翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

アイルランドの日本庭園を巡る長い物語

フリーランスとして働き始める前に3ヶ月間の休暇を取り、アイルランドを旅しました。今から20年以上も前のことです。

そのときに訪れたのが、キルデアです。
ダブリンからバスで40分ほど。初心者向けの乗馬学校があると聞いて行ってみました。アイリッシュダービーが開かれる競馬場があり、JRA(日本中央競馬会)の方も研修に訪れるなど、馬にゆかりの深い地です。

地元のパブで評判を聞き、1週間ほど滞在する小さなBBを決め、街を探索。
日本庭園を見つけました。大型観光バスが乗り付ける大規模な国立庭園です。
どうしてこんなところに日本庭園があるのか不思議に思いつつ入園。
アイルランド人以外にはイタリア人の団体観光客もいたのですが、東洋人は私だけ。
併設のカフェでお茶を飲みながら、ウエイトレスの女性に庭園の歴史を質問してみました。
「だったら、キャサリンに聞いてみるといい」と、園長の女性をわざわざ呼びに行ってくれました。フレンドリーなアイルランド人ならではの対応です。
キャサリンは、日本に留学経験もある園芸の専門家です。

日本庭園が完成したのは、1910(明治43)年。
当時のアイルランドはイギリス領で、ウイスキージョニー・ウォーカーで有名な一族のウォーカー卿がキルデアの地主でした。そしてこの地にも日本庭園を造ろうと思い立ったのです。

「去年、この庭を造った日本人のお孫さんが名乗り出て、大変な騒ぎになった」とキャサリンは言います。
「日本から来たの?」
「それが、奇妙なことに、どこから見てもイギリス人。ロンドンに住んでいるのよ。ブライアン・イイダっていう名前」

「あなたは日本人なんだから、ブライアンに会ってみるといい。だって日本人は誰一人としてこの話に関わっていないんだから」と話が展開し、この記事を書いたアイリッシュ・タイムズの記者も紹介してもらい、帰国途中にロンドン郊外のブライアンさんのご自宅を訪ねることになりました。
ブライアンさんは、イギリスの大手企業に勤めるエンジニア。妻のマーガレットさん、息子のジャイルズ君と娘のフランシスさんの4人暮らし。

「イイダというファミリーネームは、イギリスでは珍しいから、北欧系だとばかり思っていた。
父のファーストネームも、ミノルという変わった名前だったしね。
生前、父は子供時代、アイルランドで祖父と一緒に庭を造ったことがあると話していた。
ある日、アイルランドの日本庭園がテレビで紹介されているのを偶然目にして、『これはひょっとして、父の話していた庭かも』と思い、休暇に出かけることにしたんだ」

キルデアまで出かけてみると、それはまさしくブライアンさんの父と祖父の手による日本庭園であることは明らかでした。
庭師のファミリーネームは「イイダ」と伝えられているし、お父さんの名前を取った「ミノル・ヤード」まであったのですから。

ミノルさんが日系であることを息子にまで隠したのは、第二次大戦で日本が敵国になったからです。
初代のイイダさんも二代目ミノルさんも英国人女性と結婚したので、ブライアンさんはまったく東洋系には見えません。
日本語はもちろん、日本について何一つ聞いたことはないといいます。受け継いだのは、イイダという奇妙なファミリーネームだけ。
ブライアンさんが日系であると知ったのは20代になってからだそうです。

帰国後、ブライアンさんからいただいた手がかりを元に、イイダ一家のルーツ探しに取りかかりました。
外務省の外交史料館には日本出国者の記録が残されていて、初代イイダ氏のフルネームは、飯田三郎氏と判明。
日本を出国したのは明治26年。出身地は横浜で、三郎氏のお兄さんである桂蔵氏は現在の横浜市中区根岸に住んでいました。
さらに順天堂大学の古い医籍簿には、三郎さんの父親と思われる飯田桂州さんが横浜市で医院を開業していたこと記されています。

ブライアンさんが出張で来日することもあり、一緒に根岸のある横浜市中区役所にも出向きました。
残念ながら関東大震災と第二次大戦の空襲により、昔の戸籍は焼失し、根岸の飯田一族の記録は何も残っていませんでした。
それでもブライアンさんは、自分のルーツの地である横浜を訪れて感無量のようすでした。

フリーランスのライターとして初めて書いた署名入り記事は、この日本庭園の物語です。
週刊朝日に掲載されたことで、日本アイルランド協会で講演を依頼されたり、JRAの方の尽力で競馬報知にも書かせてもらいました。

ブライアンさん一家とは、その後も連絡を取り合っています。
昨年、東日本大震災が起こり、ブライアンさんには初孫が生まれたこともあり、日系であることを再び意識するようになったようです。

「孫からの呼び名で、日本的な愛称を教えてほしい」と相談を受けたこともあります。
「ソフ、ソボっていうのはどうだろう?」というので、「それは口語では使わないから、ジジ、ババはどう?」と提案しました。

お孫さんのジョージ君の代になると、日本人の血は32分の1になりますが、ファミリーネームのイイダは受け継がれていきます。

ブライアンさんは長年勤めた企業を定年退職し、自由時間もできたのか、イギリスに遊びに来るように誘われていたのですが、機会がないまま年月が過ぎていきました。

この夏、そんな関係に新しい風が吹き込みました。
イギリスに語学留学に行くという大学生のA君と知り合い、イイダ一家へ初孫誕生のお祝いを届けてもらったのです。
A君はビートルズボブ・ディランをこよなく愛する青年で、私の世代でもディラン好きはめったにいないというのに、10代のファンに出会うとは!
ともかく、ディランファンと聞いただけで、私はこの青年に、イイダ一家との交流のバトンを渡そうと思ったのです。

イイダ一家とA君は、ロンドンでビートルズゆかりの地を一緒に回り、家に泊めてもらって、ギターやピアノを演奏し、充実した時間を過ごしたそうです。

知り合ったときは少年だったブライアンさんの長男のジャイルズ君が一時の父に。
私がアイルランドの日本庭園の記事を書いたときには生まれてもいなかったA君は大学生に。

飯田三郎氏が日本を出国して、約140年。そしてキルデアの日本庭園が完成してから約110年。
20年前、自分の一族のルーツにつながる地を知ったブライアンさん。
たまたま日本庭園を訪れた私が、ロンドンのイイダ一家と交流を始め、イイダ一家のルーツである横浜のA君がイギリスのイイダ一家を訪ねたこと。

すべてが見えないところで操られていたような気がする、長い物語です。
私が占いを学ぶようになった理由の一つは、こうした物語の筋書きの一端を垣間見たいという思いです。