翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

選択すべきこと、選択しないでいいこと

映画『大いなる沈黙へ』の余韻が続いています。

日々の家事労働の他に印象に残ったのが、誓願式。
修道生活に入ることを誓う儀式です。映画では二人の修道士が新しくグランド・シャルトルーズ修道院に迎え入れられます。

その時、「やめる自由がある」と言い渡されていました。
そして、新しく入る修道士だけでなく、すでに修行の道にある修道士も、いつでもやめられると言われていました。

修道院には厳格な誓いを立てて入るものかと思っていたので、意外でした。

考えてみたら、当たり前のことです。
自給自足の清貧生活を送り、会話ができるのは日曜の朝食後の散歩の時間だけ。俗世から隔絶され、テレビ、新聞、ネットもない生活です。自分の意に反してこんな生活を強制されたとしたら、修道院ではなく収容所。脱走したくなるでしょう。
でも、神と共に生きることを自ら望んでいるのなら、至福の宗教生活となるでしょう。

現代の日本に生まれた私には、数えられないほどの選択の自由が与えられています。
カトリック修道院の映画も観ることができるし、臨済宗坐禅を学び、浄土真宗のケネス田中先生から仏教英語を教えていただいています。
2年前はルーテル派のフィンランド語教室にも通っていました。
入信を迫られることなく、好きなことを学べるのは本当にすばらしいことです。

宗教だけではありません。
毎日、何を着て何を食べるか。どの映画を観るか、どこに遊びに行くか。次の旅行はどこに行こうか。
フリーランスで働いている私は、生活時間も自由だし、仕事を引き受けるか断るかも自分で選べます。

選択について考える時、シーナ・アイエンガー教授の『選択の科学』はたくさんのヒントを与えてくれました。

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

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アイエンガー教授はインド系アメリカ人二世としてシーク教徒の家庭に生まれました。
シーク教徒にとって何を食べるか、着るか、学ぶか、どこで働くか、だれと結婚するかはすべて宗教の掟と両親の意向によって決められます。
自分で決めることこそが望ましいというアメリカ社会で教育を受けたアイエンガー教授は「選択」をテーマに社会心理学を研究しました。

「多すぎる選択肢」は幸福感をもたらすどころか、かえって不幸をもたらします。
どれを選ぶかを決めるのにエネルギーを要し、選択した後も「これでよかったか」という思いにさいなまれるからです。

グランド・シャルトルーズ修道院の修道士たちが至福に輝いているのは、日常生活でほとんど選択することがないからです。
起床、祈り、ミサ、食事、労働、就寝の時刻はすべて決められています。

曽野綾子の『不在の部屋』は、日本の女子修道院を舞台にした小説ですが、修道女となった主人公が本の修理の担当となります。糊や膠を使うので、その日のうちに済ませたいところがあり、作業終わりのベルが鳴っても、最後の仕上げをしていました。主人公にとっては、できるだけ効率的に修理することが神に仕えることだと考えたのです。
しかし、修練長が「従順」について語るのを聞き、自分は誤っていたと気づきます。

世俗的にも評価される仕事を多くしよう、というのはまだ、神さまよりも自分を重く考えている証拠である。字を書きかけていても、種をまきかけていても、針に糸を通そうとしかけていても、ベルが鳴ったなら、「最初のベルの音(ファースト・サウンド・オブ・ベル)」でやめなければいけない。ペテロとその兄弟のアンデレがガラリヤ湖の畔で主に召された時、二人は網を捨てて、そのまま主に従ったのであった。

信仰に生きる選択をしたからには、日常生活の選択すべてを神に委ねてなければなりません。
俗世に生きる私は、選択すべきこと、選択しないでいいことのバランスを取りながら生きていくのが理想です。
たとえば買い物では洗剤や調味料、牛乳などはブランドを決めてネットスーパーで配達してもらい、野菜などの生鮮食料品は店頭で実物を見ながら選びます。



かつてグランド・シャルトルーズ修道院の修道士たちはリキュールを作っていました。香草、薬草、花、根など130種以上の材料から抽出された成分入りの「長生きの万能薬」。現在は民間企業で製造されていますが、ハーブの秘密の配合は修道士3人のみが知る秘伝だそうです。
写真は飲みやすいほうのシャトリューズ・ジョーヌ。JR新宿駅構内の成城石井で見つけました。