翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

ミルウォーキーの客と昨夜のマディソンの客

カズオ・イシグロボブ・ディランザ・バンドのファンだと知って愛読するようになりました。

音楽をテーマにした短編集もあります。

 

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

 

 

『老歌手』という一篇。

アメリカで一世を風靡した大歌手が長年連れ添った妻を連れてベネチアを旅行します。27年前の新婚旅行以来の再訪です。

夫はゴンドラとギタリストを雇い、妻のいるホテルの窓の下でセレナーデを歌うというロマンチックな思い付きを実行に移します。

 

若いギタリストに老歌手は、プロのミュージシャンとしての演奏のコツを伝授します。

 

それは、秘伝というほど大げさなことではなく、聴衆のことを何か知っておくということ。

今日の客は昨夜の客とどう違うか――自分の心で納得できることならなんでもいい。たとえば、ミルウォーキーにいるとする。自分に問いかけるんだ。何が違う。ミルウォーキーの客と昨夜のマディソンの客の違いは何だ。何も思いつかない? だったら考えろ。ミルウォーキーミルウォーキー……。ミルウォーキーはいい豚肉を産することで名高い。うん、これでいい。舞台にでたら、それを使え。

ここまで読んで、曲の合間の語りのネタにするのかと思いました。「早速、ミルウォーキー名物のポークチョップを食べてみました」とかなんとか。

客には何も言う必要はない。ただ、歌うときに、それを心にとどめておくことが重要なんだ。目の前にすわる客は、うまい豚肉を食っている人々だ。豚肉に関しては一家言ある……。わしの言うことがわかるかな。そう思うことで、聴衆への手触りが生まれる。面と向かって歌ってやれる誰かになる。それがわしの秘密だ。プロからプロへ、これを伝授しよう。

 

なるほど。

すぐれた説は、ストーリー展開だけでなく細部までしっかりと書き込まれています。

 

仕事が忙しくなると、つい「締め切りまでにこなせばいいんだろ」という気になります。そうではなくて、仕事を届ける相手の手触りを感じなくてはいけません。

 

ライター、語学教師という仕事はそのうちAIに取って代わられるかもしれません。手っ取り早く情報を伝える原稿、文法の反復練習なら人間よりAIのほうがうまくやれるでしょう。

人間らしさが発揮できるとしたら、付かず離れずの微妙な関係性でしょうか。

 

そして、自分が客と呼ばれる立場になった時も、できたら、別の客とは違う存在になりたい。別にそれで特別なサービスを受けなくても、ただそう思ってもらいたいのです。

さすがに格安を売りにしていたり、全国均一のサービスを展開するフランチャイズ店でそれを求めるのは酷です。何軒か、そういう店をがあればそれで満足です。

 

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 日本で豚肉を最もおいしく食べているのは沖縄県民かも。そうめんがチャンプルーになるとこれほど味わい深くなるのかとびっくりしました。

 

着物警察なんか気にしない

ドイツ人とスペイン人の女の子がキモノ姿で日本語学校の教室にやってきました。

 

着物じゃなくキモノとカタカナで書くしかありません。

連日の猛暑ですが教室の中はエアコンが効いて肌寒いくらい。そこで彼女たちは、Tシャツに短パンの上に、キモノをロングカーディガンのように羽織っているのです。

「近所の古着屋で買った」という二人。とてもリーズナブルな値段だったそうです。

 

鮮やかな赤や青、大きな花柄が金髪に映えて、とても似合っていました。ここまでぶっ飛んでいると、着物警察も口を出せないのでは。

「着物警察」というのは、ネットで見かけた言葉ですが、街で着物を着ている若い女性にいきなり近づいてダメ出しをする人。

「帯が着物の柄に合っていない」「その生地、ポリエステルでしょ」とか失礼なコメントをしたり、いきなり帯の形を直された人もいるそうです。

 

一方、食べ物の話題になるとイタリア人の学生が強く主張するのが「スパゲティにケチャップなんてありえない」というナポリタンの否定です。

アメリカ人が持ち込んだもので、日本人はそれが西洋のスタンダードだと思った」と説明するのですが、もしパスタ警察というものがあったら、日本での多種多様な創作パスタを見て取り締まりをあきらめるでしょう。

 

日本オタクの学生たちですが、日本と同じぐらい韓国文化が好きという学生もいます。

KPOPはJPOPより世界で人気があるようですし、韓国ドラマもおもしろいし。

韓国人や中国人を差別したがるネトウヨが知ったら発狂しかねませんが、日本人だって世界各国を一国ずつ認識しているわけではありません。

 

カウリスマキ映画をきっかけにフィンランドにはまった私は、フィンランド文化だけが好きなのですが、そうじゃない人は、ふつうの人は北欧諸国というざっくりしたくくりでスウェーデンノルウェーも似たようなものだと思っているのではないでしょうか。

 

細かいことなんて言い出したらきりがありません。その人が満足しているんならそれでいいじゃないか。そんな気持ちで日々教壇に立っている、いい加減な教師です。

 

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釜山で食べたミルミョン(冷麺)とワンムンドゥ(蒸し餃子)。日本人にとっては異国の味ですが、西洋人にとってはアジアの味なんでしょう。

加齢を喜ぶ生き方

誰だって年を取りたくない。特に女性は。

私もそう思っていました。

 

でも、この3年間近く「早く時がたって早く年を取りたい」と熱望しました。

それは新しい仕事、日本語教師を始めたから。

「まったく教壇に立ったことのない素人が教師として慣れるまで3年が必要」とネットで見て、絶望的な気持ちになりました。

毎日教えるわけでもない非常勤なら、慣れるまで3年どころかもっと長い年数が必要でしょう。

 

本業の雑誌ライターが出版不況のあおりを受けて徐々に発注が減っています。

それなら副業の日本語教師に本腰を入れるべきかと思ったのですが、費やすエネルギーに対してあまりにも少ない収入。お金じゃなくてボランティアだと割り切っています。

 

その上、教職未経験者にとっては胃が痛くなるプレシャーの連続。

ここから抜け出すには年齢を重ねるしかないのですから、加齢は喜ばしいと思うようになりました。

 

毎日毎月毎年、同じことを繰り返すなら、加齢は忌むものでしかありません。

でも、毎年、新しいことをすれば、慣れるための時間が必要で、早く過ぎて、経験を積みたいという気持ちになります。

 

ただし、いつまでもこれを繰り返すことはできません。

70代、80代で新しいことにチャレンジできる人もいるでしょうが、私にはとても無理。最後の挑戦が日本語教師。資格を取るために420時間の講座を受講し、日本語学校に履歴書を送って面接を受け、びくびくしながら教壇に立つことができましたが、もう一度同じことをしろと言われてたら、とても無理です。

 

 

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おおげさなことでなくても、人に迷惑をかけない趣味、たとえば手芸とか散歩、そして断捨離…新しいチャレンジを続けていれば、年を取るのもこわくなくなるかもしれません。

 

 

いつ引退すべきか問題

村上春樹の『遠い太鼓』にヴァンゲリスというギリシャ人が登場します。

60歳に近い年齢で、英語はまったく話せないけれど、人懐っこくて親切な男性。村上春樹が暮らしたミコノス島の集合レジデンスの管理人です。

 

ヴァンゲリスの口癖。

「60になれば、年金が下りるんだ。そうすればもうあとは遊んで暮らせるんだ。ヴァンゲリスも歳取った。毎日働くのも大変だよ。そろそろ休んだっていいじゃないか」

 

『遠い太鼓』の奥付を見ると、1990年版。私が30歳になったばかりに買った本です。

30年前、ヴァンゲリスの口癖は遠い将来のことで、自分には関係ないと思っていました。

それから30年近くがたち、60歳がせまってきています。

 

 

私はどうしたいんだろう。

本音では、60代になったらもう働きたくない。この20年ほど、東洋占術に関わってきて、還暦が一区切りという思いを持つようになったのも理由の一つ。一通り暦を生きたんだから、あとは余生でいいじゃないか。

 

のんびり本を読んだり、映画を見たり。ハードスケジュールではない旅行に出かけたり。好きなことをして暮らしたい。

 

しかし現実には、本業の原稿の注文も全盛期から減ったとはいえ続いていますし、日本語教師は空前の人手不足で、へたすると週に4回も学校に通っています。

 

そして、日本の現状。

30年前のギリシャや日本では60歳で年金が下りました。ギリシャのことはわかりませんが、日本では年金受給年齢が上がり、65歳からの支給。長生きのリスクを考えると、受給開始年齢を少しでも遅くしたほうがよさそうです。それに、これからの日本では60歳でみんなが引退したら、社会が回っていかないでしょう。

 

といっても、さすがに立ち仕事はつらくなるのでは。「教壇に立つ」という言葉がある通り、教師が座っているわけにはいきません。そして、最近の語学教育は、インタラクティブな授業が主体です。教師が一方的に知識を授けるのではなく、学生の反応にリアクションしなければなりません。日本オタクの学生の好奇心にいつまで対応できることやら。

 

何歳まで働くかは、個人差も大きいと思います。

日本語教師はセカンドキャリアとして選ぶ人も多く、50代から始める人も少なくないし、70代で現役の人もいます。

「60で引退を考えています」なんて言うと「あなた、何てことを言うの、60代こそ日本語教師の最盛期なのに」と70代後半の先生にはっぱをかけられたことがあります。

その一方で、20代、30代であっという間に職場を去った人も目にしてきました。

 

とりあえず「自分では決めない」という結論に達しました。

続けても、やめても「これでよかったのか」と考えてしまうからです。

 

「あの先生はだめだ」と学生が来なくなれば、肩たたきされるでしょうし、日本の景気が冷え込んで来日する留学生が少なくなれば、日本語教師の需要も減ります。そうなったら若い人に道をゆずるべきです。

 

お声がかかる限りは働いて、引退すれば、社会のお荷物にならないように、さっさとこの世を去りたい。

そう願っていても、なかなか思い通りにはいかないでしょう。自分から選択を放棄して、成り行き任せにするのが心安らかに生きる術なのかもしれません。

 

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日本で初めて建造された深海調査艇「しんかい」は1969年造。お役目を終えた後は、呉の大和ミュージアムで展示されています。

西日本豪雨で呉の街はどうなってることでしょう。

 

老いては子に従え リバース・メンタリングの勧め

西日本を襲った豪雨。

避難指示を無視して自宅にとどまろうとする父親を説得する息子さんの映像がテレビに流れました。

 

一刻を争う事態だというのに、自宅の海抜を息子に言わせようとしたり、濡れた靴下のまま家に上がろうとするのを注意するなど、その後の展開を知ってから見ると、よほど頭の固い高齢者に見えます。

しかし、お父さんの年齢を調べると59歳。今の日本では高齢とは言いにくい年齢です。

 

自分はボケてもいないし、社会経験もあるから、若い者の言うことなんて聞かなくていいと思いがちな50代。私も気を付けないとそうなってしまいそうです。

 

6月のNHKラジオ「実践ビジネス英語」のテーマは「リバース・メンタリング reverse mentoring」でした。

メンターとは、指導や助言をしてくれる人で、若手社員にメンターを割り当てて個別の指導を行っている企業もあるそうです。そのリバースですから、高齢の社員が若手に教えを乞うというもの。実践ビジネス英語では、28歳年上の社員のメンターになった新入社員の話が紹介されていました。

 

kamomeskyさんによるディクテーション。

 
kamomesky.hatenablog.jp

 

リバース・メンタリングの制度は、GEのCEOだったジャック・ウェルチ氏が導入したとされています。若手社員がインターネットの使い方を年上の社員に指導するというもの。

たしかに、ITの使いこなしに関しては、デジタルネイティブである若者にはとてもかないません。私が教えている日本語学校では、動画作成の課題を与えるクラスもあるのですが、プロ顔負けの作品を作る学生もよくいます。そして教室でパソコンの操作にあたふたしている教師を助ける学生も。

 

クラスによってはスマホの使用を禁止しているようですが、私が教えている作文のクラスでは、辞書としての使用を奨励しています。母国に帰って日本語の勉強を続けるなら、自力で辞書を駆使する必要があるからです。

 

教師だから学生の質問にすべて答えられるわけではありません。

 

漢字オタクのスウェーデンの学生、メルビンが漢字の名前が欲しいというので「芽流敏」という字を当てました。若い芽が世界を流れて頭をよく働かせるようになるというイメージです。

 

その後、彼は自分で漢字を調べて「瑪劉敏」に改名することに。漢字の意味を聞かれて、「瑪」は瑪瑙(めのう)の瑪ですが、「劉」は中国の有名な武将、劉邦の名前としか答えられませんでした。中国人の学生に聞いても、同じ答えでした。

メルビンはあれこれ漢字の辞書を検索し「劉」は兵器の意味があることを突き止めました。「敵を殺す」という物騒な意味もあるのですが、若い男の子はそのくらい勢いがあるほうがいいでしょう。

 

学生から漢字の意味を教えてもらう日本語教師という間抜けな状況に苦笑しつつ、これこそリバース・メンタリングだと思いました。

日本語教師という仕事は、雇用が極めて不安定で、金銭的にも決して恵まれていませんが、こうして学生から教えてもらえるのなら、こっちがお金を払ってもいいぐらいかも。

 

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 人や店の名前は、その意味を考えると興味が尽きません。川越のレトロな通りの看板を思わず撮影してしまいました。