「推し」という言葉が広まり、推し活は癒しや生きがいの一つとされつつあります。
そんな風潮に一石を投じる朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』。
タイトルはアメリカの「チャーチ・マーケティング」から来ています。教会の信者を増やすためのマーケティングがさまざまな分野に応用されて、知らないうちに信者になっているという仕組みです。
運営側が目指すのは信者からの集金。
本質的には無意味、低価値、無関係なものを、団体が発信するストーリーによる権威付けと信者の視野狭窄によって価値が高いと思い込ませて、本来の価値以上の対価を支払わせる
たとえば、視聴者の投票でデビューメンバーを決めるオーディション番組。「推し」をデビューさせるために膨大なお金とエネルギーが注ぎ込まれます。そして、ファンが「推し」に求めるのはパフォーマンスそのものより物語。「物語に魅入られたファンは離れづらい」「物語への没入というのは、手っ取り早く我を忘れるための有効な手段の一つ」といった運営側の種明かしも描かれています。
この社会は生きづらい、自分はこの世界に不当に扱われていると感じている人ほど、信じられそうなものに出会ったとき、強い共感や感情移入を試みる。時間や労力、資金の注ぎ込み先に値するという確固たる根拠を手にするべく、対象を自分自身に引き寄せ、重ねようとする。
推し活を楽しんでいるうちはいいのですが、一線を越えると人生は破綻へと向かいます。登場人物の一人は、推しの自殺をきっかけに「この世界に起きていることはすべて日本侵略を企てている反日勢力の仕業」と主張するカルト団体に取り込まれていきます。
「戦争を起こすことはそれほどむずかしくない。国民に対し、我々は攻撃されかけているのだと危機感を煽り、平和主義者には愛国心が欠けていると非難すればいい」というナチスのヘルマン・ゲーリングの言葉も引用されており、熱烈な推し活に潜む危険性が描かれています。
ここまでは趣味としてOKだけど、これ以上は越えてはいけないというラインを決めておくべきですが、推し活が生きがいとなってしまうとそうもいきません。
対策の一つは複数の推しを持つこと。
可処分所得や自由時間のほとんどを一人の推し活に使っている人がいますが、もしスキャンダルや引退が報じられたらかなりのショックでしょう。
推し活仲間との交流もほどほどのラインで止めておいたほうがいいかもしれません。
『イン・ザ・メガチャーチ』では30代半ばで独身、非正規、恋人も貯金もない一人暮らしの女性が、職場の推し活仲間を自宅に招くシーンがあります。
夜、こうして一緒にアイスを食べてくれる人がいることの奇跡が、急に骨身にしみる瞬間がある。
いづみさん(推し活仲間)とこの距離感になっていなかったらどうなっていたんだろう。
家族も友達も恋人もいないこの地で、家と職場をただ往復し、必要最低限の会話しかしない日々を誰に認識されるでもなくただ続けていたらどんな精神状態になっていたのだろう。
推しを通じて人間関係が作れるのはすばらしいことですが、一人で推すほうがリスクは少ないでしょう。仲間と深く交わると共有する物語にのめり込んでしまうから。

ガルシア=マルケスの作品の舞台を見にコロンビアに行ったのも、広義の推し活と言えるかも。コロンビア紙幣にもなっており、記念に持ち帰ろうかと思いましたが、帰りの空港でドルに両替しました。ガルシア=マルケスは「紙幣をコレクションするより、そのお金で本を買って読みなさい」と言いそうだから。
