翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

蜃気楼の国に生きる ガルシア=マルケス『百年の孤独』

台風到来の日よりも、各地の被害が報じられるその後の日々のほうがいたたまれない気持ちになります。

 

ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を手に取りました。降り続いて止まない雨からの連想です。再読にもかかわらず一気に読了。昼前から読み始め、休息も挟んで読み終わったのは翌日の午前1時を回っていました。

 

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

 

 

最初に読んだ時は、マジックリアリズムに幻惑され、物語の力に圧倒されたばかりだったのですが、今回は滅びゆくブエンディア一族の繰り返しのパターンが心に残りました。

 

アウレリャノ・ブエンディア大佐は反乱に身を投じ、革命軍総司令官まで上り詰めます。戦闘、暗殺、処刑など何度も死にそうになりながら、ようやく戻った実家で、彼は毎日仕事場にこもって小さな金の魚細工を作ります。

最初は完成した細工を売っていたのですが、そのうちやめました。一日に作る細工は2個。完成品をブリキ缶に入れ、それが25個になると、るつぼで金に溶かしてまた細工にとりかかります。

 

妹のアマランタは、姉妹同然に育ったレベーカの死の知らせを待っています。何もしないでいると待ち時間を長く感じるので、裁縫箱を出して洋服のボタンを付け替えを繰り返します。 

二人の母親のウルスラは、この繰り返し作業が一族の悪い癖だと嘆きます。

 

結局、私たちの人生も蜃気楼の街で同じことを繰り返しているだけじゃないか。お金を儲けては使う。毎朝、食事を作っては食器を洗い、服を着て脱いで洗う。建設的なことをしていると得意になっていても、長い歴史からすれば単なる繰り返しにすぎないのでしょう。

 

ブアンティア一族が作ったマコンドは、村から街へと発展して最後は蜃気楼のように消えていきます。日本もこのまま人口が減って自然災害が続くと「かつて、東の果てに島国があり、経済発展を遂げて独自の文化も華開いたが、滅亡した」と語られるのかも。架空の物語でありながら、世界の本質を描く。マジックリアリズムとはまさにこういう小説なんでしょう。

 

マコンドには4年11カ月と2日、雨が降り続けますが、家も浸水しませんし雨による死者は出ていません。

マコンドが蜃気楼なら日本も蜃気楼。経済成長もバブル崩壊も経てやがて消えてしまう。そんな中で、ささいなことを自慢したり気に病んだりしてもしかたありません。

 

そして、永久に繰り返すのではなく終わりが来ます。

 アマランタは暑さのきびしい午後、死神と会い、経かたびらを織り始めるように命じられました。それを仕上げた日の暮れ方に、なんの苦痛も恐怖も悲哀も感じないで息を引き取るだろうという予言とともに。

できるだけ長く生きられるように、極上の麻糸を4年かけて折ります。麻の布が完成して縫い始めたら、もう死は逃れられないと覚悟を決め、冥界に持っていく死者の手紙を届けると宣言し、貧しい者に持ち物を分配して死んでいきます。そんな死に方を目指しています。

 

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鹿児島市の繁華街に異国の通りのようなレストラン街がありました。まるでガルシア=マルケスの小説に出てきそうな店。

今日と同じ日が続くとは限らない

昨日(12日)は横浜で易の読み会の予定でしたが、台風19号のため中止に。とても外出できるような日ではありませんでした。そもそも電車が全部止まりましたから。

9日に「講座を決行したらどうなるか」で易を立てたら水雷屯(すいらんちゅん)の二爻。水に阻まれて進むことができません。主催者の夏瀬杏子さんも私もせっかくの機会だから来れる人だけでも決行しようかと相談していたのですが、中止やむなしです。

 

昨日は台風関連のニュースをちらちら見ながら、本を読んだり録画したドラマを観て過ごしましたが、落ち着かない一日でした。 

私が住んでいる阿佐谷は「谷」と地名にある通り、低い土地です。隣の荻窪も「窪」だから危なそう。2005年9月の集中豪雨では善福寺川があふれ2000世帯以上が浸水しました。そのため区は洪水対策に力を入れてきたようで、善福寺川緑地公園の地下には深さ27メートルの善福寺川貯水池が設置されました。区の行政に対しては、細かい不満はあっても、洪水対策がしっかり施されているのは住民として一番ありがたいことです。

 

陰陽五行の百科事典ともいえる『呂氏春秋』を作らせた呂不韋を描いた『奇貨居くべし』にも、中国では古代から黄河の治水は天下を収める者がなすべき務めであると何度も出てきます。

 

奇貨居くべし (黄河篇) (中公文庫)

奇貨居くべし (黄河篇) (中公文庫)

 

呂不韋の波乱万丈の生涯に比べ、わが人生の平凡なことと思うのですが、自然災害が起こるとそんな平凡な人生が送れるありがたさをしみじみと感じます。東京が水害に強いのは、先人の治水対策の積み重ねの結果です。

 

そして、2011年の東日本大震災の記憶もよみがえって来ました。金曜日だったので、横浜中華街の占いの店にいました。大きく揺れて、筮竹がざーっと床に散らばりました。若いお嬢さんを占っていたのですが、恋愛運より命が大事と横浜市の指示に従って横浜スタジアムに避難しました。

 

東日本大震災後、一時的に占い原稿の依頼は減りました。世の中全体が占いどころじゃないというムードになったからです。今回の台風も各地の深刻な被害が報じられるにつれて世の中の風向きがどう変わるでしょうか。

 

圧倒的な自然の力を目の当たりにして、人間はいかに無力であるかに思い至ります。そして、今日と同じ日が明日も続くとは限らないという当たり前のことにも気づきます。易はそうした変化の兆しをつかむための天からのメッセージですから、世間の空気がなろうと、私は易を学び続けます。

 

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 7月に訪れた犬吠埼。この日はおだやかな海でした。

カディスの赤い酒

スペイン7泊の旅。

マドリードを基点にスペイン鉄道で回ります。夫は風車の村、カンポ・デ・クリプターナで20年前にデジカメで写真を撮った子供たちに再会したいというので、ここは外せません。

そうなるとあと行ける街は2つぐらい。

バルセロナはオーバー・ツーリズム(観光公害)が叫ばれていて、旅行者に来てほしくないみたいだし、キリスト教の聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラは歩いてピレネーを超え巡礼してこそ行く意味があるのでは。美食の街として大人気のサン・セバスティアンは地図で見るとほとんどフランス文化圏。

 

最もスペインらしいのはアンダルシア地方。フラメンコや強い日差しに映える白い壁、ひまわり畑など日本人が描くスペインのイメージに近いでしょう。

マドリードから南下してグラナダコルドバセビリアジブラルタルまで行ってモロッコに渡ることもできます。

旅で欲張るのは禁物。行き先を絞ろうと思って地図を見て、目に入ったのが「カディス」という地名。

スペインと新大陸を結ぶ港であり、無敵艦隊がトラファルガーへと向かった軍港です。

そして『カディスの赤い星』。1986年の直木賞受賞作です。スペインにカディスという街があり、そこを舞台に長編推理小説を書く日本人作家がいるなんて。希望の職に就けずに悶々としていた当時の私にはあまりにもまぶしすぎて、読む気になりませんでしたが、カディスという地名はずっと心に残っていました。

カディスにはセビリアから線路が伸びていますから、必然的に行先はセビリアカディスとなりました。

 

カディスの赤い星』、読んでみました。おもしろかったけれど、いかにも昭和のストーリー。「聖徳太子を1枚」と言われても、2024年には福沢諭吉さえ過去になり渋沢栄一となります。携帯電話がない時代、ハードボイルドに生きるのも楽じゃありません。

 

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カディスの港には豪華客船も停泊し、上陸した乗客たちがリゾート気分を満喫しています。行きの飛行機で観た『劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス』は、金持ちの街リヴィエラムーミン一家が浮いてしまうという内容。カディスは「気取らないリヴィエラ」といったところでしょうか。

 

表通りに面したレストランで食べた昼食のパエリアとカディス名物のいかのフライは大味でしたが、それもリゾート地ならでは。

 

夜は旧市街に近いバルに入ってみました。

気候のいい時期ですから、テラス席が好まれ、店内にお客はいません。店のようすを知りたいので、カウンター席に座ってみました。

まずビール。日本ではスペインのビールはあまり評価されていませんが、現地に行けばソフトドリンク以下の値段で生ビールが楽しめます。そして、カウンター上に並んでいるタパスを指さして注文します。魚介類はもちろん、アンダルシアの強い日差しを受けて育った野菜は力強い味わいです。

 

カウンターの中は男性一人でテラス席からの飲み物や食べ物の注文を手際よくさばいています。どんなに忙しくても悲愴な感じはせず、スタッフが楽しそうに働いているのがスペインバルの最大の美点。お酒がおいしくなります。

 

サングリアを作り始めました。計量なんてせずに一気に赤ワインを注ぎ、香りづけのブランデー、炭酸入りのオレンジジュースを加えます。その手さばきがあまりにも見事だったので見とれていると、赤ワインを最後に追加して一杯分をグラスに取り分けて、「味見してごらん」とばかりに私の前に置いてくれました。

 

カディスの赤い星』にちなんで、カディスで何か赤いものを探そうと思っていたけれど、目の前に置いた赤いサングリアこそ私の求めていたものでした。

 

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記念写真を撮らせてもらいました。いかにも味のある顔です。ほぼ満席のテラス席の注文をさばきつつこんな笑顔を浮かべられるなんて、よほどこの仕事に向いているのでしょう。

楽しい没落の国、スペイン

日本語教師を辞めて自由な時間ができたら、南米に行こうと考えていました。

一番行きたいのはコロンビア。生きる喜びを感じるズンバを発案したのはコロンビア人のダンサーだから。そして、愛読しているガルシア・マルケスの国だから。

 

しかし、南米は遠い。

直行便がないのでアメリカで乗り換えて、30時間以上かかります。隣国のベネズエラの政情が不安定だし、のこのこ観光旅行に行っていいものか。だったらアルゼンチンにしようか。JALの国際線を調べると、ブエノスアイレスまで片道10万円です。

 

ところが吉祥寺のスペイン料理店、ドス・ガトス(2匹の猫)で高森シェフと話しているうちに、スペインでいいんじゃないかという気になってきました。マドリードならJALで片道5万円だし。

バルセロナ・オリンピックが開催された1992年、スペイン特集の記事を書くことが多く、高森シェフに取材しました。同い年生まれで出身地も近いことから意気投合し、厄30年近く、誕生日や記念日はドス・ガトスでお祝いしています。

  

スペインに行くなら、と読んだ本。

 

ドン・キホーテの末裔 (岩波現代文庫)

ドン・キホーテの末裔 (岩波現代文庫)

 

ドン・キホーテは騎士道のパロディで、流行の騎士道物語を読みすぎた老人が自分を騎士だと思い込んで冒険に出る話です。

 

作者のセルバンテスは「日の沈むことのない国」とまで称されたスペイン大帝国の時代に生きた人です。イベリア半島に加えて、南米やアジア、アフリカを支配し、領土のどこかで太陽に照らされていました。セルバンテス無敵艦隊トラファルガーの海戦に向かう年にも生きていますから、大帝国の没落の予兆も感じていたでしょう。

 

今の若い人はピンとこないでしょうが、日本も世界でナンバー1ともてはやされた時代があったのです。それが今や、少子高齢化の有効な対策も打てず、じりじりと国力が衰えていくだけ。子供時代は高度経済成長期で、バブル景気時代に働いた私にとってはなんとも心細いかぎりです。

 

どうせ没落していくのなら、少しでも楽しく生きたい。スペインでも少子化は進み、失業率は日本よりずっと高め。没落の先輩であるスペインで人々はどんなふうに人生を楽しんでいるのかを垣間見てきました。

 

たとえば港町カディスの市場に隣接するカフェ、午前9時。

空の買い物カートを引いた高齢のご婦人が来店。常連客なのでしょう、店の人と親しそうに言葉を交わします。いつもの朝食が運ばれてくるとウェイターはやさしくぽんぽんと肩を叩き「ゆっくり楽しんで」みたいなことを言っているようす。食べ終わって店を去る時は、ウェイトレスとハグまでしていました。おそらくこの後に、なじみの魚屋、肉屋、八百屋と回り、同じように歓待されるのでしょう。

 

あるいはセルビアの駅前のバル、午後1時。

ビールが1ユーロという庶民的な店です。店頭にあるショーウィンドーに並んでいるタパスから魚介のマリネを指さして、お皿に入れてもらいます。「とてもおいしい」と店の人に伝えると、わざわざ厨房からコックさんを連れて来るほど喜ばれました。

そこへ現れた常連らしき高齢の男性。店内から「パブロ!」「パブロ!」と声がかかります。もしかしてこの店のオーナーかもと思わせる貫録で、カウンター席から店内を見渡しています。そして、注文しなくても彼の前にはビールが出てきます。

 

東京と違い、忙しそうな人があまりいません。時短とか効率なんて言葉を忘れてしまいそう。バルやカフェで働く人々は、まるで舞台に立っているかのように茶目っ気たっぷりに動きます。手のかかる高齢者や外国人旅行者が来店したら、「これこそ見せ場だ」みたいにはりきるのかも。そして手が空いたら、スタッフやお客との会話を楽しみます。

 

一方、私の老後は西友阿佐ヶ谷店のセルフレジでもたもたして、後ろに並ぶ若者に舌打ちされるイメージしか心に浮かびません。まして、子供を育てていない老人は、少子高齢化の元凶ですから、冷たい目で見られることでしょう。

 

スペインから帰国してからぼんやりしてばかり。東京のせわしない日常を生きるうちに、スペインの記憶も薄れていくのでしょうか。

 

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港町カディスの夜。宿の主人に「ここはどこへ行っても安全だ」と言われ、遅い夕食後街歩きを楽しみました。昼間は暑かったけれど、日没後の気候は快適そのもの。公園のベンチでは若者たちが何が楽しいのか、陽気な笑い声をあげていました。。

まるでガルシア・マルケスの小説に出てきそうな街並み…、それも当然、ここカディスから出航して移住したスペイン人が南米の国々を作ったのですから。

マドリードの空港カウンターでは、南米行きの乗客が大きな荷物を次々と預けていました。スペインに里帰りしたり、ルーツを訪ねて、どっさりお土産を買ったのでしょう。

何かを学ぶと、おまけがついてくる

学校は嫌いだったけれど、新しいことを知るのは大好きでした。英語の単語暗記に嫌気がさしましたが、ボブ・ディランの曲がダイレクトに伝わってくることに感動し、英語を学びました。

 

東洋占術では、自分を生じる五行は母でもあり学びです。自分を充実させるためには学びは欠かせません。

学校を卒業して勉強から縁が切れたのに学ぶなんて勘弁してほしいという若い人は多いでしょう。それなら仕事や恋愛に集中すればいいと思います。そして中年になり長い老後を前にして、もう一度学んでみてはどうでしょうか。義務教育ではないのですから、先生に強いられておもしろくないことを学ぶ必要もないし、試験の重圧もなく自分のペースで知的好奇心を満たせばいいのです。

 

欲の深い私は、社会人になってからの学びは金儲け優先でした。生まれた時代がよかったので正社員で就職できましたが、事務職のあまりの単調さに「これをずっと続けるだけ!」と3日で絶望しました。大嫌いだった学校の方が刺激があっておもしろかった。そこで当時ブームだったコピーライター養成講座に通い、広告会社に転職しました。

 

その後、広告から出版業界に移り、フリーランスで雑誌の原稿を書いていたのですが、専門分野を持ったほうがいいので占い学校で東洋占術を学びました。

uranai8.jp

杏子さんにインタビューされた記事を改めて読んでみると、占いを学び始めた不純な動機に我ながらあきれてしまいます。占い師のプロフィールによくある「幼い頃の神秘体験」「占いで人を癒す」と対極です。

 

世俗にどっぷりつかっている私にとって占いを学ぶことは、収入だけでなく多くのおまけをもたらしました。

 

そして玉紀さんの熱いエネルギーで船出したウラナイ8。鑑定だけでなく講座や研究会も主催していきます。これが本当に楽しいことだらけ。

 

杏子さんの易読み会に顔を出したら、杏子さんと甘夏さんがマギー先生の易の本を持っていたのでお世話になったマギー先生の思い出がよみがえりました。

 

bob0524.hatenablog.com

 

ゆみこさんの天体ドロップ講座には受講生として参加しました。

uranai8.jp

西洋占術は主に形而上の幸せを求めるのに対し、東洋占術は形而下の現世利益を求めるイメージがあったのですが、天体ドロップなら西洋占術で金儲けができる!

現実世界と精神世界は境界線で区切られているではなく、つながっていると実感できた講座でした。

 

そして、まるさんと共同開催した旅講座。

uranai8.jp

これは企画した時から、うまくいくだろうという予感がありました。

旅に出るのは人生に新しい風を入れること。そんな前向きな計画を立てているなら、運気が低迷するわけがないから。知的好奇心があれば旅はもっと楽しくなります。

参加した方々は旅好きだけあって、風通しのよさそうな方ばかり。今後はウラナイ8で現地集合・解散のゆるい合宿も企画したいものです。

 

占いを学んできたから、ウラナイ8が始まって、イベントや講座でさまざまな人ととつながることができました。ウラナイ8の「8」は東洋では縁起のいい数字ですが、名前に負けず発展していきたいものです。

 

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ハノイの文廟(孔子廟)。学問の神様に祈ることで現世での栄達が叶うと信じられています。学ぶこと自体楽しければそれはそれで吉だし、おまけがあれば大吉です。