翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

サプライズ来日

3週間のホームステイは長いと思っていたのに、ヘンリク君が来たら毎日が楽しくてあっという間でした。
2週間が過ぎた頃、「もうあと1週間しかないのね…」と寂しがっていると、「今からそんなこと考えないで! 考えるとしたら、明日の阪神タイガースのゲームだよ!」とすっかりトラキチとなったヘンリク君。

「学校はオタクだらけ」と嘆いていたヘンリク君ですが、ある日、上機嫌で帰ってきました。
「今日は秋葉原に行ったよ。でも、ノーモア・メイドカフェ! ノーモア・マンガ! ノーモア・オタク! 160キロのボールを打ったんだよ!!」
野球好きのアメリカ人やメキシコ人学生と知り合い、一緒にバッティングセンターに行ったそうです。

そしてある日は、縦縞のユニフォームを着て帰宅。新宿の京王百貨店にあるタイガースショップで買ったそうです。
どの選手のユニフォームを買おうか迷っていたら、話しかけてくれる人がいて、鳥谷選手を勧められそうです。
「タイガースじゃなくて、ドラゴンズのファンだったけど、とてもいい人だったよ」とヘンリク君。そりゃ、金髪の外国人が熱心にタイガースのユニフォームを物色していたら、野球ファンは声をかけたくなるでしょう。


世の中には親切な人がいるもので、東京ドームの3塁側、タイガースベンチ上の最前列チケットを2枚、譲ってくれました。
鳥谷にゴメス、マートン…。選手を間近に目にすることができ、ヘンリク君は大興奮で声援を送っていました。
試合は4−2でタイガースの勝利。大いに気分よく帰ったのでした。

その後も試合のある日はテレビ観戦。試合後のヒーローインタビューまでしっかり見ます。
殊勲打を打った選手、ピンチをしのいだ投手が「たまたまです」とよく答えるので、意味を聞かれました。
「自分の実力です」「当然です」のような答えはあまり好まれないのが日本のスタイルであり、相撲でも勝ったからといってガッツポーズをする力士はあまりいないと答えました。

あるいは「虎や龍など強そうなチーム名はよくわかる。つばめも素早いイメージがあるので野球にふさわしい。だけど鯉は? どうして選んだんだろう?」という質問。
「中国の言い伝えで『滝を登った鯉は龍になる』というのがあるから」
「だけど、同じリーグに龍がいるよ」
「イーチンの考え方では、今の状態よりもポテンシャルを重視する。すでに龍になった者に、これから龍になる者が勝つ可能性は十分ある」
ヘンリク君は野球専用の日本語ノートを作り、熱心に書き込んでいます。

夕食はホットプレートを出して餃子やお好み焼き、焼きそばという安直メニュー。しかも、テレビを見ながら食事をするという行儀の悪さです。学校からは「特別なことはしなくていい、普段通りで」と言われているので、開き直っています。

そんなある夜、ヘンリク君のフィンランドのお父さんからスカイプで連絡が入りました。

礼儀正しいヘンリク君は、必ず私に許可を求めてから電話に出ます。
何やらびっくりしているヘンリク君。もしや実家で変わったことが?

「ホームステイの最終日、新宿で会おうって父が言うんだ」
「それってどういうこと?」
「両親と弟の3人が来日して、数日間、新宿に滞在し、家族一緒にフィンランドに帰ることになった」

ヘンリク君にも知らされていなかったサプライズ来日です。
そういえば、最終日は成田まで送って行こうとフライトの時間を聞いていたのですが、お父さんが手配中でまだわからないと言われていました。

かなり裕福な家庭だろうと察していたのですが、ヘンリク君の留学に合わせて一家で日本滞在とは。
いつかはフィンランドでヘンリク君の両親と会うかもしれないと思っていたのですが、こんなに急な展開は想像していませんでした。

「母が『今、何していたの?』と聞くので、テレビで野球を観ていたと答えたら、『ヘンリク、他にやることはないの?』と言われた」

これを聞いて、そわそわしてきた私に「なぜナーバスになっているの? 僕の家族がここに押しかけてくるわけじゃないんだよ」とヘンリク君。

「いや…、あなたの両親としては、日本でのホームステイであなたが何か有意義なことを学ぶのを期待していたわけでしょう? 毎晩、野球を見ていたと知ったら、どう思うだろう? 今からでも何か意味のあることを始めるべきだと思う。日本語の授業の復習とか」

「何、言ってるんだよ。毎日、意味のあることばかりだったよ。それに野球は日本文化の重要な一部分だと思う。多くの日本人が夢中になっているし、夏の高校野球トーナメントは単なるスポーツというより社会的なビッグイベントなんだろう?」

ヘンリク君、この調子で両親に「息子を日本にホームステイさせてよかった」と納得させてくれるといいのですが…。

最終日に新宿のホテルまで送って行き、両親に挨拶すると「ぜひ食事をご馳走させてほしい」と誘われました。
食事中、野球の話題はあまり出ず、うまく切り抜けました。

と、安心していたら、帰り際にヘンリク君が「ねえ、今日のオールスターゲームは何時から?」と大きな声で聞いてきました。さてはホテルにこもってテレビ観戦するつもりか。

そして最後に、阪神タイガースペナントレースの結果を必ず知らせると約束し、新宿の雑踏で別れたのでした。