかしくなりますから。

そしてシェフは昨年の春に脳梗塞となり、しばらく店を閉めていました。不幸中の幸いというか、コロナのため店を閉めても不自然ではなく誰も困らなかったとのことです。

 

3時過ぎに解散して、吉祥寺駅から井の頭線に乗り、高井戸の温泉へ。都内とは思えない野趣あふれる露天風呂。桜の花びらが浮いていました。

 

サウナ、水風呂、外気浴の2セットめ。水風呂から外を見ると、植え込みの緑が目にも鮮やかです。太陽は西に傾く直前、最後の輝きで庭を照らしています。

時の流れで世の中は変わり、人は病んだりこの世を去ったりするけれど、陰陽のサイクルは延々と繰り返される。何の変哲もない風景に神の臨在をありありと感じた一瞬でした。

サウナの熱さと水風呂の冷たさ、外気浴の心地よさにより思考の回線が切れ、感覚だけが巡っていたからでしょう。

 

キリスト教や仏教は書物を開いて講義を聞き、お勉強として学んできましたが、神の存在をリアルに感じることはありませんでした。

 

厳しい修行を通して悟りの境地に達しようなんて思わない凡人ですが、サウナと水風呂でそういう地平があることはぼんやりわかってきました。

 

再び外気浴からサウナ、水風呂へ。すでに日は傾き、樹木からあふれる生命力は感じられず平凡な植え込みでしかありませんでした。サウナの「ととのい」は一期一会。繰り返しを期待してはいけません。