翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

勉強という暇つぶし

読書も温泉も格好の暇つぶし。

でもベストな暇つぶしは勉強なんじゃないかという気がしてきました。

bob0524.hatenablog.com

 

勉強というと、字面がよくないのか、やりたくないのに親や先生に強いられて無理やり勉めるイメージです。

小中高と学校が大嫌いだった私は、無理強いされることにいつも反発していました。

大人になって通った学校は、コピーライター養成講座と占い学校、そして日本語教師の資格を取るための講座。どれも自分で選んで入った学校なので嫌になることはありませんでした。

 

子供の頃に勉強が楽しい暇つぶしだとわかっていたら、違った人生もあったかも。若いうちには勉強の楽しさはわからないと思いこんでいたのですが、日本語学校で教えるようになって認識が変わりました。

 

大学に入る前のギャップイヤーで来日して日本語を学んでいるけれど、大学では語学ではなく法学や物理学などまったく関係ない専攻を選ぶという学生がよくいます。

 

じゃあ何のために日本語を学ぶのかというと、アニメや漫画が好きというオタク趣味もありますが、アジアの言語を学んで視野を広げたいという動機もあります。ドイツやスイス、オランダ、ベルギーから来る学生はドイツ語、フランス語、英語を自在に話し、それに加えて日本語を学びます。

英語を中学生から学んでもまともに話すことのできない日本人からすれば、信じがたい話です。

そして、ひらがなをやっと覚えたらかたかな、さらに漢字という日本語表記のむずかしさに音を上げるんじゃないかと思うのですが、「むずかしいけれど、まったく新しいことだから、学ぶことが楽しい」と言います。

 

「勉強すればいい学校に入れる、そしてたくさんお金が稼げる」と勉強を手段にすると、勉強は苦痛でしかありません。勉強自体を目的にすると、それは上質な暇つぶしになることを学生から教えてもらいました。

 

今は学生にいかにおもしろく日本語を教えるかを考えるので手いっぱいですが、引退後に延々と時間があるなら、何か勉強してみたいと思っています

 

f:id:bob0524:20171027112321j:plain

草津温泉のベルツ博士とスクリバ博士の像。ベルツ博士は明治初期に東京大学医学部に招かれ、草津温泉を訪れて温泉の効用を研究しました。

 

草津にはいつでも行ける

世の中には訪れたい場所がたくさんありすぎます。

あこがれの地のままで足を踏み入れることがないだろう海外の国々があり、「いつでも行けるからそのうち行けばいい」と一生行かずに終わる場所。

 

先月、初めて草津に行ってみて、「草津にはいつでも行ける」と思ってずっと来なかったんだとしみじみ思いました。

 

司馬遼太郎が初めて台湾を訪れたとき「台湾にはいつでも行けると思っていたから、つい怠っていた」と台湾人に言うと「台湾には『阿里山にはいつでもゆける』という言い回しがある」と返されました。

 

bob0524.hatenablog.com

 

 

嘉義まで行った時は「次は阿里山で花見」と意気込んだのですが、具体的な計画を立てるわけでもなく、月日が流れています。

 

東京都内でさえ、行っていない場所が無数にあります。

日本語学校の学生の「東京スカイツリーに行った」という作文を添削しますが、東京在住の私はいつでも行けると思いながらスカイツリーに行ったことがありません。

 

すべての場所に行く必要はありません。興味のない場所に、ただ有名だから行ってみるというガイドブックをなぞるような体験はおもしろくないだろうから。

でも、ずっと行きたいと思っているのに先延ばししていると、行く前に人生が終わってしまいそう。50代半ばを過ぎた私に残された時間はそう長くないかもしれないから。

日本人女性の平均寿命を考えると長い時間がありそうですが、行きたい場所に自分の意志で行ける気力と行動力を保っていられる時間は、どのくらいあるのでしょうか。

 

とりあえず草津には行けた。

次はどこに行こう。

旅行じゃなくても、前を通るたびに入ってみたくなるのに、足を踏み入れていない飲み屋でもいい。毎日同じことの繰り返しではなく、少しずつ体験を広げていきたい。

こう書くと若者みたいですが、老境に差しかかる年代にこそ、こんな姿勢で生きていきたいと願います。

 

f:id:bob0524:20171028162939j:plain

 

草津の帰り道、特急草津をせんべろの聖地・赤羽で下車。立ち飲みの「いこい」へ。土曜日だったので午後3時で店内は満員でした。

なんとかスペースを見つけて格安のおつまみと生ビール。こういう店が近所にあったらいいのにと思いつつ、日が高いうちから毎日飲んだくれるのもちょっと困るので、赤羽にあるぐらいがちょうどいいと思いました。

 

そして、気に入った場所は一回行っただけで満足せず、「いつでも行ける」と思わず草津も赤羽も必ず再訪しようと思いました。

易(えき)は変わる。易は変わらない

易の学びはどこまで行っても終わりがありません。

東洋占術は四柱推命を手始めに九星気学、風水と手を広げましたが、最もおもしろかったのが易。そして、収入に一番結びついたのも易です。

 

占いの収入といっても、対面鑑定ではありません。

私のメインの仕事は雑誌の原稿書きで、ここ数年、占いの原稿がかなりの割合を占めるようになっています。あと何年かわかりませんが、女性誌が続く限り、占いページの需要はあります。

易をテーマにした原稿はほとんどないのですが、東洋占術の基本は陰陽五行。陰陽の組み合わせで占う易でイメージを広げれば、原稿をどんどん書いていけます。

アメリカには、易を立ててストーリー展開を考える作家もいると聞いたのですが、陰陽の組み合わせは二進法と同じで、単純でありながら無限の広がりがあるのです。二進法を生み出したライプニッツは易に関心を抱いていたそうです。

 

「易」には三つの意味があります。

まず第一に「容易」の易で簡単。易が六十四卦あるのは、陰陽の組み合わせを6つ連ねると2×2×2×2×2×2で64パターンになるから。とてもシンプルです。しかし、ここから神羅万象に広がっていきます。

 

そして第二が「変易(へんえき)」。陰から陽に、陽から陰に、易は常に変化します。

易経」は英語で"Books of changes"。変易にフォーカスした英訳です。

 

第三が「不易(ふえき)」。易は変わらない。

え! 第二が「変わる」なのに、第三で「変わらない」? いったいどっち?

 

その解説を岩波文庫の「易経」から引用。太陽や月、星、春夏秋冬は常にとどまることなく変化していますが、そこに変わらない法則があります。

 

流水の相は同じであるが、すでにゆく水がまた返りくるのではない。花そのものは異なるも、今年もまた去年のように美しい花が咲く。

 

 

易経〈上〉 (岩波文庫)

易経〈上〉 (岩波文庫)

 

 

 暖冬だったり厳冬だったり、冬のようすは毎年変わりますが、秋の次に冬が来て、冬が過ぎると春になるという順番は変わりません。

変わりつつもあるも不変である。易が森羅万象を示すことができるのは、この真理を内包しているからです。

 

「次はどの温泉に行こうか」と、ネットを見ていると時間を忘れるほど熱中してしまうのですが、温泉宿についてこんなふうに書かれているブログがありました。

 

小さな宿も、長い目で見ているとあちこちを少しずつ新しくしている場合があります。一見して気づかないのですが。
そういう、こまめに手を加えている宿は、あくまで自分の経験上ですが、たいていがいい宿です。

 

www.onsen-oh-yu.com

 

温泉自体は昔から変わらなくても、宿は老朽化するし、客のニーズも変わります。宿としての本質は変わらなくても、少しずつ手を入れるのがいい宿の条件なのでしょう。

 

「変易」であり「不易」という易の本質は、この世のすべてにあてはまります。

 

f:id:bob0524:20171026194227j:plain

 

 天下の名湯、草津は昔も今も豊富なお湯が湧き出しています。その一方で湯畑のライトアップや宿やレストランのリノベーションなど、常に変わり続けています。

易(えき)で得られた卦を生き方の指針にする

立冬を過ぎると、冬至まで1か月半。

 

易者にとって一年の始まりは冬至です。

今年の冬至は12月22日。

東洋占術の基本である陰陽五行は季節の流れを陰と陽で示します。最も日が短くなる冬至は、陰のエネルギーが最大になる日。冬至を過ぎると陽が少しずつ伸びてきますから、冬至は「一陽来復(いちようらいふく)」の特別なタイミングです。

 

易は陰陽六爻(こう)の組み合わせですから、この日に一年間の流れを占う「年筮(ねんぜい)」を立てます。

 

一年の流れを占うとはいえ、易を単なる占いと言っていいものか。

易経四書五経の一つですし、「恋人ができますか」「お金が儲かりますか」「なくした物が見つかりますか」といった下世話な占いだけを易とするのは、ちょっと気が引けます。

 

中国でもこの論争は続いてきて、「占いはいやしい」と考える学者もいたそうです。

「人間は良心の命ずるままに行動すべきであって、結果の損得で行動を変えるのは倫理的に不純である」というのがその理由だと、この本で解説しています。

  

易―中国古典選〈10〉 (朝日選書)

易―中国古典選〈10〉 (朝日選書)

 

 

朱子は「私利私欲のために占ってはいけない」と説いていますが、なかなかそういうわけにもいきません。占いに頼るのは、少しでも幸せになりたい、有利な選択をしたいという願いがあるからです。

 

易を西洋に紹介したリチャード・ウィルヘルムは「占いの結果に対して『それなら私は何をすべきか』と問い返したとき、占いの書物は智慧の書物となる」と書いています。

 

吉凶を知ってそれで終わりにするのではなく、易から得られたメッセージを自分の生き方にどう活かすかで、易は占いから倫理学に近づきます。

 

そして、易経の卦辞、爻辞を見てそのまま告げるだけなら、単なるおみくじで占い師は必要ありません。

占的と合わせて陰陽がどちらに変化するかを考え、天からのメッセージを読み取るのが易のおもしろさであり、易の神様はなかなか心が広く、占う者の器に合わせてメッセージを送ってくださるような気がします。

 

易はどこまで学んだら終わりということはなく、一生を通じて学び続けるものです。

自分なんてとても人に教えられるレベルに到達していないと思っていたものの、天海玉紀先生のご尽力により、ウラナイトナカイで冬至の日に年筮講座を開催しています。今年で3年目となりました。

私が教えるというよりも、参加者の方々と一緒に得られた卦について考えを巡らせる場です。私も、この講座中に見本として自分の年筮を立てます。

 

去年の冬至に出たのは、沢雷随(たくらいずい)の三爻でした。

上卦の沢をもって「喜び、楽しみ」、下卦の雷をもって「動き」と読み、私の心の中で大きな比重を占めていた日本語教師の仕事は「学生が喜び、楽しめるような授業のために動く」をテーマにしてこの一年やってきました。

卦全体の意味が「従う」ですから、学校(上司)の方針に従い、教員室ではひたすら従順さを心がけてきました。

また、プライベートで今年大いにハマったのがJALの「どこかにマイル」。行先はJAL任せで、決められた目的地を受け入れ、いかに楽しむかに徹する旅はいかにも「沢雷随」でした。

総じて、この一年は自分から何かを決めずに、状況に従い動くことで、なんとか回ったような気がします。家族がかなり深刻な病気になりましたが、なったものはしかたがないから、自分ができる範囲のことを淡々とこなしていくしかないと割り切りました。

  

今年も冬至の日に、「天から与えられた課題は何か」、「どうクリアしていくのか」を読み解けますように。

  

f:id:bob0524:20170428140336j:plain

 足利学校に掲げられていた「杏壇(きょうだん)」。孔子が学を説いた壇のまわりに杏(あんず)の木があったことから、学問を教える場所を指します。そして、足利学校で教えられていたのが易経です。 

読書という暇つぶし 『その女アレックス』ネタバレなし

みうらじゅんの「人生は暇つぶし」という言葉を念仏のように唱えています。

「暇つぶし」だったら、思い通りにならなくても落ち込むことはないし、人に過大な期待を抱くこともないはずです。

 

bob0524.hatenablog.com

 

温泉というのは、格好の暇つぶしです。

一般の観光旅行だと「ガイドブックに載っているスポットに行かなくちゃ、ネットで評判の店で食べてみたい」とやたらと気ぜわしく落ち着きません。でも温泉旅行なら、ただお湯につかっていい気持になり、あとは部屋で休んでたまに近隣を散歩するぐらい。

草津は観光地化しているところがあるので、少し落ち着きませんでした。もっと鄙びた温泉ならゆったりと暇がつぶせることでしょう。そして、草津も再訪すれば、観光スポット巡りにガツガツすることなくゆっくり楽しめるはずです。

 

草津のお供はこの本。

 

その女アレックス (文春文庫)

その女アレックス (文春文庫)

 

 温泉旅にはあまりふさわしくない本ですが、大評判となった年に買ったまま、忙しさにかまけて読んでいませんでした。読み始めたら一気に最後まで読むような予感がして放置していました。

 

草津行きの高速バスで読み始めると、案の定、一気に本の世界に引き込まれました。

残虐シーンは読むのが苦痛でしたが、それ以上に登場人物が魅力的で想像が広がります。

 

主人公のアレックス。

関心があるのは仕事、そして気晴らし。

<中略>

恋にあこがれ、愛を求めたことがあるのにもうあきらめた。ただし、恋愛をあきあめたからといってむやみに食欲に走らないこと、太りすぎないこと、ある程度スタイルを保つこと、それだけは気を付けている。

 なかなか魅力的なフランス女性です。

私も太りすぎないことに気を付けてきた人生を送ってきたので大いに共感しました。

 

「おひとり様」で外食して、よく冷やしたアルザスのハーフボトルを注文。なるほど、一人でフルボトルは飲みすぎです。

 

『フランス人は10着しか服を持たない』という本がありましたが、アレックスは思い立ったら数時間で荷物をまとめてに引っ越すことができます。

 

そしてアレックスの事件を追う刑事カミーユ

身長が145センチしかない。だからいつも十三歳の子供のように世界をしたから見上げている。それは母親のせいだった。亡き母、モー・ヴェルーヴェンは著名な画家で、今でも世界各地の十ほどの有名美術館にその絵が展示されている。ところがこの母は偉大な画家であると同時に重度のニコチン依存症で、いつもたばこの煙に包まれていた。あの青みを帯びた煙なしに母を思い出すことはできない。その母からカミーユは二つの特徴を授かった。いや、押し付けられたというべきか。一つは画才で、もう一つは低身長。ニコチン依存症の女性が妊娠すると、胎児が栄養不足に陥ることがある。

 

フランスだけでなく世界中どこでも身長145センチの男性は、かなり生きづらいことでしょう。しかも心に大きな傷を抱えたカミーユの存在がこの小説に深みを与えています。

 

カミーユの部下も、とんでもなく個性的です。

 

ルイは金利だけで生きていけるだろうし、おそらくは四、五世代先の子孫まで残せるほどの資産があるだろう。それにもかかわらず、ルイは刑事になった。

 

筒井康隆の『富豪刑事』、『こち亀』の中川。お金がたっぷりあって趣味で犯罪捜査をするというのは洋の東西を問わず、魅力的なキャラクターなんでしょう。

 

ルイとコンビを組むのがドケチのアルマン。

朝、ホテルに聞き込みに行くとちゃっかりビュッフェ形式の朝食に手を出します。

アルマンは質問の合間に「ちょっといいか?」と言っかと思うと、答えも待たずにコーヒー、クロワッサン四個、オレンジジュース、コーンフレーク、ゆで卵、ハム二切れ、プロセスチーズ数切れを取ってきた。そして次々と頬張りながらもきちんと質問をし、答えを注意深く聞いている。

 

東京から草津行きのバスで半分を読み終わり、草津で温泉につかるのももどかしく、その日のうちに読了しました。

 

f:id:bob0524:20171027112219j:plain

 

翌日、西の河原の露天風呂に入りながら心はフランスに飛んでいました。

 仕事用のパソコンを持参しなかったので、温泉と読書ぐらいしかすることがありません。やるべきことに追い立てられている東京の暮らしから離れ、こうした時間を持つことも必要だと実感しました。