翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

フィンランドの光と影

フィンランドが好き」というと、ゆるふわな森ガールのイメージですが、私はアキ・カウリスマキの映画でフィンランドにハマりました。

 

『浮き雲』という映画です。不況で夫婦そろって失業する話。登場人物は野暮ったくて口数が少なく、全体的なトーンは暗いのですが、くすっと笑えるシーンもある映画でした。

 

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フィンランド人とつながりたかったけど、フィンランド人はシャイで外国人となかなか打ち解けません。フィンランドの留学記を読むと、「1年以上過ぎてやっとフィンランド人と言葉を交わすようになった」という記述があり、若い人ならいいだろうけど、50代の私はそんな時間はないとため息をついたものです。

 

そこで始めたのがカウチサーフィン。日本を旅行するフィンランド人旅行者を自宅に泊めれば、いやでも仲良くなるだろうという下心があったからです。

カウチサーフィンの思わぬ副産物で日本語教師になりました。

 

bob0524.hatenablog.com

 

ここ数年、フィンランドに恋い焦がれるように生きてきたわけですが、日本を出てフィンランドに住みたいかというと、ちょっとためらってしまいます。

外から見る分にはあこがれの国ですが、実際に暮らすとなると、いろいろと大変そう。

特に病気になったとき。フィンランド人は「病院を予約しても、診察は何日も先になるので、軽い病気なら治ってしまう」と言います。

フィンランド在住の友人のブログを読むと、深刻な病気になったら大変そうです。

Visit Lakeus フィンランドの病院事情

 

絶賛されているフィンランドの教育にしても、「落ちこぼれを出さないという点では機能しているが、優秀な生徒には物足りない」と聞いたことがあります。

教育費が無料といっても、大学入試はかなりの難関です。大学はすべて国立ですから、誰でも入れるFランの私立大学なんてありません。

 

日本語学校で北欧の学生から「日本は大きな政府ですか、小さな政府ですか」と聞かれたことがあります。社会保障は手厚くないけれど、なんでも自己責任というわけでもありません。「どちらでもない」と答えると、「それはすばらしい、バランスが取れていますね」と学生。うーん、どちらも中途半端でうまく機能していない部分も多いし、少子高齢化が進むと日本自体が立ち行かなくなりそうです。

 

光あるところ必ず影がある。

フィンランドは遠くにありて思うもの。旅行なら、光の部分だけを見て、楽しく過ごせます。そして日本オタクの外国人学生も、数週間の留学なら、楽しかった思い出だけを胸に帰国していきます。

 

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一見、 ヘルシンキ大聖堂。下関駅前の結婚式場です。

「何を学ぶか」より、「どう学ぶか」

子どもの頃、学校に行くのが嫌でたまらなかった私が外国人相手とはいえ、教師になってしまいました。

 

教育現場にも改革の波が押し寄せ、私が受けたような教師が一方的に知識を伝授するスタイルは時代遅れとなりつつあるようです。

ここ数年もてはやされているのが、フィンランドの教育。

 

www.asahi.com

 

高校2年生の数学の授業のようすが紹介されています。

 数学を担当する男性教師ペッカ・ぺウラ先生(35)は、全員に向かって講義をすることもなければ、黒板も使わない。その代わり、小さなメモ用紙とペンを手に生徒たちの机の間を歩いて回り、質問があれば一人ひとりを相手にじっくりと解説する。生徒たちが開いている教科書のページはバラバラ。ヘッドホンをつけて、音楽を聴きながら問題を解いている生徒もいる。ぺウラ先生は「高校生にもなれば学力に差がつく。全員を一律に教えても生徒はついて来られない」と話す。

 

シリーズの2回目は小学校1年生の工芸の授業。

アイスキャンディーの棒に毛糸を巻き付けて目をつけ、芋虫のような工作を作ります。

毛糸の長さも配色も自由。手先の器用な子はどんどん作り、先生に見せに来ます。

その一方で「むずかしい」「できない」という子も。すると先生はその子だけ簡単な作り方に変えました。

先生は記者にこう説明しました。

「大事なのは完成させること。『できるんだ』という成功体験を大事にしたい」

 

記事では、フィンランドで10年ぶりに改訂された学習指導要領も紹介されています。

新指導要領では「何を学ぶか」から、「どう学ぶか」に重点が大きく変わった。子どもの「好き」を刺激し、自尊心を育むことを目指す。

 

これを読んで、日本語学校で私が教えている作文クラスの方針が固まりました。

文法や活用のリピート練習は、日本語能力でレベル分けされている通常クラスに任せよう。

さまざまなレベルの学生がいる私のクラスでは、日本語を使って自分の「好き」を表現することを目標とし、全体授業はやらない。

そして、漢字を使わずひらがなだけでも、書くのに時間がかかっても、学生に恥ずかしい思いをさせない。

学生に同じ課題を渡せば、学力差があらわになってしまいますが、別々の課題なら、ほかの学生と比べることはありません。

 

同僚の先生の一人から「作文のクラスって自習みたい」と言われたこともあります。資格を取るために受けた日本語教師養成講座では、こんな教授法はまったく出てきませんでした。

 

作文とはいえ、一応は語学学校ですから、私のやり方でいいのか悪いのか、わかりません。

それでも、学生の中で「こんなことを日本語で書きたい」という意欲が湧き起り、その手伝いができればそれでいいんじゃないかと思っています。日本語の知識を詰め込むよりも、どう学んだかをおぼえてほしいから。

 

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4年前、フィンランドを旅して、ひょんなことから小学校の授業を見学しました。その時は単なる好奇心しかなかったのですが、今の状況へと導く出来事だったのかもしれません。bob0524.hatenablog.com

 

どの仕事も無理ゲー

好きで始めた日本語教師の仕事。

本業がライターということで、選択科目の作文クラスを教えることになりました。

学生のレベルはさまざま。ひらがなを練習している初心者から、母国の大学の日本語学科で源氏物語を専攻している学生までいます。

 

始めたばかりの頃は、無理ゲーに手を出してしまったと後悔したものです。

学生のレベルに差がありすぎるので、一斉授業はとても無理だし、書いた作文のプレゼンテーションも行いません。

初心者と上級者用に教材を分けても「むずかしすぎる」「簡単すぎる」というクレームが出ます。

しかたがないので、学生一人一人の書いたものを読み込み、次の課題を与えることにしました。すべてを一から作っていては時間が足りないので、ある程度のサンプル課題を作っておき、学生のレベルや興味に合わせてアレンジします。

 

25年近く雑誌の編集ライターをしてきたので、取材対象に合わせて質問を組み立て記事を構成する作業に似ている部分もあります。

一人ずつ教材を作るのは、手間がかかりますが、仕事ではなく趣味だと思って無理ゲーを続けています。

 

だけど、大変なのは私だけじゃない。

実家に帰るたびに、「これは私にはとても無理」と思う仕事があります。

介護ヘルパーという仕事です。

 

実家では80代の父が一人暮らしをしています。要支援1の状態で、自費も使ってヘルパーさんに来ていただき、なんとか自宅で暮らしています。

よその家のキッチンで、その場にある食材で料理を作るヘルパーさん。ベテランの主婦だけあって、なんでもない料理がとてもおいしく、帰るたびにレシピを聞いています。料理だけではなく、掃除も行き届いていますし、散乱した衣類を片付け専門家みたいに収納してくれます。

家事のスキルがあっても、利用者の中には気むずかしいお年寄りもいるだろうし、こんなに大変な仕事をよくやるものだといつも感心しています。

 

飛行機で約1時間、新幹線で3時間ほどの距離なので、そう頻繁に顔を出すこともできず、実家に帰るのは1~2か月に一度。ヘルパーさんのおかげでこの程度の頻度で済んでいます。

 

「誰にでもできる簡単なお仕事です」という求人広告がありますが、そんな仕事はどんどん機械に取って代わられ、世の中の仕事はどれも無理ゲーになっていくのではないでしょうか。

 

世間一般には無理ゲーだけど、「自分はこの手の無理ゲーならなんとかこなせる」というジャンルを持っていれば、細々とでも仕事を続けられるかもしれない。そう考えながら、お払い箱になるまでは仕事を続けたいと考えています。

 

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関門海峡の海底トンネル。本州と九州が歩いて渡れるようになるなんて、昔の人は想像もつかないことだったが、こうして現実のものになっています。

 

世の中には絶対に無理なこともありますが、最初に無理だと思っても、やってみるとなんとかできることもあります。

かといって、完全な無理ゲーなのに続けてしまい過労自殺に追い込まれる悲惨なケースもありますから、そのあたりを見極めたいものです。

 

ディランが歌い、イシグロが書く

カズオ・イシグロを読むようになったのは、彼がボブ・ディランザ・バンドの大ファンだと知ったから。

 

ディランだけでなく、ザ・バンドを並べたところにぐっときました。フォークからロックに転向したディランが大ブーイングを浴びていた時代、バックバンドを務めたのがザ・バンドです。

ザ・バンド」というバンド名は、ディランとウッドストックに隠棲していた頃、地元民から「ボブ・ディランと一緒にいるバンド(ザ・バンド)」と呼ばれたことに由来します。私はザ・バンドと一緒にやっていた頃のディランの曲が一番好きです。

 

ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロは「ボブ・ディランの次に受賞なんてすばらしい」と喜んだとは、作家よりミュージシャンになりたかったというのは本当だったのでしょう。

 

日の名残り』を読んだとき、真っ先にボブ・ディランの「ガッタ・サーヴ・サムバディ Gotta serve somebody」が浮かびました。

 


Gotta Serve Somebody Bob Dylan

 

「大使、世界チャンピオン、社交界の名士、実業家、泥棒、ドクター、チーフ…、あなたが何であろうが、誰かに仕えなければいけない」という歌詞です。

これでもかとばかりに、単語を羅列してくるディラン節。

 

サビのフレーズ。

 

Well, it may be the devil or it may be the Lord
But you're gonna have to serve somebody.
そう、悪魔かもしれないし、神かもしれない
しかし、あなたは誰かに仕えなければならない

 

 『日の名残り』の主人公スティーヴンスは執事でしたが、スティーヴンスの主人のダーリントン卿にしても、国に仕えようという意識があったからこそ、結果的に悪魔に仕えることになったわけです。

 

どんな立場であろうと、生きている限り、誰かに仕えなければいけないと、ディランが歌い、イシグロが書く。

 

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いかにも執事がいそうなイギリス様式の旧門司三井倶楽部。現在、内部は観光案内所とレストランになっています。 

 

カズオ・イシグロの『日の名残り』は小津安二郎の映画からも影響を受けています。

 

bob0524.hatenablog.com

 

すべての 名作はどこかでつながっていくものなのでしょう。

 

そしてカズオ・イシグロの『私を離さないで』。

作中に出てくる歌詞とは違うし、雰囲気もまった異なりますが、ディランとバエズのデュエット"Never Let Me Go"をつい連想してしまいます。おなじみの投げやりな歌い方のディランに、バエズが圧倒的な歌唱力で声をかぶせています。

 


BD-RTR01 (Never Let Me Go)

 

 

 

 

自分の中で満足を作りたい

「仕事がうまくいかない、やめたい。猫になってごろごろしたい」「いや、仕事をしないでごろごろしていると、そのうち世間からの承認を求めて厄介なことになる」という思いを行ったり来たりしている私。

 

一緒に易を学んでいる夏瀬杏子さんは、お母様が私と同じタイプ。杏子さんはお母様を「自分の中で満足を作れない」と表現します。

 

「誰もいない森の中で木が倒れたら音がするか(If a tree falls in a forest and no one is around to hear it, does it make a sound?)」という哲学の問いがあります。観測者がいなくても事象があったのかを問う一種の思考実験です。

「自分の中で作る満足」は、私にとって誰もいない森の中で倒れた木の音。聞く人がいないのなら、音はしないのと同じじゃないかと考えてしまいます。満足したなら、満足している私を人に見てもらいたい。なんという欲深さ。

 

そんな私が自分の中で満足を作れるのは、お酒とズンバ。

アルコールを飲むと、いろいろなことがどうでもよくなって幸せな気持ちになれます。

 

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那覇の福州園の滝と李白の像。李白の詩「将進酒」が紹介されていました。こんな内容です。

水が天井から流れ落ち、海に入たり水が元に戻ることがないように時の流れも戻れない。ならば酒を飲み、歌を詠み、人生を謳歌しよう。世に名を遺した聖人賢者は皆酒飲みだったから。

 

いやほんと、ほどほどに飲むことができたら、こんな素晴らしいものはないんですけど。

 

そして、いつまで続けられるのかとおびえつつ週5回続けているスタジオレッスンのズンバ。

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ズンバは上達を目指すのではなく、いかに自分が楽しむかというお祭り騒ぎ。落ち込むことがあっても、考え事をしながら踊ることはできませんから格好のストレス解消になります。

 

お酒とズンバで他者を必要としない満足を得ているものの、お酒ばかり飲んでいてはアルコール依存症まっしぐらです。

ズンバも足腰への負担がありますから、いつまでも続けられるわけではありません。

 

老後のためにお金も必要ですが、それ以上に、自分の中で満足を作れるようにならないと。

温泉旅行にはしょっちゅう行けなくても、近所の銭湯のサウナと水風呂に通ったり、オーソドックスですが、読書と映画。不平不満を抱えた老女にならないように、何かおもしろいことはないかと探す毎日です。