翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

やってみたからわかったことだってある

4年前の夏に我が家にホームステイしたフィンランド人のヘンリク君がこの秋から京都工芸繊維大学に交換留学すると知り、日本で一緒に見た映画『かもめ食堂』を思い出しました。ヘルシンキの日本語教室ではよく話題に出るそうです。

 


映画 『かもめ食堂』 予告編

 

 ヘルシンキ日本食の食堂を開いたサチエ。フィンランド人は店の中を覗くものの、客足はさっぱり。サチエの家に居候させてもらっているミドリは、なんとかしなくてはと知恵を絞ります。

「おにぎりは梅、鮭、おかかに限る」と考えるサチエに「コンビニで、ツナマヨとか新しいおにぎりが人気だから」とトナカイ、ニシン、ザリガニのおにぎりを提案。いずれもフィンランド料理の食材です。

 

市場で食材を買ってご飯を炊き、試食。実際に食べてみると、おいしくない。とても食堂では出せません。

恐縮するミドリにサチエは「やってみたからわかったことだってある」と言います。

 

サチエのおにぎりのポリシーと同じように、人にはどうしても変えられない向き・不向きがあります。

わざわざ向いていないことに挑んで消耗するのはエネルギーの無駄。そのためにも自分の性質をよく知っておくべきで、占いを活用するのも一つの手段です。

 

かっちりした組織で働くのが苦手な私は、会社勤めは切り上げ、30代からフリーランスで働いてきました。

しかし、何を血迷ったのか、副業で日本語教師になってしまいました。外国人との交流が得意だから、日本語教師に向いているという思い込みが選択を誤らせたのです。そもそも学校が大嫌いだったのに、教師になんて向いているわけがなかったのに。

 

実際に教えていた3年間に加え、日本語教師の養成講座の費用と労力。3年で辞めたことを告げると「なんてもったいない!」と言う人もいました。

 

いや、ぜんぜんもったいなくないから。

日本語教師にならずに年老いたら「やればよかった」と悔やんでいたことでしょう。「やってみたからわかったこと」は、教師と学生ではなくフラットな関係で外国人と関わりたいという希望です。

  

「結婚や子育てはコスパが悪い」と言われますが、だったら一番コスパのいい生き方はすぐ死ぬことではないでしょうか。

かもめ食堂フィンランドおにぎりは不発に終わりましたが、カリフォルニアロールは世界を席巻しています。とりあえずやってみることで、やめる決断をしてもいいし、続行してもいい。人生が広がり、次の一手を打つことができます。

 

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かもめ食堂」の舞台となったのは、カハヴィラ・スオミというレストラン。フィンランド語でフィンランドは「スオミ」です。

銀の匙と、さつま白波

今月から活動を始めたウラナイ8のサイトでは、7人のメンバーが日替わりでデイリーメッセージを書いています。

私の担当は土曜日で、先週は日本中を騒がせた「あおり男」について書きました。東洋占術では、資産を次世代に継承させて家系を発展させるのが最大の吉とされていますが、「あおり男」は親からマンション一棟を相続したため人生を誤ったのではないかという内容。

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高齢化社会を迎える日本の先行きに不安が広がり、資産を増やすことに熱心な人が目立ちますが、増やしたお金は自分の代で使い切るか、次世代に遺すべきか。

 

ビル・ゲイツウォーレン・バフェットジャッキー・チェン、そして時代をさかのぼって鉄鋼王のアンドリュー・カーネギー

彼らに共通するのは、子どもに多額の遺産を遺さないこと。慈善基金団体を設立し、そこに大半のお金を遺すのです。もちろん、子供を無一文で社会に出すのではなく、一流の教育を受けるための支援はします。

「お金がありすぎても、なさすぎても子どものためにならない」とバフェット氏。さすが、投資の神様はお金を巡る人間心理に通じています。

 

ただし、今の日本の問題は、お金がなさすぎて高等教育をあきらめてしまう若者が多いこと。経済成長の時代に育った50代の私は今の若者に申し訳ない気持ちになります。

 

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 6月の鹿児島旅行で訪れた枕崎。

呑んべの私は薩摩酒造の明治蔵が気に入りました。ランチタイムぎりぎりに入店したレストランを始め、案内や試飲コーナーのスタッフはみんな感じがよく、すばらしい社風が伝わってきました。

 

会社の歴史を検索すると、薩摩酒造は本坊一族のファミリービジネスから始まり、現在の社長も本坊姓。代々、社長職は本坊家で受け継がれているようです。

 

元社長の本坊豊吉氏のインタビューも興味深く読みました。「さつま白波」の東京進出を果たし、全国的な焼酎ブームを牽引した人物です。

1905年鹿児島生まれ、10人兄弟の9番目の六男。慶応大学卒業後上海に渡り複数の会社を起業。戦後は鹿児島に戻り家業の焼酎造りへ。薩摩酒造を全国メーカーに育てただけでなく、70歳を過ぎてブラジルで蒸留酒造り、80歳を過ぎてアメリカでワイン造りに挑戦したというのです。「海外での酒造りという夢を追いかけるのに夢中で老ける暇もなかった」というのが本人の弁。

なんとすばらしい!

同族経営は、骨肉の争いに発展しがちなのに、薩摩酒造ではそんなことは一切ないそうです。家訓は「質素倹約」。代々の社長になっても散財はせず、一族の利益より従業員や地域を優先。

なるほど、こういう一族なら、銀の匙もぴかぴかに磨かれ次世代へ受け継ぐことが可能なんでしょう。こんなことができる一族はめったにいないからこそ、薩摩酒造の存在は貴重です。

本坊豊吉氏のおかげで、東京のスーパーの棚にも「さつま白波」が並んでいます。一族の運気にあやかろうと、もっぱら「さつま白波」を飲んでいます。

 

 

いつも心に「次の旅」を

時間ができたのをいいことに、しょっちゅう旅しています。

 

できるだけ多く旅するために、必要以上のお金を使わないようにこころがけています。国内の旅は近場を除いてほとんどJALの「どこかにマイル」。そして、高額の入場料が必要な観光スポットはなるべく避け、地元の人でにぎわう居酒屋や銭湯を探訪。

 

こうした旅のスタイルについては、フィンランド人のマイヤちゃんとユハナ君から学びました。

 

bob0524.hatenablog.com

 

もう一つの教えは旅先でお土産を買わないこと。アメリカ人のマイケルの教えです。旅先の衝動買いは失敗の確率が高いし、旅に出るたびにおみやげを配っていたら、きりがありません。

 

bob0524.hatenablog.com

 

人生は旅のようなもの。観光スポット巡りやお土産にわずらわされることなく、日常生活の延長として旅を楽しんでいます。

その結果、旅によって人生が好転しました。

東洋占術では、停滞を凶とします。家にばかり閉じこもっていないで、外に出ましょう。遠くに行かなくても、生活圏から離れるだけで、人生に新しい風を呼び込むことができます。

 

そして、本当に運気が低迷している人は旅なんてしません。旅に出るためにはある程度の気力が必要ですから。「次はどこへ行こうか、何をしようか」と計画できるのであれば、運気はそれほど落ちないはずです。

そして、同じ旅するのなら、運気が上がる旅を。そんな思いで、深瀬まる先生と講座を企画しました。

 

uranai8.jp

 

九星気学の吉方取りは自ら動く開運法ですが、海外の方位には諸説あります。地図は四角いものだけで、海外旅行なんて視野になかった時代の開運法ですから。たとえば東を目指してひたすら旅して世界一周したら、再び日本に戻ってきます。この場合、東の方位に行ったといえるのか。正方位、磁北と真北のずれとか細部にこだわって「完璧な吉方位が巡ってこないから」とひきこもっているより、行きたい場所にさっさと動いたほうが、運気の歯車は回転していきます。

 

振り返ってみると、私の人生は旅によって展開していました。窮屈な日本に嫌気がさしてアメリカに行ったことで伴侶を、アイルランドに行ったことで仕事を、フィンランドに行ったことで生きがいを得ました。次は南米への旅を夢見ています。

 

ゆくゆくはウラナイ8で旅行企画も実現したい。一人旅だとどうしても割高になってしまうので、現地集合・解散で食事や宿泊だけともにするようなゆるい計画です。

 

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 いつも心の中に「次の旅」があるから、今日を生きていけます。

誰でもすべり落ちてしまう 映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』

月800円でネットフリックスに加入してテレビ視聴がぐっと減りました。

おしきせで与えられるものより、自分で選んで観たい。そして、わざわざ映画館に出向いて観るのはおっくうだけど、気になっている映画が観られるのがうれしいところ。

 

わたしは、ダニエル・ブレイク』もその一つです。

 


「わたしは、ダニエル・ブレイク」予告編

 

 途中で観るのが苦しくなってきました。

舞台はイギリスのニュー・キャッスル。59歳の熟練した大工のダニエル・ブレイクは、心臓発作を起こし医師から仕事を止められます。

落ち目になったとはいえイギリスは「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家。右翼が目の敵にする移民ではなく、ダニエル・ブレイクは生粋のイギリス人ですし、これまでちゃんと税金を払ってきました。だから雇用支援手当が出たのですが、継続手続きでダニエルは致命的なミスを犯します。

審査を担当するのは、外注されたアメリカの会社。医療と関係ない質問が延々と続くのにいらだったダニエルは反抗的な態度をとってしまい、支援は打ち切られることに。

 

ダニエルは抗議の電話をかけますが、たらいまわしにされて延々と待たされるばかり。電話料金がかさむ一方です。制度上「就労可能」と診断されたので、求職者手当の申請のために職業安定所に行くと、受付はオンラインのみ。大工仕事は得意でもパソコンも持っていないダニエルはお手上げです。

 

この映画が公開された時、イギリス国内では「国の恥だ」という批判の声も上がったそうです。でも、こういうことは日本でも起きているのではないでしょうか。

昨年、母が死去して手続きのために役所や金融機関を回ったのですが、手続きの煩雑なことと言ったら…。数年間、母の後見人になりましたが、法務局や裁判所で話される日本語が理解できないことがしょっちゅうでした。作家の橘玲の「年金や生活保護などの行政サービスの社会システムは『みんなが偏差値60程度の認知能力を持っている』ことを前提としてつくられている」という発言を読みましたが、ずっと税金を払ってきても、高齢になって認知能力が衰えて行政に助けてもらおうとすると大きな壁が立ちふさがるのです。

 

ヒルベリー・エレジー』はアメリカの貧困家庭から上流へと這い上がっていくという、めったにないサクセス・ストーリー。その逆、中流から下流、さらに下へと簡単にすべり落ちてしまうケースのほうが圧倒的に多いでしょう。

  
bob0524.hatenablog.com

 

この映画で救われたのは、ダニエルが自分より困難な状況にあるケイティに手を差し伸べるところ。ケイティは物価の高いロンドンで暮らすのはむずかしいと幼い子供二人をかかえてニューキャッスルに引っ越してきたシングルマザーです。ケイティ一家に割り当てられたぼろぼろの家を得意の大工仕事で修繕するダニエルに人間の尊厳がよみがえってきます。

そして、ダニエルがぎりぎりまで追いつめられ家財道具を売り払った自宅にとじこもっていると、ケイティの娘は「私たちにも、あなたを助けさせて!」と声をかけます。

 

誰でも生活苦にすべり落ちてしまう可能性があるから、精一杯お金を貯めるのも大切ですが、それ以上に、いざという時に手を貸してくれるネットワークが必要です。まるまる面倒をみてもらうのではなく、行政や支援団体へ橋渡しをしてくれる人がいるだけでもずいぶんちがってきます。高島忠夫一家は介護保険を使わなかったために財産を使い果たしてしまったと報じられています。

   

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 仏教の「一切皆苦」をケネス田中先生はよく"Life is a bumpy road(人生はでこぼこ道)"とおっしゃいます。"Life is a roller coaster"という言い方もされますが、日本ではジェットスター。遊園地なら、一気に下がっても上に上がれますが、下がりっぱなしになるのが人生のおそろしいところ。

北九州のスペースワールドのジェットコースターは2017年末の閉園後、どうなっているのでしょうか。

ディラン先生からケネス先生へ

NHKのETV「こころの時代」にケネス田中先生が登場しました。8月11日に再放送があり、ようやく観ることができました。

 

www4.nhk.or.jp

 

ケネス田中先生は1947年、山口県生まれ。10歳の時に家族でサンフランシスコに移住しました。

日本とはまったく異なるアメリカ社会では苦難の連続。お母さんがハワイ生まれの日系二世とはいえ、ケネス先生自身は英語がしゃべれず、周囲で何が起こっているのかまったくわからない状況が続いたそうです。経済的な困窮に加え、両親の不和もケネス少年を悩ませました。

 

アメリカでは宗教を持たないといけない」と言われ、最初に行ったのがキリスト教の教会。

「神がすべてを作った」という教えにケネス少年は納得できません。

アメリカでの生活に苦しみ、「神が全知全能なら、なぜこんな問題だらけの現実があるのだろう」と疑問を感じたからです。

その後、13歳で仏教に出会います。一切皆苦という仏教の教えに、ようやく光明を見出しました。

しかし、1960年代初めアメリカで仏教は「おへそをながめながら瞑想するアジアのカルト」にしかすぎませんでした。仏教に心惹かれながらも、"I'm a Buddhist"とはとても公言できる状況ではなかったそうです。

 

そしてアメリカはベトナム戦争に突入。ケネス先生はカリフォルニア州立大学経営学を学び、将校養成プログラムの奨学金を得る予定でした。当時は徴兵制度があり、どうせ軍に入るなら、奨学金を得たほうがいいと考えたからです。

しかし、仏教の教えと入隊は矛盾します。

八正道の一つ、Right Conduct(正業)では、人を殺すことを禁じていますから、仏教徒は戦士になれません。

 

NHKの番組では、1967年のワシントン反戦集会が流れます。バックミュージックはジョーン・バエズが歌う『風に吹かれて』。

 

ここで、かちっと何かがつながる音がしました。

私の人生の師は、ボブ・ディラン

 

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ディラン先生は1941年生まれで、ケネス先生より6つ年上ですが、同世代と言えるでしょう。

ディラン先生の教えを直接受けることはできなくても、ケネス先生がいる。そんな思いに満たされ、残された人生の指針が得られました。

 

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バンコクのワット・ポー(涅槃仏寺)には巨大な涅槃仏が鎮座し、足の裏まで彫刻がほどこされています。

 

去年と今年、バンコクを続けて訪れたのは、ケネス田中先生が仏教修行した地だからです。ほんの一日だけ、ヴィッパサナー瞑想教室に行きましたが、何度も思い返すほど深い体験でした。

 

bob0524.hatenablog.com