翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

仙台酔いどれ開運旅

2017年は酉の年。そして5月は巳の月。

そうなると丑の方位に出かけないわけにはいきません。十二支を円形に並べて正三角形になるのが三合。巳酉丑の三合の吉方取りです。

 

というわけで仙台に2泊3日の旅に出かけました。

十二支の三合には、それぞれ強化される運気があります。

巳酉丑は、三合金局(さんごうきんきょく)ですから、お金を増やして楽しい人生を送ることが最終目標。

といわけで、少々奮発してちょっと贅沢な宿に泊まることにしました。そして、三合金局の親分は酉です。酉にさんずいをつけると酒ですから、たっぷりお酒を飲むことにしました。吉方に出かけるだけでなく、吉方の象徴を体現することで開運効果は倍増します。

 

1泊目は仙台の奥座敷、秋保温泉へ。

秋保温泉の湯守を代々務めた「佐勘」に泊まりました。G7財務大臣中央銀行総裁会議が開催された宿。お金の匂いがぷんぷんします。

佐勘の朝食は、ビールとワインが飲み放題。朝からアルコールなんて、まさに旅の醍醐味です。

 

仙台では、キリンビールの工場見学へ。できたてビールの試飲ができます。

 

 

仙台から東京に戻る新幹線では日本酒を楽しみました。

仙台銘菓「萩の月」ならぬ萩の鶴。

 

 

飲みすぎて後悔することもありましたが、お酒があるからこその楽しみも味わってきました。

三合金局の吉方取りによって、これからも楽しくお酒が飲める人生になりそうです。

 

部屋は運気を写す鏡

家を持たずに、次々と人生を展開させている坂爪圭吾さん。

仕事からも解放されて、そういう生き方もあるのだろうけれど、そこは向き不向きがあり、誰でもできることではありません。

 

坂爪さんのブログを読んでいて、「これって、女性誌の開運記事でさんざん書いてきたことだ!」という文がありました。

 

ibaya.hatenablog.com

 

家のない生活をしていた頃、一般家庭に宿泊をさせていただく機会が頻繁にあった。ひとのプライベート空間を覗き見る機会は(これまでの人生では)あまりないことだったので、幾つかの新鮮な発見があった。そのひとつが「いい感じのひとの家には花や植物が置かれている場合が多く【空間全体に「愛されている」という雰囲気がある】、停滞している感じのひとの家には造花を含めた大量のプラスチック製品が置かれていることが多い【空間全体に「愛情不足感」を覚える】」ということで、それから、わたしは(贖罪の意味も込めて)おはなを配るようになった。こんなことを書くと嫌な感じのやつだなお前はと思われちゃうかもしれないけれど(でも書く!)、スタイリッシュなひとの家はスタイリッシュな部屋づくりがされている場合が多く、肥満傾向にあるひとの家には大量の荷物が置かれている場合が多い。 

 

そうそう、女性誌の風水記事では、しょっちゅう「やせたいのなら部屋を片付けろ」「開運のために花を飾れ」と書いてきました。

 

英語で"You are what you eat"と言いますが、"You are how you live"とも言えます。

 

坂爪さんほどではありませんが、女性誌の取材で読者のお宅に訪問することもよくありました。

 

運気が低迷して肥満気味の人の部屋に花が飾られていることはまずありませんでした。

 

ホコリを被った趣味の道具。「いつかそのうち」と言いつつ20年以上、触っていません。アメリカに留学した時に録音したカセットテープ。再生することもできないのに…。電池切れで止まった時計、何年も前のカレンダー。

そういう人に限って、開運グッズに興味津々で、風水アイテムを棚に無理やり押し込んでいたりしますが、開運どころか運気の混乱をもたらすだけです。

 

使われることなくしまいこまれた品々も運気を下げます。

死蔵品から「どうして私を使ってくれないの」という恨みのような気が出て、坂爪さんのいう「愛情不足の空間」を作るからです。

そうはわかっていても、断捨離に取り組むのはつい先延ばしにしがちです。乱雑な部屋でも、そこで暮らしているうちにすっかり慣れてしまうからです。

人を招いたり泊めたりすることで、自宅を他人の視線で見るようになり、「これじゃ恥ずかしい」と断捨離のモチベーションが上がります。

というわけで、今年の夏も日本語を学ぶフィンランド学生のホームステイを受け入れることにしました。最初の年のヘンリク君があまりにもすばらしかったため、つい比べてしまいがちですが、どんな子が来ても、その子の個性を受け入れたいものです。

 

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 あしかがフラワーパークにて。

 

「センスのある損」をしよう

週の前半は日本語教師として働き、後半は本業の原稿を書き、一週間が過ぎていきます。ライター業を「本業」と呼ぶのは、収入に占める割合は圧倒的に原稿料が高いからです。

日本語教師は儲かる仕事ではないことは、養成講座に通う前からわかっていました。しかも養成講座の授業料が60数万円。お金が大好きな私が、あえて損をするような選択をしたのは、易の「山沢損(さんたくそん)」の教えからです。

 

易の六十四卦に「山沢損(さんたくそん)」と「風雷益(ふうらいえき)」があります。字面だけを見れば、「益」がよさそうですが、「損」の次の卦は「益」。損をするから益がもたらされるのであって、「山沢損」が出たらそのうち「風雷益」に転じると読みます。

だったら、わざと「損」をすることで「益」に転じるのではないか。

そして、日本語教師の仕事は、金銭的ではなく精神的な「益」(外国好きという軽薄な願望を満たす)をもたらすと考えたのです。

 

ある日、ネットを見ていたら「センスのある損」という言葉に出会いました。

家がない生活をしていたら、困窮するどころか次々とおもしろいことが転がり込んできたという坂爪圭吾さんのブログです。

 

ibaya.hatenablog.com

カウチサーフィンを始めた頃、「外国人旅行者を自宅に泊める」という話をすると、「危険じゃないの? 泊めてご飯も出してるって? どうしてお金ももらわないでそんなことをするの?」と不思議がる人がたくさんいました。

当時、燃え上がっていたフィンランド熱により、フィンランド人の友達を作るためには、カウチサーフィンが一番手っ取り早いと思ったからです。

フィンランド人以外でも、リクエストメールを読んで友達になれそうな人ならホストしました。日本好きの外国人を自宅に泊めて交流できるなんて、これ以上センスのある損があるでしょうか。

 

カウチサーフィンで我が家に泊めた日本オタクのフィンランド人から、日本語教師という仕事を知りました。そして、現在働いている日本語学校アコモデーション担当者から「うちの学生のホストファミリーになってくれませんか」という連絡をもらったのです。

 

そうして我が家にやって来たのが、王子様のようなヘンリク君。

10代の若者を預かって大丈夫だろうかと心配したのですが、こちらが学ぶことほうが多い3週間でした。

 

bob0524.hatenablog.com

bob0524.hatenablog.com

この時点では、ヘンリク君の学校で働きたいという下心はありませんでしたが、結果的にヘンリク君が結んでくれた縁で、オタク学生に日本語の作文を教えるというこれ以上ないポジションを得たのでした。

 

わざと損をしたつもりが、とんでもない益に発展してしまいました。次の「センスのある損」を探さなくてはと考えている、どこまでも欲の深い私です。

 

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広島・呉の森田食堂のお勘定は、クラシックなそろばんで。『この世界の片隅で』の主役の声優を務めたのんが絶賛する食堂です。 

開運とは、はまり役を演じること PART2

語学の勉強というのは、基本的につまらないものです。

世の中には「いや、語学ほどおもしろいものはない」という人もいるかもしれませんが、ある程度まで語彙や文法を覚えなければ、コミュニケーションはできません。よほど記憶力に恵まれた人でない限り、何度も反復練習を繰り返す必要があります。復習をしていなかったために、授業中に教師に指名されてちゃんと答えられない恥ずかしさ…。

私が英語の授業を少しずつ楽しみ始めたのは高校2年ぐらいから。教材に読んでおもしろいと思える英文が出てきたからです。

日本語学校で作文のクラスを教えていますが、ほとんどの学生は、日本語の内容を楽しめるレベルまで到達していません。最初のうちは「私の名前は○○です」「○○から来ました」「犬より猫が好きです」といった自己紹介文を書いているものの、いつまでもそんな内容では飽きてきます。
ほとんどの学生は日本の漫画やアニメ、ゲームにハマって日本に来ました。日本語を使って働きたいというよりも、「若いうちにしばらくアジアの国に滞在して視野を広げるのもいいだろう」と親が考え、その費用を出せる富裕層の子弟です。
漫画を日本語の原文で読みたい、吹き替えなしでアニメを見たいというのが彼らの野望です。

そんな彼らが日本語を書きたくなるようにするにはどうしたらいいのか。
毎回のテーマは決めますが、学生たちが書いたものを手がかりに、「ここをもっと書きたいんだろう」というポイントを探し、質問やヒントを与えて膨らませていきます。
教師というより編集者のようなものです。私が原稿に行き詰まった時、編集者はどんなふうに手助けしてくれたかを思い出します。

数週間しか日本に滞在しない学生に学生に文型積み上げ式で教えてもしかたがないんじゃないかと思っていたし、作文はあくまでも選択科目で、必修のレギュラークラスではちゃんと文法を教えています。
ディレクターが「エッセイ(作文)とカリグラフィー(習字)は学生が個別に取り組むクラス」と言ったことがあり、みんな一緒じゃなくてもっと個人にフォーカスしようと思いました。

ある時、同僚の先生がこんなことを言いました。
「作文のクラスの学生はラッキーですね。プロのライターに教えてもらえるのだから」
週刊誌のライターは正しい日本語よりおもしろい原稿を書かなくてはいけないので、日本語教師にはあまり向いていないのですが、今の作文のクラスなら、私のやってきたことが最大限に生かせるわけです。

ちょうど5年前に書いたブログ。「開運とは、はまり役を演じること」
d.hatena.ne.jp

この頃は対面鑑定の占い師もやっていたので、占いの活用法みたいなことを書いていますが、結局私は、占い師よりも外国人相手の作文指導というのがはまり役だったのでしょう。


足利学校の門。

「さあ、あなたの暮らしぶりを話して」

ミステリーの女王として名高いアガサ・クリスティーは二度の結婚をしています。
最初の結婚は夫に浮気されてさんざんな結果に終わりますが、二度目は14歳年下の考古学者と結ばれました。
お相手のマックス・マローワンが結婚を決意したエピソード、自分もかくありたいと思うのですが、なかなかできません。

d.hatena.ne.jp

夫の古代遺跡発掘調査に同行した際の記録『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』。

原題は"Come, Tell me how you live"。
日本学校の作文のクラスで、このフレーズが頭の中をぐるぐる回っています。

週2回のクラスで6週間12回を1サイクルとして、各回、学生のレベルは違っても同じテーマで書くようにしています。一通りテーマを決めて教材を作ったら楽ができるかと思ったのですが、繰り返し受講する学生もいるし、顔ぶれによって興味の対象も微妙に違うので、毎回、頭をひねっています。

「自己紹介」「私の家族」「私の国」…と展開していくのですが、ある時「私の家族」でほとんど同じ作文が提出されました。チリ人の学生二人です。
「どうして同じですか?」といぶかしがるがる私に、「僕たちは兄弟なんですよ」と二人。そりゃ、両親の名前や年齢、趣味が同じになるはずです。

やさしそうなホセがお兄さんで、茶目っ気たっぷりのニコラスが弟。寮の二人部屋で仲良く暮らしているようです。一計を案じて、次のクラスではそれぞれ別のメモを渡しました。
ホセには「ニコラスさんはどんな弟さんですか」、ニコラスには「ホセさんはどんなお兄さんですか」で始まり、テーマがかぶらないようにしました。

それから、祖母が日本人だというデンマーク人の学生がいます。
彼の祖母は50年ほど前に単身でデンマークにわたり、デンマーク人と恋に落ちて結婚したのです。そして孫は柔道をやり、日本語を勉強するために来日。
「あなたはおばあさんの話を書くべきだと思う。とても勇気のある人でしょう。私はとても知りたい」とうながしました。

そうしたやり取りを、他の学生たちがうらやましそうな顔をして見ていました。
上級レベルの学生には、テーマに関係なくフィクションでもなんでも自由に書いていいことにしていますが、そこまで達していない学生は、白紙を前に好きなことは書けません。
そこで私がモデル文を渡して、言葉を変えて書けるようにしているのですが、興味のないテーマだと、80分のクラスはあまりにも長い。みんな、自分の話を書きたいのです。

そこで、共通テーマはあるものの、前回のクラスで書いたものに対する質問など、学生一人一人にメモを渡すようにしました。
すると、みんな、一気に熱心になりました。質問も活発に出て、80分でも足りないぐらいです。

この路線、けっこういいかもしれないと思ったのですが、準備に時間がかかるのが難点。
学生の作文を読み込み、それぞれの日本語のレベルに応じて適切な質問を考えるのですから。
しかも、作文クラスの受講希望者が増えて1クラスで収まらず、2クラスになってしまいました!

仕事と思うから重荷になります。
日本語学校で教えるのは、もともと趣味で始めたようなことです。
旅先で出会った人に「さあ、あなたの暮らしぶりを話して」と会話したかったのですから、世界各地からやって来た学生を相手に質問を投げかけるのは、とても楽しいことです。そして、学生たちも作文の時間を楽しんでくれたら、こんなにうれしいことはありません。


足利学校の「かなふり松」。読めない漢字や意味のわからない言葉を紙に書いて松の枝に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈が書き込まれていたそうです。
私がやっているのも同じようなことです。