翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

「ツイッターをやらない」という選択

占い師も集客のため、ソーシャルメディアを活用したほうがいいと言われます。
私もこのブログを昨年2011年の7月に始め(ホームページは2010年に開設しました)たわけですが、ツイッターは手を出していないし、フェイスブックは実名が原則なので翡翠輝子ではやっていません。

ツイッターに対しては、「これは手を出さないほうがいい」と本能的に危険を感じたのですが、それと同じような感覚を味わったのが、自動車の運転教習所でした。
20歳の頃、ほとんどの友達が教習所に通うようになり、「これからは運転ぐらいできないとだめだ」と私も通い始めました。
そこでわかったことは、私には運転センスがまったくないということ。できることならやめたかったのですが、教習所中退というのは恥ずかしいし、免許だけは取ろうと必死でがんばりました。
やっとのことで卒業検定に合格し、「もうこれで一生ハンドルは握らない」と宣言すると、指導教官は「何をアホなことを、クルマなんか下駄みたいなもんや」とあきれ顔でした。

宣言通り、運転は一切やっていません。
レンタルビデオ店での身分証明のために免許が必要ですから、更新は続け、今では無事故無違反のゴールド免許です。

運動神経は鈍いのですが、ほぼ毎日スポーツクラブに通い、ズンバやラテンダンスのクラスは大好きだし、水泳も得意です。
慣れれば運転できるようになったかもしれません。
しかし、車の運転に不可欠な方向感覚、空間認識力が弱いのです。歩いていてもよく道を間違えます。

東京23区内の駅近くに住んでいると、車がなくて不自由ということはまったくありません。
むしろ車を持たなかったことによる生活コストの節約は大きいと思います。

免許更新のたびに悲惨な交通事故の映像を見せられ、わが身の幸運を祝福したものです。

ツイッターの炎上を目にするたびに、同じような気持ちになります。
ブログも炎上があるので、危険がまったくないわけではありませんが、ブログの場合は、一応は問題が起きないように配慮しながら、書いています。人のことを書くときは、書いていいか本人に確認を取ります。

「文章を書く仕事をしているのだから、ブログを書くのも楽でしょう」と言われますが、雑誌の原稿の場合は、編集者や校正さんのチェックが入ります。変換ミスや勘違いはそこで直してもらえるので、恥をかくことはあまりありません。
書いたものがそのまま公開されるブログのほうが、私にとっては怖いのです。

このブログは、基本的に更新は週2回、日曜と木曜を目標とし、急いで書かなくてはいけないという状況にならないようにしています。
閲覧数を上げるためにブログは毎日更新すべきという教えもありますが、最初からあきらめています。

そんな小心者の私にとって、ツイッターはとても手を出せるものではありません。
思いついたことを瞬間的につぶやくのですから、誰でも炎上の可能性があるわけで、世間の人はよくあんな危険なことを平気で毎日できるんだろうと感心していました。

さらに、ソーシャルメディアには炎上以外にも大きな危険な潜んでいることを知りました。
10月22日に放映された、NHKクローズアップ現代の「つながっていたい人々 急増ネット依存症」。
ツイッターに夢中になって、仕事や生活がおろそかになる人々。
アルコールや薬物と同じ依存症だというのです。

リツイートされたりフォロワーが増えると、ドーパミンが放出され、快感を感じる。
次に書き込んだら、期待ほど評価がなく落胆。
めげずに書き込んで、再び評価されるとドーパミン倍増。
これを繰り返すうちに中毒となり一日中、つぶやき続けるというのです。

承認欲求の罠は誰にとっても危険ですが、占い師にとっては最も戒めるべきものです。
友人の占い師・優春翠ともよく話すのですが、お客さんから「当たった」「すごい」「先生、なんでわかるの?」といった賞賛の言葉をいただくと、さらに「当てたい」「ほめられたい」という欲が出てきます。
そうなると、とたんに的中率が下がります。
ちなみに彼女は、ホームページは作っていますが、「書くことは得意じゃないし、面倒」とブログやツイッターは一切やっていません。
それでいて、こなしきれないほどの鑑定申し込みがあります。

占い師とは、天からのメッセージを地に降ろす筒や電線のような存在です。
降りてきたものをどう活かすかはお客さんの自由意志に委ねられるべきです。
単なる筒なのに、「この筒は立派だろ」「筒に従え」と態度が大きくなり、筒にノイズが生じるのです。
承認欲求を刺激しないためにも、私はツイッターには手を出しません。

開運指南というと、吉方に行けとか、ラッキーアイテムを身につけろとか、人生に何らかの行動をプラスすることをイメージしがちですが、「これは、やめておけ」という引き算も、けっこう重要ではないかと思います。