翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

いつだって、いまが一番大変で大切

大学時代の友人が、就活中のお嬢さんから「お母さんは正社員になって、どんな仕事をしていたの?」と聞かれたそうです。私たちが大学を卒業したのは、30年近く前のことです。
「お茶くみとコピー取り、出張費の清算」と答えたら、「え、そんなことをやるだけで正社員だったの?」と絶句されたとのこと。

昔は、特別なスキルがなくても、そこそこまじめなら、正社員になれたのです。

一方、フリーランスのライターという私の仕事。
いまや食べていけない職業の代名詞になったような感がありますが、同世代の正社員と比べて遜色ない収入を得てきました。

駆け出しの頃の仕事の一つは、雑誌の飲食店取材ページ。
ランチタイムが終わった午後2時頃の暇な時間に取材アポを取り、その店の名物料理を作ってもらい店主に取材します。
「そんなグルメブログみたいなので原稿料がもらえていたの?」といまの若者はびっくりするでしょう。
しかも料理の撮影は同行したカメラマンの担当ですから、グルメブログより労力が少なかったかも。

そんなことから、「いまの若者は大変だ」と同情していたのですが、この本を読んで少し考えが変わりました。、

堀井憲一郎氏によれば、いつでも人間は「いまは大変な時代だ」と思って生きていたのです。

 われわれはつねに現在しか生きられない。現在しか見られない。過去を見ているつもりであっても現在の投影でしかなく、特に未来についてなぞ、何も見られないしリアルに想像できない。現在を生きてるということは、現在を生きてるとしか言うべきではなく、そこで、大変な時代だ、と言う必要はない、ということだ。いつだって、いまの状態をそのまま前へ進めようとしたら、大変に決まってる。大変な時代だとおもえることは、きちんと生きてるんだな、という証明でしかないのだ。

たとえば昭和の初めなら、男性は徴兵されて戦地に送られる。女性は徴兵を免れても本土空襲はあるし、戦後は深刻な食料不足になり、夫となる男性は圧倒的に少なく結婚難。

あるいは幕末。武家に生まれたから安泰だと思っていたら、明治維新で一気に失業。慣れない商売に手を出すしかない。
商家だって、時代の流れで消えていく業種もあります。

私の若い頃は、海外に行くのはそれほどむずかしいことではなかったけれど、今ほど簡単ではありませんでした。
大学時代は1ドルがたしか200円ぐらいでした。LCCもなかったから、海外に行くためにがんばってアルバイトしてお金を貯めました。
そして、カウチサーフィンもなかった。若い頃にカウチサーフィンがあれば、どんなによかったか。英語を学ぶモチベーションだって一気に上がっただろうにと思います。
第一、ネットで世界中の情報をこんなに簡単に得られる世の中になるなんて想像していませんでした。

昔と今を比べても、タイムマシンはないのですから、正確な比較はできません。
それに、いつ生まれかは選べないのですから、「昔はよかった」なんてひがまずに、自分の生きる時代を最大限におもしろくする方法を探すのが建設的な生き方だと思います。


今年の1月に酉の方位の吉方取りで甲府に行き、すっかり気に入って春に再訪しました。
甲府駅のすぐそばにあるワイナリー、サドヤにはホスピタリティあふれる素敵なレストランがあり、地下セラーも見学できます。
江戸時代、サドヤは油屋「佐渡屋」でした。電灯の普及により、油の商売は先がないと経営者が判断して、洋酒を扱うことにしたからこそ、ビジネスは今も続いているのです。


NHK朝の連続ドラマの「花子とアン」が甲府を舞台にしていることから、「赤毛のアン」のラベルのワインも販売中。