日本語学校の作文クラスで教えていると、文章を書くスタイルは人それぞれだと改めて思います。
世界中の言語の中でかなり学びにくいとされる日本語を選んで留学し、わざわざ選択科目で「ライティング」を受講しているのですから、ことばや書くことが好きな学生が集まるはずです。
そういう学生は、一通りの定型作文(自己紹介や日記など)を書いたら、自由に日本語で自己表現を始めます。
方向性を見つけるためヒントとなるような質問を与えれば、作文はどんどん展開していきます。
日本語は初級でも学生はけっこう鋭くて、コピペの質問は上手に避けて、自分だけにしか書けないことを書こうとします。まるでピーマンが嫌いな子供がチャーハンから細かく刻まれたピーマンを除くかのように。
友達同士で受講している学生はお互いの質問を見せ合ったりしているので、手抜きはできません。
『ジョジョの奇妙な冒険』のセリフから『孫子の兵法』まで話をつなげていったドイツ人の学生。一つのテーマだけで書いていると飽きるのか、「ポケモンGoのイベントでミニリュウを100匹ゲットしました」という報告も。
神道の八百万の神もキリスト教文化圏の学生にはおもしろいテーマになります。
その一方で、なかなか文を展開できない学生もいます。
「週末、どこに行きましたか」「何を食べましたか」といった簡単な質問には答えられるけれど、「日本語を勉強して何をしたいですか」に広げると「わかりません」と一言だけ。これは日本語能力というより、表現力の問題だと思います。
母国語で明日の予定は言えても、10年後にどうありたいかを語れない人はたくさんいます。
数週間で帰る短期生は、「日本語で何かを書いた」という体験ができればそれでいいのですが、数カ月の長期生は、もう少し深く日本語で自己表現をしてほしい。
そして、そういう私はどうなんだろう。
ちゃんとした文章を書いているだろうか。締切に間に合わせるために、紋切り型で帳尻を合わせていないだろうか。
人生のストーリーを書けるかどうか、それは本当に自分の人生を生きているかどうかに通じます。そんなことを外国人の学生から学んでします。