翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

喪失と再生の映画『ノマドランド』

先月亡くなった父の四十九日法要と納骨を済ませました。

こうした儀式は死者のためというより生者のためのものなのかもしれません。時間を区切って、段階的に死を受け入れていくのです。

納骨の日は前日の雨が上がり、ほっとしました。お寺や仏具屋さんの手配の関係で日時を変更できませんから、雨の日に屋外で執り行う式は大変だったでしょう。

 

この日を区切りにする意味もあり、父がお世話になった施設やケアマネージャー、訪問介護訪問看護の事務所にお礼のご挨拶に回りました。介護や医療の仕事は感情労働であり、かなりの精神力を消耗していることでしょう。せめて感謝の言葉で報いたいと思いました。できるだけ長く自宅で過ごしたいという父の希望をかなえられたのもこうした人々の支えがあったからですし。

忙しいところにお邪魔するので短時間に切り上げたつもりでしたが、お世話になった訪問ヘルパーさんに連絡してわざわざ事務所に来ていただいたりして、けっこう時間がかかりました。

 

その日のうちに東京に戻るとかなり遅くなりそうなので神戸でもう一泊することに。父のいない実家には連泊する気がせず、三宮まで出ました。ちょうど観たかった映画『ノマドランド』の夕方の回に間に合いました。

両親が亡くなり、神戸の地との縁も切れ、血縁とも距離を置いて一人で死んでいこうという心境にふさわしい映画です。

 


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アメリカは思い切りのいい国です。ある企業がだめになり工場が閉鎖されると、企業城下町すべてを切り捨てます。電気や水道など公共サービスはもちろん、郵便番号さえも消滅。もともと何もない荒野に工場ができて住民が住み着いてできた町だから消えるしかないのでしょう。

60代女性のファーンは亡き夫がその企業で長年働き、地元に愛着を持って暮らしてきましたが、住み続けるわけにいかず、車に生活道具を積み込み移動生活を始めます。

 

ノマド」というとカフェでキーボードを叩いているようなイメージがあったのですが、元々は遊牧民という意味ですから、車上生活を送りながら仕事のある場所を転々とする人たちもノマドと呼ばれるようです。

クリスマス前はアマゾンの配送センター。春と夏はキャンプ場の清掃員、秋は農作物の収穫、合間にレストラン。

若者にもけっこうきつい肉体労働なのに、よくできるものだと感心。しかもファーンは勤勉で対人スキルにも恵まれ、移動の先々で良好な人間関係を築きます。教養もあり、代用教員を務めたこともあるそうです。

 

これほどの人がどうして車上生活に陥ってしまったのか。

ファーンは「思い出を引きずりすぎた」と回想しています。夫との結婚生活の思い出から離れがたく、衰退する地に留まってしまったからでしょう。住宅を購入し、堅実にローンも返していった。でも老後を迎えると地元はまるごと消滅し、家は無価値に。

映画に登場する女性ノマドの「ずっと働いて子供二人を育て上げたのに年金は月500ドル。暮らせるわけない」という発言がありましたが、小さな政府が好まれるアメリカでは社会保障は最小限なのでしょう。

 

ファーンを演じるフランシス・マクドーマンド。15年ほど前の『ファーゴ』で演じた婦人警官がはまり役でした。狂言誘拐を企てた犯人に「何のためにやったの? ちょっとした金のため? 人生にはそんな金より価値のあるものがある。見てごらんなさい、こんないい天気なのに」と語りかける台詞が忘れられません。極寒のミネソタの人には多少の雪でも「いい天気」なんだとびっくりしたからです。

ノマドランド』も自然描写がすばらしいから映画館で観たほうがいいと言われていますが、ネバダアリゾナの自然は荒々しくて美しいというより畏怖の念を抱きました。

 

印象に残ったシーン。

お湯を沸かして温かいコーヒーをポットに入れ、車上生活者たちに配るファーン。

そして、「タバコある?」と声をかけてきた若者にはタバコだけでなくライターもあげていました。

経済的にぎりぎりの車上生活を送っていても、人のために何かができるというファーンの矜持が伝わってきました。年老いても、こうありたいものです。

 

そして、長年暮らした地を去る時は倉庫を借りて亡夫の服や思い出の食器を預けていたのですが、一年間の旅を終えるとすべて手放す決心をします。旅を通して精神の自由を手に入れ、思い出にしがみつく必要がなくなったのでしょう。

 

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ノマドランド』を観て、神戸レディススパに一泊。ファーンの車中泊に比べたら、レディススパのカプセルは天国のようなもの。

おととしは杏子さんが企画して占い講座を神戸で開催。玉紀さんも合流して、一緒にレディススパに泊まったことを思い出しました。

レディススパ近くの三宮東急ハンズは昨年末に閉店(左手のビル)。道の奥にある生田神社で藤原紀香が挙式した時は、私が働いていた女性週刊誌編集部は大騒ぎでした。今は再婚して幸せになっているでしょうか。

 

母の時にもお世話になったヘルパーさんに「初めてお宅にうかがったのは18年前」と言われ、そんなに長かったのかと自分でもびっくりしました。この18年間続けてきた月1回ペースの神戸帰省ももう終わり。両親を送って自由になった私もガラクタを次々と手放し、軟弱ノマドを目指します。 

 

水風呂と神の臨在

 久しぶりに吉祥寺のスペインレストランに出かけました。

シェフは私と同い年で関西出身。雑誌の取材に行ったのがきっかけで、誕生日や記念日など改まった食事を楽しみたい時はこの店へ行くようになり、もう30年近くになります。

コロナで外食を楽しむのがはばかられ、実家通いも続き、しばらく足が遠のいていまいた。仕事関係でお世話になっている方からプライベートでゆっくり話したいとの要望があり、ランチコースの予約をしました。

 

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冷えた白ワインを飲みたいところですが、ノンアルコールビールにしました。

 

たっぷり食べて話して、気が付いたら3時間近く店にいました。

これまで仕事関係でしか会ったことがない、10歳下の女性と話が弾み、新しい友人ができたようで心が弾みました。歳を重ねるにつれて友人を作るのがむずかしくなりますから。

そしてシェフは昨年の春に脳梗塞となり、しばらく店を閉めていました。不幸中の幸いというか、コロナのため店を閉めても不自然ではなく誰も困らなかったとのことです。

 

3時過ぎに解散して、吉祥寺駅から井の頭線に乗り、高井戸の温泉へ。都内とは思えない野趣あふれる露天風呂。桜の花びらが浮いていました。

 

サウナ、水風呂、外気浴の2セットめ。水風呂から外を見ると、植え込みの緑が目にも鮮やかです。太陽は西に傾く直前、最後の輝きで庭を照らしています。

時の流れで世の中は変わり、人は病んだりこの世を去ったりするけれど、陰陽のサイクルは延々と繰り返される。何の変哲もない風景に神の臨在をありありと感じた一瞬でした。

サウナの熱さと水風呂の冷たさ、外気浴の心地よさにより思考の回線が切れ、感覚だけが巡っていたからでしょう。

 

キリスト教や仏教は書物を開いて講義を聞き、お勉強として学んできましたが、神の存在をリアルに感じることはありませんでした。

 

厳しい修行を通して悟りの境地に達しようなんて思わない凡人ですが、サウナと水風呂でそういう地平があることはぼんやりわかってきました。

 

再び外気浴からサウナ、水風呂へ。すでに日は傾き、樹木からあふれる生命力は感じられず平凡な植え込みでしかありませんでした。サウナの「ととのい」は一期一会。繰り返しを期待してはいけません。

 

四十九日休酒チャレンジ

酒を飲んでばかりの日々。コロナの自粛期間も飲んでやり過ごしました。もしかしてアルコール依存症なのかと怯えていたのですが、2月半ばからぴたりと飲まなくなりました。

 

きっかけは父の死です。

入所している施設の看護師さんから「意識がはっきりしているうちに顔を見にくるように」と連絡があって神戸に駆けつけたものの半信半疑でした。

とりあえず喪服は40年近く前のものが実家にあり、母の葬儀もそれで済ませました。葬儀用の靴とバッグはあえて持参しませんでした。そんな用意をしたら父が本当に死んでしまうと子供じみた迷信のようなものに取り憑かれたから。一時的に危なくなっても、盛り返してあと数年は生きるだろうと信じたかったのです。結局、夫に頼んで宅急便で送ってもらいました。

 

実際に面会して、やっぱりこれは命の火が消えようとしているのかもしれないと実感が湧きました。

その夜からお酒が飲みたくなくなりました。

私がアルコールを飲むのは退屈な現実を忘れてふらふらと漂いたいから。

父の死という想像もしていなかった展開で、アルコールを飲む必要がなくなりました。酔っ払って意識をと飛ばし、酔いが覚めて父の死を再確認するのも耐えられないし。

 

葬儀をお願いしたお坊さんが「死者の魂は四十九日間、この世にいて、それから浄土に行く」という話をしたので、その間ははシラフで過ごすことに決めました。

 

飲まなければ飲まないで過ごせるものです。去年、伊豆のやすらぎの里で一週間過ごした時も、特に飲みたいと思いませんでした。

 

ただ、午前中の調子の悪さはあいかわらず。飲んでいた時はアルコールのせいだと思い込んでいたのですが、子供の頃から朝が苦手の宵っ張りでした。飲んでも飲まなくても朝はだるくてやる気が出ません。

そして夜の家事がはかどりません。アイロンかけなど面倒なことはアルコールで「面倒くさい」という気持ちを吹き飛ばして取りかかっていたのです。

 

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熊本の「湯らっくす」でもサウナの後はオロポで決めました。オロナミンCポカリスエットで割るサウナ―が愛飲するドリンクです。

 

これがないと生きていけないと思い込んでいたことも、なければないで済ませられるものです。お金や物への執着も同じように消すことができればいいのですが。

自作自演の転がる石

先週、ウラナイ8の玉紀さんと杏子さんのオンライン講座「占いをお仕事に!ソロ活占い師の仕事術」が開催されました。

 

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医療系の専門職として働き、3人のお子さんを育てている杏子さんは、まさに「スーパー主婦占い師」。私とはまるで接点のない生き方ですが、占いという共通項があるからいつも話は尽きないのです。

 

そして「ソロ活サイボーグ」の玉紀さん、コロナという逆風をものともせず次から次へと新しい企画を立ち上げています。

 

かのボブ・ディランだって高校の講堂でロックンロールを演奏した時は、校長にマイクをオフにして幕を閉められるという屈辱を味わったし、グリニッジビレッジのクラブに出演を果たしてもレコード会社のオーディションには落ち続けました。

それでもディランは「来たバスにとりあえず乗る」タイプでした。グループを組まないと演奏できないロックに見切りをつけ、ギターさえあれば自分が作った曲を自由に歌えるフォークに活路を見出します。まさにソロ活の自作自演ミュージシャン。

 

代表曲の「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、「いい気になって転がって来てどんな気分だい?」と罵倒するかのようで、「転がってこそ人生、同じところに留まって苔なんか生やしてどうすんの?」というメッセージが伝わってきます。

 

 

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石とか流れとか、メタファーを多用するのも曲と占いの共通点。 

 

ボブ・ディランほどの才能があれば、そういう生き方も可能だと思っていました。でもウラナイ8に参加したことで、ジャンルと規模は違うものの、それぞれのレベルで実行できる気がしてきました。ディランは時代ごとに演奏スタイルを変え、組むミュージシャンも変えてきました。無名時代から一緒にやってきたバンドは結束は固いものの有名になると人間関係が紛糾して解散するものですが、ディランは「今はこういう曲をやりたいのでこのミュージシャンと組む」というゆるいつながりで何十年もやってきています。70年代に乗り降り自由のバスでコンサートキャラバンに出た『ローリング・サンダー・レビュー』、当時は失敗だったと言われましたがようやく時代がディランに追いついてきました。

  

「とりあえず来たバスに乗る」は去年の夏、ウラナイ8の1周年記念イベントで出たキーワード。 bob0524.hatenablog.com

 

この一年、コロナで活動が制限されましたが、孤立感もなく過ごせたのはウラナイ8というバスに乗っていたから。

ウラナイ8で私は最年長ですが、年寄りが嫌われるのは「昔話、自慢、説教」をしてばかりだから。占いという共通のテーマがあれば、そんな話をしている暇はありません。せっかく同じバスに乗ったのですから、なごやかで楽しい乗車時間を過ごしたいものです。

アメリカの毒親『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』

日本では小学校と中学校に子供を通わせるのは親の義務ですが、アメリカでは開拓時代の伝統からか家庭で教育を行うホームスクーリングが認められています。資格試験を受ければ大学進学も可能です。知識も常識もある親の元で学ぶならそれもいいでしょうが、親が偏った思想の持主だったら?

 

モルモン教サバイバリストの両親のもとで生まれ育った女性が大学で学び、自分が育った家庭環境を否定する『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』。 

 

モルモン教キリスト教の一派で カルトとまでは言えないかもしれませんが、この女性の両親はかなり強烈。終末の日に備えて食料や燃料を備蓄し、学校や病院と無縁で7人の子供を育てます。上の子は出生届を出していましたが、5番目、6番目となると誕生日さえも不明です。だからといって子供を放置しているわけではなく、両親が信じる教えに従って厳格に育てられます。毒親といえば毒親ですが、スケールが大きく堂々としています。

 

学校に行ってもいいけれど、父の許しが必要だと母は言います。しかし父の前では「学校に行きたい」というのはいやしい好奇心のような気がしてとても言い出せません。見かねた祖父母が学校に通わせてくれるというのですが、やはり父のことを考えると決心がつきません。子供にとっては家族が全世界の中心ですから、わざわざ親に逆らう気にはなれなかったのでしょう。進学を決めたのは10代後半になってからです。

 

一家は父親の廃品回収やスクラップ、母親の助産婦、ハーブやエッセンシャルオイルによって生計を立てています。交通事故や仕事の事故で大けがや火傷を負うのに誰も死なず、母親の治療で治ってしまう。この一家、子沢山な上に生命力が半端ない。そして知力にも恵まれているのか、7人のうち3人が大学に進学し博士号を取得しています。

あまりの内容にフィクションじゃないかと疑われたそうですが、まさに事実は小説より奇なり。

 

ヒルビリー・エレジー』も一族のうち誰も大学に行ったことがない貧しい家庭から進学し、社会的成功をつかむ話ですが、まだこの一族のほうが想像できます。 

bob0524.hatenablog.com

 

『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』の著者は、ブリガム・ヤング大学に進学し、教授の推薦を受けケンブリッジに留学し、ハーバードで博士号を取得。世界最高峰の教育を受けたわけですが、そうなると両親とは全く別の世界に生きることになります。

この本を出版したことで両者の対立は決定的となり、あれほど連邦政府による管理を忌み嫌っていた両親が娘の書いたものを事実無根とし弁護士を雇って訴訟を起こしたそうです。

そうした結末を知ると、教育の力は偉大だと手放しで絶賛できません。もし大学に行かなければ、母親のように子供をたくさん産み一族で力を合わせて暮らしていたかもしれません。

 

東洋占術の講座で幸福には「成敗」と「禍福」の二種類があると学びました。「成敗」は社会的な名誉、禍福は個人の満足。たとえば『ロミオとジュリエット』は社会的には悲劇ですが、若い二人だけの世界では愛する人と死を選ぶことはこの上ない幸福だったかもしれません。

 

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ハノイ孔子廟。かつての東洋社会では、高等教育を受けられるのは男性だけでした。女性にも教育を受ける権利が与えられたことは喜ばしいことですが、それによって生じた不幸もあるわけで、どの時代も生きていくのは大変です。