翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

「働きたい欲」をいつまで持ち続けるか

 50代も半ばも過ぎて、そろそろ静かに暮らしたいと願っているのですが、超高齢化社会を迎える日本では、そんなのんきなことも言ってられないようです。

 

それよりもまず、私自身の欲の強さ。

「何者かになりたい」という欲が強すぎるのです。

 

毎日新聞の人生相談で、32歳の専業主婦が「いろいろなことをしたいが一歩が踏み出せない」という悩みを寄せました。

回答者の光浦靖子は、「働きたい、なにかしたいというのは当たり前の欲」だといいます。そして、「手芸をするか、なにかモノを作っていると、なんだか正しいことをしているような、罪滅ぼしのような、心が安定する」とのこと。

 

なるほど。そういう手作業が好きな人なら、有効でしょう。

だけど私の欲は承認欲求を伴うから面倒です。人から顧みられなくても、満ち足りてくらすためにはどうしたらいいか。

6年前にphaさんのトークショーに行ったのも、そのヒントがあるんじゃないかと思ったからです。

当時、ニートと名乗っていたphaさんですが、著者を次々と出しシェアハウスの活動も行って、今は元ニートとなっています。

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結局、私は何かやり続けなくてはいけないんだと割り切りました。 

日本語教師という厄介な仕事を新たに始めたのも、外国人が好きという軽薄な動機に加ええて、本業の文筆業が衰退産業で、このままでは仕事で自分が社会から承認されなくなるという恐れがあったから。

 

そのうち体力も気力も衰えてきたら、「働きたい欲」もなくなっていくのでしょうか。

 

高齢者の施設で嫌われるのは、現役自慢をする人だそうです。

働けなくなったから、過去の働きぶりに執着するなんて、なんと厄介なことか。

何もしなくても、心安らかに平和に暮らしたい。そうした道を探ることが、これからの人生のテーマです。

  

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 釜山のお寺の門前で眠る犬。

 

達成感がなくても旅を楽しみたい

釜山旅行を満喫できたのは、日本語学校の韓国人学生のパク君のおかげです。釜山のおいしい店を聞いたら、日本語で詳細なメールを送ってくれました。

 

候補の4店のうち、2店に行ってみました。

到着日は、冷麺の店へ。釜山の駅前なので、簡単に見つけることができました。

2日目は鰻や穴子をさばいてその場で焼いてくれる店へ。「市場の入り組んだところにあって、見つけるのがむずかしいかもしれません」とパク君。

日本語の口コミサイトのリンクも貼り付けてくれたので、市場で写真を見せて道を聞きました。さすがに同業店では「そこよりうちがおいしいよ」と教えてくれないので、食堂ではなく雑貨店で聞くと、わざわざ店の前まで案内してくれました。

 

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時刻は午後3時近く。ランチタイムが終了して閉店かと思ったら店のおばさんは奥で昼寝していました。

韓国の店らしく、次々とテーブルに前菜が並べられます。そのうち、さばいたばかりの穴子が運ばれてきました。焼き肉店のように、テーブルにコンロがセットされていて、前菜のタコの刺身の残ったのを焼き、穴子も直火で焼いていきます。

 

店のおばさんは英語も日本語もできないので、通訳機を使って「私は日本語の先生です。韓国人の学生がこの店を教えてくれました」と伝えました。店を紹介する日本語サイトも見せて、おばさんは感無量のようすでした。

 

旅先では、非日常の空間に身を置いて、予定に追われることなくゆったりと過ごしたいものです。

でも、貧乏性の私はまだまだ無理。「今日はこれをした、明日はこれをする」という達成感がほしいのです。

 

今回はパク君のおかげで釜山を満喫できましたが、旅(人生)の達人なら、計画もなくふらりと訪れただけでも楽しめるのでしょう。初回は欲張りましたが、釜山も二回目からは新たな楽しみ方が見つかるかも。

 

年を重ねるにつれて、行動力が衰え、できることが少なくなっていきます。あれもこれもしたいではなく、単にそこにいるだけで満足できるようになりたいものです。

 

自分をアウェイ状態に置く

2泊3日で釜山に行ってきました。

 

長期休暇を取って海外旅行ばかりしていたのですが、日本語教師の仕事を始めてからは、国内旅行にシフト。長い休みが取りにくいし、教室で外国人に囲まれているのですから、わざわざ海外に行くこともないと思ったからです。

 

日本語学校の教室では私が唯一の日本語ネイティブ。

絶対君主として君臨しているような状態で、「こんな簡単なことばも覚えていないのか」「どうしてこんなまちがいを繰り返すんだろう」と傲慢になりがちです。

 

外国語の習得がいかに大変で、言葉が通じない国にいるとどれだけ心細いか。

そうしたアウェイ状態を体験するために、定期的に海外に行くべきだと思います。

 

日本から一番近い国と言えば韓国。

JALで平日の木曜出発を選べば、片道1万3000円。北海道や沖縄より安い値段で海外に行けます。しかも東京駅から成田は格安バスで1000円。羽田より安い。

 

そんなわけで釜山にひとっ飛び。

 

人と人の相性があるように、人と土地にも相性があります。

釜山と私の相性は最高。ソウルほどの大都市ではないし、港町の開放的な気質なのか、旅人にはとても親切です。

 

たとえば、空港からのリムジンバス。

海雲台のホテルを予約していたので、釜山駅へのバスをやりすごそうとしたら、運転手さんがわざわざ「このバスに乗らなくていいの?」と聞いてくれます。

そして海雲台行きのバスに乗り込むと運転手さんは「どこで降りる?」と確認し、ホテル前の停留所を知らせてくれます。

 

なんてサービスのいいバス会社なんだと感動しましたが、釜山自体がホスピタリティーあふれる街でした。大きな港があり、外から来る人をおおらかに迎える土地柄なんでしょう。何度「カムサハムニダ(ありがとう)」を言ったことか。

 

アウェイ状態を体験したくて行ったのに、東京にいるより楽しい3日間でした。

 

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ホテルの窓から海が見えました。

人生には折々にタイミングがある

介護帰省で実家に戻り、本棚でラッセル・ベイカーの『グローイング・アップ』を見つけました。

著者は1925年生まれのニューヨーク・タイムズのコラムニスト。本の奥付を見ると1986年刊。

30年以上も前、 外国かぶれだった私が手当たり次第に買ってそのままにしていた本です。

 

エリートの自伝かと思いきや、大恐慌の時代に懸命に生きた家族の物語で、一気に読了。若い時より、50代になって外国人相手とはいえ、思いがけず教師になった今こそ読むべき本でした。

 

ラッセル・ベイカーの母親は向上心が強く大学に進学しますが、父の死によって学業を続けることができず、若気の至りでハンサムな石工とでき婚。

教養や教育なんて価値がないという姑と対立しながら、ヴァージニアの田舎で子供を育てます。

1920年代初頭の家事はけっこう大変です。

電気、ガス、水道もなく、丘のふもとの泉から生活用水を運ぶ毎日。湯をわかすのは薪ストーブ。料理は飼育した鶏を絞めて羽根をむしるところから。畑でとれた野菜は瓶詰にします。洗濯物はタライで煮て、洗濯板でこすり、手でしぼります。

そんな重労働の日々の心の支えは、長男のラッセルが立派に成長し、一角の人物になること。日本人顔負けの教育ママとして学校の宿題も全部見ます。

遠縁に新聞記者として成功した人がいたことから、ラッセルの母親も息子の文才を育てようとしますが、大恐慌の時代は食べるだけで精一杯。夫に先立たれ、経済的に行き詰った一家は食料の配給を受けることを余儀なくされます。

 

グレープフルーツジュースやコーン・ミール、米やプルーンを無料でもらい、ワゴンに詰め込んで家路につく親子。

政府の施しを受けることは自力で暮らしていけない怠け者だと教え込まれていた長男のラッセルは「我が家はここまで落ちぶれたのか」と衝撃を受けます。そして、近所の人に食料品が見えないように「ワゴンを押していると暑くなった」とセーターを脱ぎ、ワゴンにかぶせます。寒い日でしたが、母も「ほんとに暑いわね」と上着を脱いで食料品の上にかぶせます。

幼い妹だけが、意味が分からず「私は暑くない、寒い」とコートを脱ぎません。

 

そんな環境の中で勉学に励み、高校3年になったラッセルは、フリーグル先生が英語の担任だと知りがっかりします。指導力に欠ける退屈な教師という悪評の先生だからです。

ある日、自由エッセイが宿題となり、学校で習った正式な作文法ではなく思いのままに書いて提出。落第点をもらうかもしれないと観念していたところ、みんなの作文は返されたのに自分のだけ返ってきません。てっきり呼び出されて注意されるのかと思っていたら、みんなの前で先生はラッセルの作文を読み上げます。

 

タイトルは「スパゲッティのおいしい食べ方」。

当時のアメリカではスパゲッティはエキゾチックな食べ物で、同居していた叔父、叔母も交えてスパゲッティをおいしく食べる方法を笑いながら口論したという内容です。

後にニューヨーク・タイムズのコラムニストとなるほどですから、ラッセル・ベーカーには生まれつきの文才があったのでしょう。クラス全員が先生の朗読に真剣に耳を傾け、誰かが笑い、続いて全員が心から楽しそうに笑い出します。

 

私は天職を見つけた。学校に通いはじめてから、これほど幸福だった時はない。さらに読み終わったフリーグル先生の言葉によって、私の幸福感は、決定的なものとなった。

「さて、みなさん、これこそエッセイです。わかりますか。これが、エッセイの神髄です。おめでとう、ベイカー君」

 

教師の一言が、学生の人生を変えることがある。

いつか私の日本語作文教室からも、作家が出るかもしれないという妄想を抱きながら、学生にかける言葉を慎重に選びたいと思いました。

 

そして、この本が30年間にわたって実家で積読だったのは、読むべき時を待っていたからだったのでしょう。

 

私が愛してやまないボブ・ディランは「歌が下手」「声が変」「歌詞が難解」と、なかなか理解されないことが多いのですが、それはディランが次々とスタイルを変えるから。みうらじゅんは、自分の年と同じ年のディランの曲を聴くことを提唱しています。

ディランのこの曲が好きと思いつつ、今の自分の年にディランは何をやっていたのかが、人生の指針となっています。

 

本も曲も、読むべき、聴くべきタイミングがあります。それがぴたりと合えば一生の宝物となります。

 

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松江のラフカディオ・ハーン小泉八雲)旧居。

ハーンも、英語の教師として教壇に立ち、「これはこうだ、あれはああだと機械的に教えるのではなく、想像力を伴わなければ意味がない」という教育方針で創意あふれる授業をしたそうです。

ハーンもしかるべきタイミングに動き続けた人だと思います。

 

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人は二度死ぬ。「第一の死」と「第二の死」

映画『リメンバー・ミー』を観ました。

 

日本公開からけっこう時間がたっているのですが、連休中、新宿の映画館は満員。吉祥寺なら空きがありました。

 

この映画を見たいと思ったのは、日本語学校の作文クラスでメキシコ人学生が「死者の日」について書くことが多いからです。

 

死んだ人が現世に戻ってくるのが「死者の日」です。

各家庭では祭壇を設け、故人の写真を飾り、故人が好きだった食べ物やお酒をお供えします。日本のお盆みたいです。

そして「死者の日」に欠かせないのが陽気なガイコツ。「メキシコで『死』はこわくない。死を笑うんだ」と、メキシコ人のある学生は書きました。

 

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「死者の日に、誰と会いたい?」「あなたが死んだら、祭壇に何を置いてほしい?」という質問をメキシコ人学生に投げかけます。

ワンピースとナルトの漫画を祭壇に? あの世でも漫画が読めれば、楽しいでしょう。

メキシコ人だからテキーラを祭壇に? 飲みすぎないようにね。あ、あの世には二日酔いなんてないのかな。

 

リメンバー・ミー』では、死には2種類あります。

「第一の死」は、生物学的な死。魂が死者の国に移ります。

「第二の死」は、現世の人から忘れ去られてしまうこと。死者の国からも存在が消滅します。死者の国は、人の記憶で成り立っているのです。

 

メーテルリンクの『青い鳥』を思い出しました。

チルチルとミチルが思い出の国を訪れて、祖父母と再会します。

「私たちはいつでも、ここにいて、生きている人たちが会いに来てくれることを待っているんだよ。お前たちが最後に来たのはハロウィーンだったね」とおばあさん。

「え、あの日は、風邪で寝込んでいてどこにも行かなかったよ」とチルチルが答えます。

「でも、私たちのことを思い出しただろう? 私たちのことを思い出してくれるだけでいいんだよ。そうすれば、私たちは目覚めて、お前たちに会うことがでくる」とおばあさん。

そしておじいさんはこう言います。

「一生を終えて、眠るということはよいことだよ。でも、時々目が覚めるのも楽しみなものだ」

 

こう考えると、死もそんなに悪いものじゃないという気がします。

そのうちだれも思い出してくれなくて第二の死を迎えても、それはそれでいい。

そして、生きている間は、できるだけ死者を思い出したいものです。