翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

ヘンリク君から学んだこと

ヘンリク君が我が家を去って2週間が過ぎました。

向田邦子のエッセイに、「同窓会に出席したら、元同級生に子供が生まれた記念に恩師が植えたという樹が見上げるような大木になっていて、自分がこの人生で持てなかったものをまざまざと見せつけられた」という内容が書かれてありました。

外国人学生のホームステイを打診された時、私もそんな感情を持つだろうかと思いましたが、そんなことはありませんでした。

なにしろ18歳のヘンリク君は、折々に育ちの良さを感じさせる青年で、「私にも子供がいたら」なんて想像が入り込む余地はまったくありません。

覚えたばかりの日本語できちんと挨拶して、何かをしてもらったら、しっかりお礼を言う。不平不満は一切表に出さず、喜びは素直に表現する。決して相手を不快にさせず、自然に好意を引き出します。
フィンランド人はシャイであまりコミュニケーションが得意ではないイメージだったのですが、ヘンリク君は初対面の人でも物怖じせずに接します。

学校の最終日に帰宅して、こんなことを言ってました。
「一緒に勉強したメンバーでもう顔を合わせる機会がないと気がついた。もちろん、一人一人とは再会することもあるかもしれない。でも同じメンバーで会うことは、まずないだろう。フィンランドには小さい頃から一緒の友達が多いし、高校で別れても地元で顔を合わせることも多い。だから今晩は、これまで味わったことのない気持ちになった」

ヘンリク君の両親はいわゆるグローバルエリートですが、国際的な分野で重責を果たすには、異なる文化背景を持つ人と友好的な関係を築く必要があります。今回、ヘンリク君を日本に留学させたのも、語学以外にも学ばせたいものがあったからでしょう。

お母さんはスウェーデン系で、ヘンリク君はお母さんとはスウェーデン語、お父さんとはフィンランド語を話すという家庭内バイリンガルとして育ちました。
ヘンリク君が18歳にして、高度な対人スキルをマスターしているのは、異なる言語や文化背景を持つ者同士が平和的に生きる術を両親からしっかり教わったからでしょう。

知能と運動神経は、本人の資質による部分が大きいけれど、対人スキルは親をロールモデルとして身に付けていく割合が高いのではないでしょうか。

子供は親を選べませんし、ある程度の年齢に成長するまでは、親の思考や行動が当たり前だと思い、そのパターンから抜け出すのはけっこう大変です。3週間、ヘンリク君をホストして両親にもお会いしたことで、生まれ育つ環境は子供の人生を大きく左右し、社会的格差が親から子へと受け継がれていくことがよくわかりました。

50代にもなって「親のせいで」というのも恥ずかしい話ですが、18歳の私がヘンリク君のようだったら、人生はもっとスムーズに展開していたかもしれません。
「私にも息子がいたら」ではなく、「私もヘンリク君のように育ててもらいたかった」と考えてしまう未熟な人間だから、子供を産み育てるなんて大それたことには絶対に手を出さなかったのです。

親が私を育てていた年齢よりずっと上になった今では、あの頃は親自身にも精神的なゆとりがなくて、子供にいい手本を見せるどころではなかったのだと理解できます。
そして私も、ちっとも可愛げのない子供でした。理屈をこねては自分を正当化し、専業主婦の母親を軽んじて、家事の手伝いもほとんどしませんでした。そんなわがままを許しているのに、学校の成績が特別に優秀ということもなく、親がうんざりするのも当たり前です。ヘンリク君と接するうちに、親に対して申し訳なかったという気持ちが湧いてきました。

日本語の文法に四苦八苦するヘンリク君に「構造がまったく違う日本語をよく学ぼうと思ったね」とネガティブ発言をしてしまったことがあります。
スウェーデン語ネイティブのヘンリク君にとって、ドイツ語をマスターするのはそうむずかしくなかったと聞いたし、ドイツ語と英語も同じグループの言語だからです。

「それでも、新しい言葉を一つでも覚えて、日本人に通じると、うれしくなるよ」とヘンリク君。そう、語学学習は苦しいことばかりでなく、楽しいこともたくさんあります。

毎日、夕方になると「ただいま!」と元気な声で学校から帰ってきたヘンリク君。
「学生の日本語学習を助けてあげてください」と学校には言われていたけれど、3週間を振り返ると、こちらのほうが学ぶ側でした。

「来年、ヘンリクは兵役だから、日本語の勉強は少し休むでしょう」とお母さん。
フィンランド男子には徴兵制があるのです。お母さんは当たり前のことだと言わんばかりのさらっとした口調でした。
この一言で、あんなに親しかったヘンリク君が急に遠い異国の人に感じられました。再び会う機会があったとしても、少年らしさは消えて、すっかり大人になっていることでしょう。


江戸東京博物館にて。英語のボランティアガイドが案内してくれました。「江戸が東京という名前になったのはなぜ?」「武士が差している二本の刀のそれぞれの役割は?」といった質問をするヘンリク君。勉強になりました。

「あなたのお母さんのために」とヘンリク君の写真をたくさん撮りました。阪神タイガース観戦以外にもあれこれやったことをお母さんに見せたかったのです。最愛の息子を3週間も手放したお母さんは、日本でどんな毎日を送っていたか知りたいことでしょうし。
プリントした写真をアルバムにしてプレゼントすると、とても喜んでもらえました。
「私たちの世代は、写真というとプリントされるものでしたから」と私。こんなすばらしいフィンランド男子を3週間レンタル?させてくれたお母さんへのお礼です。