翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

「何を学ぶか」より、「どう学ぶか」

子どもの頃、学校に行くのが嫌でたまらなかった私が外国人相手とはいえ、教師になってしまいました。

 

教育現場にも改革の波が押し寄せ、私が受けたような教師が一方的に知識を伝授するスタイルは時代遅れとなりつつあるようです。

ここ数年もてはやされているのが、フィンランドの教育。

 

www.asahi.com

 

高校2年生の数学の授業のようすが紹介されています。

 数学を担当する男性教師ペッカ・ぺウラ先生(35)は、全員に向かって講義をすることもなければ、黒板も使わない。その代わり、小さなメモ用紙とペンを手に生徒たちの机の間を歩いて回り、質問があれば一人ひとりを相手にじっくりと解説する。生徒たちが開いている教科書のページはバラバラ。ヘッドホンをつけて、音楽を聴きながら問題を解いている生徒もいる。ぺウラ先生は「高校生にもなれば学力に差がつく。全員を一律に教えても生徒はついて来られない」と話す。

 

シリーズの2回目は小学校1年生の工芸の授業。

アイスキャンディーの棒に毛糸を巻き付けて目をつけ、芋虫のような工作を作ります。

毛糸の長さも配色も自由。手先の器用な子はどんどん作り、先生に見せに来ます。

その一方で「むずかしい」「できない」という子も。すると先生はその子だけ簡単な作り方に変えました。

先生は記者にこう説明しました。

「大事なのは完成させること。『できるんだ』という成功体験を大事にしたい」

 

記事では、フィンランドで10年ぶりに改訂された学習指導要領も紹介されています。

新指導要領では「何を学ぶか」から、「どう学ぶか」に重点が大きく変わった。子どもの「好き」を刺激し、自尊心を育むことを目指す。

 

これを読んで、日本語学校で私が教えている作文クラスの方針が固まりました。

文法や活用のリピート練習は、日本語能力でレベル分けされている通常クラスに任せよう。

さまざまなレベルの学生がいる私のクラスでは、日本語を使って自分の「好き」を表現することを目標とし、全体授業はやらない。

そして、漢字を使わずひらがなだけでも、書くのに時間がかかっても、学生に恥ずかしい思いをさせない。

学生に同じ課題を渡せば、学力差があらわになってしまいますが、別々の課題なら、ほかの学生と比べることはありません。

 

同僚の先生の一人から「作文のクラスって自習みたい」と言われたこともあります。資格を取るために受けた日本語教師養成講座では、こんな教授法はまったく出てきませんでした。

 

作文とはいえ、一応は語学学校ですから、私のやり方でいいのか悪いのか、わかりません。

それでも、学生の中で「こんなことを日本語で書きたい」という意欲が湧き起り、その手伝いができればそれでいいんじゃないかと思っています。日本語の知識を詰め込むよりも、どう学んだかをおぼえてほしいから。

 

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4年前、フィンランドを旅して、ひょんなことから小学校の授業を見学しました。その時は単なる好奇心しかなかったのですが、今の状況へと導く出来事だったのかもしれません。bob0524.hatenablog.com

 

どの仕事も無理ゲー

好きで始めた日本語教師の仕事。

本業がライターということで、選択科目の作文クラスを教えることになりました。

学生のレベルはさまざま。ひらがなを練習している初心者から、母国の大学の日本語学科で源氏物語を専攻している学生までいます。

 

始めたばかりの頃は、無理ゲーに手を出してしまったと後悔したものです。

学生のレベルに差がありすぎるので、一斉授業はとても無理だし、書いた作文のプレゼンテーションも行いません。

初心者と上級者用に教材を分けても「むずかしすぎる」「簡単すぎる」というクレームが出ます。

しかたがないので、学生一人一人の書いたものを読み込み、次の課題を与えることにしました。すべてを一から作っていては時間が足りないので、ある程度のサンプル課題を作っておき、学生のレベルや興味に合わせてアレンジします。

 

25年近く雑誌の編集ライターをしてきたので、取材対象に合わせて質問を組み立て記事を構成する作業に似ている部分もあります。

一人ずつ教材を作るのは、手間がかかりますが、仕事ではなく趣味だと思って無理ゲーを続けています。

 

だけど、大変なのは私だけじゃない。

実家に帰るたびに、「これは私にはとても無理」と思う仕事があります。

介護ヘルパーという仕事です。

 

実家では80代の父が一人暮らしをしています。要支援1の状態で、自費も使ってヘルパーさんに来ていただき、なんとか自宅で暮らしています。

よその家のキッチンで、その場にある食材で料理を作るヘルパーさん。ベテランの主婦だけあって、なんでもない料理がとてもおいしく、帰るたびにレシピを聞いています。料理だけではなく、掃除も行き届いていますし、散乱した衣類を片付け専門家みたいに収納してくれます。

家事のスキルがあっても、利用者の中には気むずかしいお年寄りもいるだろうし、こんなに大変な仕事をよくやるものだといつも感心しています。

 

飛行機で約1時間、新幹線で3時間ほどの距離なので、そう頻繁に顔を出すこともできず、実家に帰るのは1~2か月に一度。ヘルパーさんのおかげでこの程度の頻度で済んでいます。

 

「誰にでもできる簡単なお仕事です」という求人広告がありますが、そんな仕事はどんどん機械に取って代わられ、世の中の仕事はどれも無理ゲーになっていくのではないでしょうか。

 

世間一般には無理ゲーだけど、「自分はこの手の無理ゲーならなんとかこなせる」というジャンルを持っていれば、細々とでも仕事を続けられるかもしれない。そう考えながら、お払い箱になるまでは仕事を続けたいと考えています。

 

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関門海峡の海底トンネル。本州と九州が歩いて渡れるようになるなんて、昔の人は想像もつかないことだったが、こうして現実のものになっています。

 

世の中には絶対に無理なこともありますが、最初に無理だと思っても、やってみるとなんとかできることもあります。

かといって、完全な無理ゲーなのに続けてしまい過労自殺に追い込まれる悲惨なケースもありますから、そのあたりを見極めたいものです。

 

ディランが歌い、イシグロが書く

カズオ・イシグロを読むようになったのは、彼がボブ・ディランザ・バンドの大ファンだと知ったから。

 

ディランだけでなく、ザ・バンドを並べたところにぐっときました。フォークからロックに転向したディランが大ブーイングを浴びていた時代、バックバンドを務めたのがザ・バンドです。

ザ・バンド」というバンド名は、ディランとウッドストックに隠棲していた頃、地元民から「ボブ・ディランと一緒にいるバンド(ザ・バンド)」と呼ばれたことに由来します。私はザ・バンドと一緒にやっていた頃のディランの曲が一番好きです。

 

ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロは「ボブ・ディランの次に受賞なんてすばらしい」と喜んだとは、作家よりミュージシャンになりたかったというのは本当だったのでしょう。

 

日の名残り』を読んだとき、真っ先にボブ・ディランの「ガッタ・サーヴ・サムバディ Gotta serve somebody」が浮かびました。

 


Gotta Serve Somebody Bob Dylan

 

「大使、世界チャンピオン、社交界の名士、実業家、泥棒、ドクター、チーフ…、あなたが何であろうが、誰かに仕えなければいけない」という歌詞です。

これでもかとばかりに、単語を羅列してくるディラン節。

 

サビのフレーズ。

 

Well, it may be the devil or it may be the Lord
But you're gonna have to serve somebody.
そう、悪魔かもしれないし、神かもしれない
しかし、あなたは誰かに仕えなければならない

 

 『日の名残り』の主人公スティーヴンスは執事でしたが、スティーヴンスの主人のダーリントン卿にしても、国に仕えようという意識があったからこそ、結果的に悪魔に仕えることになったわけです。

 

どんな立場であろうと、生きている限り、誰かに仕えなければいけないと、ディランが歌い、イシグロが書く。

 

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いかにも執事がいそうなイギリス様式の旧門司三井倶楽部。現在、内部は観光案内所とレストランになっています。 

 

カズオ・イシグロの『日の名残り』は小津安二郎の映画からも影響を受けています。

 

bob0524.hatenablog.com

 

すべての 名作はどこかでつながっていくものなのでしょう。

 

そしてカズオ・イシグロの『私を離さないで』。

作中に出てくる歌詞とは違うし、雰囲気もまった異なりますが、ディランとバエズのデュエット"Never Let Me Go"をつい連想してしまいます。おなじみの投げやりな歌い方のディランに、バエズが圧倒的な歌唱力で声をかぶせています。

 


BD-RTR01 (Never Let Me Go)

 

 

 

 

自分の中で満足を作りたい

「仕事がうまくいかない、やめたい。猫になってごろごろしたい」「いや、仕事をしないでごろごろしていると、そのうち世間からの承認を求めて厄介なことになる」という思いを行ったり来たりしている私。

 

一緒に易を学んでいる夏瀬杏子さんは、お母様が私と同じタイプ。杏子さんはお母様を「自分の中で満足を作れない」と表現します。

 

「誰もいない森の中で木が倒れたら音がするか(If a tree falls in a forest and no one is around to hear it, does it make a sound?)」という哲学の問いがあります。観測者がいなくても事象があったのかを問う一種の思考実験です。

「自分の中で作る満足」は、私にとって誰もいない森の中で倒れた木の音。聞く人がいないのなら、音はしないのと同じじゃないかと考えてしまいます。満足したなら、満足している私を人に見てもらいたい。なんという欲深さ。

 

そんな私が自分の中で満足を作れるのは、お酒とズンバ。

アルコールを飲むと、いろいろなことがどうでもよくなって幸せな気持ちになれます。

 

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那覇の福州園の滝と李白の像。李白の詩「将進酒」が紹介されていました。こんな内容です。

水が天井から流れ落ち、海に入たり水が元に戻ることがないように時の流れも戻れない。ならば酒を飲み、歌を詠み、人生を謳歌しよう。世に名を遺した聖人賢者は皆酒飲みだったから。

 

いやほんと、ほどほどに飲むことができたら、こんな素晴らしいものはないんですけど。

 

そして、いつまで続けられるのかとおびえつつ週5回続けているスタジオレッスンのズンバ。

bob0524.hatenablog.com

 

ズンバは上達を目指すのではなく、いかに自分が楽しむかというお祭り騒ぎ。落ち込むことがあっても、考え事をしながら踊ることはできませんから格好のストレス解消になります。

 

お酒とズンバで他者を必要としない満足を得ているものの、お酒ばかり飲んでいてはアルコール依存症まっしぐらです。

ズンバも足腰への負担がありますから、いつまでも続けられるわけではありません。

 

老後のためにお金も必要ですが、それ以上に、自分の中で満足を作れるようにならないと。

温泉旅行にはしょっちゅう行けなくても、近所の銭湯のサウナと水風呂に通ったり、オーソドックスですが、読書と映画。不平不満を抱えた老女にならないように、何かおもしろいことはないかと探す毎日です。

教室は不思議のダンジョン

日本語学校のある日の作文クラス。

20代のカナダ人学生。社会人で、長期休暇で来日したとのこと。

「ゲームが好き」というので「日本のゲームの『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』を知っていますか」と聞いてみました。

 

彼はにっこり笑ってこう答えました。

「私はカナダのスクエアエニックスの社員です」

 

20代から30代にかけて、この二つのゲームを延々とやっていました。

スクエアとエニックスが合併した時は本当にびっくりしました。当時はビジネス記事も書いていて、取材にも行ったものです。海外進出を果たしたスクエアエニックスの社員に日本語を教える日が来ようとは…。

 

ゲームといえば思い出すのが、この夏に教えたホセ。こんな作文を書きました。

「私の一番最初の記憶は、父のひざの上で、父がニンテンドーゼルダをプレーするのを見ていたことです」

海外のオタク第二世代が日本語を学ぶ年齢になったんだと感慨深いものがありました。

bob0524.hatenablog.com

 ホセの夢はゲームプランナーになること。そのためにゲーム先進国である日本に留学しました。

「じゃあ、作文のテーマもゲームにしましょう。どんなゲームが好きか書いてください」とテーマを与えると、ホセは目を輝かせて書き始めました。

 

ホセが好きなゲームのタイプは「rougue」。

う…なんだろう。

私の授業では辞書としてスマホタブレットの使用も解禁しており、学生がカタカナ表記がわからずアルファベットで書いた言葉もその場で検索することにしています。

 

rougue(ローグ)とは、ダンジョン(迷宮)探索型のコンピュータRPG

ダンジョン…ということは、『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』もローグ? 

私が廃人になるほどやりこんだゲームです。

ダンジョンでモンスターと戦いゴールドを得て、アイテムを拾う。レベルアップしながら、地下へと降りていきますが、HPがゼロになるとゲームオーバー。せっかく集めたゴールドもアイテムもすべて失い、レベルも1に戻り再びダンジョンの1階から冒険を始めます。

 

いい武器や防具が手に入っても、ふとしたミスで命を落とすこともあれば、しょぼい武器と防具でも機転を利かせて生き残ったり。武器も防具も申し分なく、ミスもしないのに、パンが手に入らず飢え死にすることもあります。

 

トルネコの大冒険』のキャッチコピーは「1000回遊べるRPG」ですが、私は1000回以上やりこんだかも。 

トルネコの大冒険』は前世の記憶を持つ輪廻転生です。

何回も繰り返してさまざまな失敗(死)を繰り返したことで、経験値は高くなっています。

 

ホセにトルネコの話をすると、秋葉原の中古ゲーム屋を巡ってソフトを手に入れました。自宅にはスーパーファミコンがあるそうです。

「先生がそんなに好きなゲームなら、僕も絶対やってみる」とホセ。

卒業時には「先生は私に日本語のスキルを与えたマスターです」とイラスト入りの感謝状をもらいました。

 

トルネコ中毒にになっていた時期、こんなことやってていいのかと落ち込んだものですが、20数年を経て、外国人学生との強い絆が生まれるきっかけになるとは。

 

私が教えている作文クラスは、まさにダンジョンのようなもの。

せっかく育てた学生も時期が来れば卒業していきます。そしてまたレベル1の学生が入ってきて、自分の名前をカタカナで書くことから始めます。一方で、母国の大学で日本文学を専攻していて、いきなり源氏物語について書き始める学生もいます。

 

同じことを繰り返しているようでいて、さまざまなタイプの学生と接することで経験値を得て、教師としての私のレベルは少しずつ上がっているはずです。

 

引退して高齢者施設に入ったら、日がな一日トルネコで遊ぶつもりです。

認知症になってもトルネコだけは、うまく遊べるような気がします。  

 

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 高知の室戸岬空海が修行した洞窟、御厨人窟(みくろど)。

ダンジョンで悟りを得る人もいれば、迷いながらダンジョンを行ったり来たりする人生もあっていいと思います。