翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

旅に出る理由

1月、2月と遠出をがまんしていましたが、そろそろいい頃だとJALの「どこかにマイル」で2泊3日の旅へ。徳島、北九州、宮崎、三沢の四択です。三沢はまだ寒そうですが、八戸にドーミーインがあります。

 

当たったのは宮崎。一足早い春を満喫してきました。

宮崎市街をあてもなく歩き回ってご当地の空気を味わい、疲れたらお茶。宮崎の老舗の喫茶店でコーヒーを頼むと、生クリームがついてくることを発見。外に出るのもいいけれど、ビジネスホテルのこぢんまりとした部屋が好きです。

 

旅のサブスクHafH(ハフ)を利用して、1泊目はコンフォートホテル。チェックイン時にHafHだと「安い値段で泊まってごめんなさい」と申し訳なく思うのですが、自動チェックイン機でした。

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一目で気に入った部屋。新しくて気持ちよく、アクセントカラーのブルーが効いています。デスクの正面にテレビも鏡もなく集中できます。大浴場、サウナがないのですが、個室にゆったりとしたバスタブがあるのもいいものです。

 

二泊目はドーミーイン宮崎。

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早々と3時にチェックインし、最上階の大浴場へ。南国宮崎らしく、露天スペースには椰子の木が。旅先の露天風呂に入る度に「生きていてよかった」と実感できます。

サウナはちょっとマイルドでしたが、水風呂と外気浴でしっかり整えます。サウナで整うのは急激な温度変化で体に負担をかけて健康に悪いとも言われていますが、寿命が短くなったところで、この楽しみはやめられません。

 

チェックイン直後、夜、そして翌朝と3回は大浴場に行きます。

朝のサウナのテレビはNHK。「あさイチ」に作家の原田マハが出ていて、旅の話に共感。太宰治津軽』の冒頭を紹介しました。

「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」

<中略>
「何を言ってやがる。ふざけちゃいけない。お前にだって、少しは、わかっているはずだがね。もう、これ以上は言わん。言うと、気障になる。おい、おれは旅に出るよ」

そう、別に今の生活に不満はなにのですが、旅に出ない日々が続くとなんだか苦しくなってきます。

有名な観光スポット巡りにはあまり興味がなく、ただ街並を歩くのが好き。ここにも私と同じような人が住んでいて、どんな暮らしをしているのか想像します。この1か月はウクライナのニュースを目にすることが多かっただけに、宮崎の繁華街を行き交う人々を眺めているだけで心が安らぎます。

津軽』で太宰治は育ての母タケに会いに行きます。家をつきとめたものの留守。あきらめかけたものの、運動会に出かけたと聞き、向かいます。

津軽』で最も印象に残った一節。

日本は、ありがたい国だと、つくづく思った。たしかに、日出づる国だと思った。国運を賭しての大戦争のさいちゅうでも、本州の北端の寒村で、このように明るい不思議な大宴会が催されて居る。古代の神々の豪放な笑いと闊達な舞踏をこの本州の僻陬に於いて直接に見聞する思いであつた。海を越え山を越え、母を捜して三千里歩いて、行き着いた国の果の砂丘の上に、華麗なお神楽が催されていたというようなお伽噺の主人公に私はなったような気がした。

海の向こうで戦争が続いている一方で、平和なお祭りも催されていると実感するために、旅に出ます。

 

アラブ人とユダヤ人、ロシア人とウクライナ人

先月のオンラインイベント「開運虎の巻」で紹介した『自分の小さな「箱」から脱出する方法』。

 

続編と位置付けられていますが、前書の20年前という設定の『2日で人生が変わる「箱」の法則』。ユダヤ人とアラブ人の民族的対立がストーリーの軸になっています。

 

ユダヤ人とアラブ人が憎み合うのは、双方とも自分の「箱」から出ようとしないから。

相手を箱の外にいる「物」として見る。人類の歴史上、何度も繰り返された悲劇です。第二次大戦中のドイツではユダヤ人を「人」ではなく「物」として見ていたから、虐殺できたのです。そして現在、ロシア軍にとってウクライナ国民は「物」でしかありませんし、ウクライナ側もロシア兵をそう見るでしょう。

 

降伏した若いロシア兵が、ウクライナ住民からパンと温かい紅茶を差し出される画像に心動かされるのは、双方が「箱」から出たからです。「箱」から出るのは容易なことではないから、大きく報道されたのでしょう。

 

ところが、橘玲の『幸福の資本論』を読んでいたら「オーストラリアのアラブ人はユダヤ人が大好き」とありました。

オーストラリアでどうやって「箱」から出たのでしょう?

パレスチナからオーストラリアに移住したアラブ人は、手っ取り早く稼げるということで選びやすい職業は自動車修理工。最初は同胞のアラブ人が顧客となりますが、とにかく値切るし、無理な納期を要求してきます。「同じアラブ人同士じゃないか、そこんとこよろしく」とぐいぐい押してくるのでしょう。

ところがユダヤ人の顧客は適正な料金と納期で納得します。トラブルになったら大きなもめごとになるのは目に見えていますから、金払いもきれいです。

というわけで、アラブ人の自動車修理工にとってユダヤ人は大歓迎となるのです。

 

西側諸国にとってウクライナ侵攻前のロシアは「主義は異なるけれど、商売相手になれる」国でした。ロシアとの合弁事業を起こし、レストランや小売りチェーンも進出していたのは、経済面では共通のルールに従うという合意があったからこそ。

安倍晋三氏が「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている」「ゴールまでウラジミール、二人の力で駆けて、駆けて、駆け抜けようではありませんか」というポエムまで作ったのに、今のロシアときたら…。撤退した外国企業の工場や店舗は国営化し、借りた飛行機は返さない。辛うじてドル建て国債の利払いはしたものの、いつまで払えることやら。たとえ戦争が終わっても、まともな商売相手と認めるわけにはいきません。

 

お金だけの関係なんてむなしいと思いがちですが、お金のやり取りをちゃんとできない相手とは、そもそも関係は結べません。

 

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4年ほど前の日本語教師時代。欧米からは遊び半分の道楽息子・娘が多かったのですが、ロシア人学生は別格。モスクワ大学の優秀な学生が総仕上げのための留学で、本国できっちり日本語を身に付けていました。なぜか女子ばかりで、アナスタシアとかイリーナ、ナターシャといったいかにもロシア的な名前でした。「大学で日本語を専攻したかったのですが、点数が及ばずマーケティング専攻です」とくやしそうに語った学生もいました。マーケティングのほうがずっとニーズがあると思うのですが、ロシアでは外国語を学べるのは超エリートだけなのかもしれません。あの女子学生たちは今、どうしているのでしょうか。

諏訪山探訪と墓場の迷子

今年の2月は父の三周忌のはずでしたが、オミクロン株の蔓延で神戸への帰省を断念。その代わりとして彼岸のお墓参りに行ってきました。

私の実家は神戸で夫の実家は大阪。朝一番のJAL便で伊丹空港に到着し、解散して別行動。お墓参りにはつきあってくれるというので、お昼に神戸元町で待ち合わせることにしました。

 

伊丹空港から神戸に出て、諏訪山を訪れることにしました。

天下の奇書『周易裏街道』、古書店でとんでもない価格だったのですが、復刻版が出たおかげで入手できました。仁田丸久氏の易の講義を記録したもので、場所は諏訪山房とあります。最初は長野の諏訪市かと思っていたのですが、神戸の山の手の諏訪山でした。

神戸元町から徒歩20分ほどで諏訪山のふもとに到着。神戸は海と山の距離がとても近いのです。

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石畳の裏道、まさに周易裏街道!

はりきって登り始めたものの、けっこうきつくて息切れします。講座が終わって帰ろうとした方が足をすべらせて崖を転落したという話もあるほどです。

 

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諏訪神社に到着。神社の由来を見ると、信州の諏訪大社から潅頂とありました。仁田丸久氏は敬虔なキリスト教徒だったそうですが、近所のこの神社にもお参りしたかもしれません。易の上達を願って手を合わせました。

おみくじを引いたら、第3番の末吉。運勢は「悩みの多い時だが、あせって事を起こさずにチャンスがくるのを待つのがよい」、学業は「力量不足」。易の道はまだまだ遠そうですが「信念を曲げたり目標を変えてはいけない」とあるので、続けることにします。

3は易では「離」、すなわち「火」です。ろうそくとお線香を買ってお供えしました。

 

お昼に夫と待ち合わせて両親の墓参りへ。神戸市営の鵯越(ひよどりごえ)墓園は、源平合戦義経が奇襲をしかけた場所です。

もともとは両親の出身地である岡山に先祖代々のお墓があったのですが、神戸に転居以来、ろくにお墓参りにも行かなかったため、親戚にうるさく言われて墓じまいをすることに。両親は「子供がなんとかする」と考えていたのか、終活にはまったく取り組んでいませんでした。

私が入る墓ではないのですが、両親の介護のために月1回は帰省していたので、ついでだと思ってお世話になっていたケアマネさんに相談。神戸市営の墓園を勧められました。抽選方式だから気長に応募したらいいと言われたのですが、初回で当たりました。市営なら兄の子供たちが墓じまいで苦労することもないでしょう。

 

東京と違い、神戸の郊外は車社会です。墓に行くのはいつも兄の車。ところが今回、兄が神戸にいないので、電車で行くことにしました。

最寄りの駅は神戸電鉄鵯越駅。タクシーで行けばいいというのですが、タクシーがつかまえられるような駅ではありませんでした。しかたなく心臓破りの坂道を登って、墓園の入口まで歩き無料の巡回バスに乗り込みました。

実家のお墓のある「さくら地区」で降りたのですが、いつもの景色と違います。標識を見ると「さくら〇区」と数字が振ってあります。はて…実家の墓はどこだろう…。歩き回ってもわからず、ますます混乱。兄の車だと、お墓のすぐ近くの駐車場からすぐだったのに。私はそのゾーンだけをさくら地区だと誤解していたのでした。さくら地区だけで11区まであるようで、歩いて探し回るのはとても無理。はるばる東京から来たのに、お参りできないのか。

夫の美点は、こういう時に一切私を責めないところ。それが救いでした。

兄に電話してみたところ、出先なので番号がわからないとのこと。墓園の管理事務所にかけてみるように言われました。恥を忍んで事情を話すと、事務所の人は丁寧に教えてくださり、無事に実家のお墓にたどりつくことができました。

 

父の死を悼む湿っぽい気持ちは消え「いくつになっても、間が抜けた娘だ」と苦笑している父を想像しました。

苦労して運転免許を取ったのに、ペーパードライバーになったのは空間認識能力が欠けていることを実感したから。ロングトレイルを歩いてみたいと思っているのですが、自然の中に入らず街中だけにしていたほうが無難でしょう。

そして、加齢とともに脳が委縮していき、自分がどこにいるのかわからない高齢者になった自分をリアルに思い描けました。鵯越霊園で見渡す限りの墓の中で途方にくれた感覚、未来の先取りです。

 

実家の墓は「さくら8区」。諏訪神社のおみくじ3番を内卦とし8区を外卦にして易にすると地火明夷(ちかめいい)。「明」の叡智や文明が傷つけられた状態、あるいは太陽が地下に沈んだ暗い世の中です。あまりおめでたい卦ではありませんが、夜に働く水商売や文筆業などには吉。六十四卦の中で最も私に縁のある卦です。

 

世界はおそろしくて、やさしくて、おもしろい

先日ネットで話題になった、インドのチャイ事情。

togetter.com

大阪のおばちゃんの「飴ちゃん」と同じく、インドでのチャイは「初対面の人との距離を縮めたり、親愛の情を伝えるコミュニケーションツール」という声も。

インド旅行者の反応は「そんなこと一回もなかった」「毎回お金を払って飲んでいた」といった声が大半です。中には「ピザやコーヒーをご馳走になったら睡眠薬が入れられて、荷物も服もすべて取られていた」「チャイカップに唇をつけた次の瞬間に目が覚めたら目の前に病院の天井があった」という恐ろしい体験談。

最初のツイート主は「外国人が普通に歩いている観光地ではなく、観光客の行かない場所」と追加で説明しています。

 

インドには二度行きましたが、現地の人にチャイをおごってもらったことは一度もありません。30年前は観光旅行で、15年前は原作本のリライトを担当した映画のロケハン(映画化は頓挫)。いずれの旅でも、女一人で気ままに街を散策するのは無理だと思いました。少し歩いただけで、たくさんの声がかかってきます。中には親切な人もいるのかもしれませんが、ほとんどの目的は客引き。泊まるホテルも乗る列車もすべて決まっていると言っても「いくらで予約した? もっと安くできる」と勧めてきます。

 

帰国の飛行機でバックパックを預けたら、鍵をかけていないポケットに入れていたものがごっそりなくなっていました。おそらくニューデリーの空港で盗られたのでしょうが、残り少ないシャンプーやボディソープの入ったポーチ、壊れかけた折り畳み傘、薄汚れたスリッパなど何の価値もなさそうなものをどうするのでしょうか。

ポケットに一つ残っていたのが、小さなガネーシャ像。一番、価値がありそうなのに。神様だから祟りを恐れて盗めなかったのかもしれません。

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ガネーシャの隣は、アイルランドの妖精、レプラホーン。虹の根元に金貨のたっぷり入った壺を隠しています。アイルランドの国の色は緑。今年もそろそろセント・パトリック・デーの時期ですが、街中が緑一色のとなります。

 

インドと対照的に、アイルランドは一人旅のほうがディープに楽しめます。地元客しか行かない小さなブでちびちびギネスを飲んでいると、常連さんから「ギネス、気に入った?」と声がかかります。会話が弾んでグラスが空になると「次のラウンドは私が」とギネスをおごってくれることもありました。30年以上も前、経済発展前ののどかなアイルランドの田舎町です。バーマン、客、そして宿泊先のB&Bの経営者もすべて知り合いという小さな村なら、こういうことも起こります。

 

もちろん、アイルランドでも犯罪はゼロではありません。そして、ムンバイを舞台にした小説『シャンタラム』では主人公のオーストラリア人リンジーは輝く笑顔のインド人ガイドのプラバカルと出会い、友情を育んでいます。客引きには一切関わらないというかたくなな態度では、ストーリーは展開しません。

 

数年前まではカウチサーフィンで初対面の外国人旅行者を無償で家に泊めていました。「相手が犯罪者だったらどうするの」と心配されましたが、カウチサーフィンはオンライン上の評価システムにより、その人がどんなホストであり客だったかが閲覧できるので不安はありませんでした。

その後、有償のエアビーアンドビーが広がりました。現在、ロシアに侵攻されているウクライナの宿を予約する動きがあるそうです。実際に泊まるのではなく現地のホストを直接支援するためです。

 

旅先で危険な目に遭うこともあれば、心温まる交流を楽しむこともあります。コロナと戦争が終わり、自由に海外に出かけられる時はいつになるでしょうか。若い頃のような破天荒な旅はもう無理だけど、世界のおそろしさではなく、やさしさやおもしろさに触れる旅がしたいものです。

ゼレンスキー大統領が演じる役

キエフにとどまる」と宣言しているゼレンスキー大統領。西側諸国からキエフを離れて亡命政権の樹立を持ちかけられても、応じる気はなさそうです。

アメリカがアフガニスタンを見捨てた時、飛行機にしがみついてでも国外に逃げようとする人々がいました。降伏したところで、待っているのは容赦ない粛清だから。

 

大統領役を演じるテレビドラマで人気を集めたコメディアンからリアル世界で大統領になり、今や「世界を魅了する千両役者」となったゼレンスキー大統領。ドラマ『国民の僕(しもべ』の初回が英語字幕付きでYouTubeにあり、つい見入ってしまいました。

 

演じる役は社会の教師。政治の汚職に対する非難を怒鳴り散らしているのを学生の一人がこっそり撮影し、ネットに動画を上げたため大問題となります。

ゼレンスキー先生は学生たちに日本の話をします。

「貧しい農民がエンペラー・パレスへ行き、『年貢が高すぎて村人たちが飢えている。私には失うものはないので、真実を告げに来た』と直訴した。訴えはエンペラーの心に届き、その場にいたサムライやゲイシャも衝撃を受けた。農民は直訴の罪で殺されたが、エンペラーは年貢の減額を決めた。エンペラーにとってどんなに不愉快な言葉であっても、真実は真実だからだ」

エンペラー・パレス? サムライがいるのだから、天皇ではなく将軍、あるいは領主? それにしてもゲイシャはいないだろう、と突っ込みどころが多いのですが、佐倉惣五郎などの逸話が元ネタでしょう。感銘を受けた学生たちは「先生は正しい、大統領選に出たら当選する」と励まし、ここからドラマが始まるのです。

 

ドラマシリーズの第一話。視聴率によってシリーズがどこまで続くかの大事な場面です。ゼレンスキーは何度も練習したでしょう。

キエフを離れないゼレンスキー大統領の脳裏には、飢えた村人のために自らの命を投げ打って直訴した日本の農民の姿が浮かんでいるのかもしれません。

 

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All the world’s a stage
And all the men and women merely players

この世は舞台

すべての男も女も役者にすぎない

シェイクスピア十二夜』より)