翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

自分の貝殻を求めて

宮古島で泊まったホテルで、島内を回るループバスの無料チケットをもらいました。海宝館という名前が気になり、行ってみることに。

海が見える展望レストランに、世界中の貝が展示されているシェル・ミュージアムがあります。

 

貝を巡る美しい文章が詰められたアン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈物』。

夫と5人の子供の世話に追われるニューヨーク郊外の生活から離れ、浜辺の小さな別荘で妹と二人、静かに暮らす日々が描かれています。

 浜辺の生活で第一に覚えることは、不必要なものを捨てるということである。どれだけ少ないものでやって行けるかで、どれだけ多くでではない。それは先ず身の回りのことから始まって、不思議なことに、それが他のことにも拡がって行く。最初に着物で、勿論、浜辺で日光を浴びていれば着物の数は少なくてすむが、それは別としても着物をそう何枚も持っていなくてもいいことに、ここに来て急に気が付く。箪笥一杯ではなくて、鞄一つに入るだけあればいいのである。そしてこれはなんと有難いことだろうか。直したり、繕ったりする面倒が省けて、そしてそれよりも助かるのは、何を着るかということで頭を悩まさずにすむことである。そして着物の面倒がなくなるのは、同時に、虚栄心を捨てることでもあることが解る。

何度も読み返す箇所。私が旅に出るのも、「どれだけ少ないものでやって行けるか」を実感するためです。

 

そして、スペイン巡礼のシンボルは帆立貝。巡礼者はリュックに帆立貝を付け、扉に帆立貝マークの付いた宿に泊まります。フランス人の道の起点であるサン・ジャン・ピエドポーの村で、自分にぴったりの帆立貝が見つかりますように。

 

そんなことを考えながら、宮古島のシェル・ミュージアムに入ってみました。

受付の男性が「もうすぐ団体さんが入館してガイドするので一緒に聞くといいでしょう」と言います。そういえば駐車場にクラブツーリズムの観光バスが停まっていました。

平日の観光ツアーに参加できるのは中高年層。10数人ほどの団体客が入館してきました。受付の男性はここの創立者であり館長。よほど貝が好きなのでしょう。

貝の学術的な説明というより、貝のご利益の話が中心。安産をもたらすコヤスガイ、宮古島の家の前にシーサーと並んで置かれる魔よけのスイジガイなど、人々は海辺で拾う貝にさまざまな願いをかけたことがわかります。

 

そして館長が最も力を入れて説明したのが金運アップの貝。

財、貯、購、貨、資、買、貿など、お金がからむ漢字に貝が含まれているのは、貝が通貨として使われていたから。その中でも貝という象形文字のモデルになったのがキイロタカラガイ。陰陽五行では黄色は土すなわち財の色ですし、いかにもご利益がありそうです。

博物館に隣接したお土産物店ではストラップを販売中。実はこの説明を聞く前に「この店で買うべきものはこれだ」と、購入済み。貝の精神性より、お金がらみに反応して手が伸びてしまう欲の深さはどうしようもありません。

ストラップ購入者からの金運アップのお礼が全国から続々と届いている館長は説明し、まるでテレビショッピングの中継現場のよう。

さらに脂が乗ってきた館長は、ここでしか買えない特別な泡盛や、ガンを予防するフコイダンたっぷりの乾燥もずく、ミネラルたっぷりの黒糖のセールストークを繰り広げます。海宝館が25周年を迎えたので、特別に増量して販売中だそうです。

そして決め台詞。

「皆さん、旅行支援のクーポン、もらったでしょう? ここは使えますよ!」

団体客が色めきたって土産物店に入って行きました。

さすが、貝に魅せられただけあって商売上手。午前中には別のグループも来たと言っていました。旅行会社とネットワークを作り上げ、団体旅行の立ち寄り場所となっているのでしょう。

 

お金は大切なもの。あと何年生きるかわからない長寿リスクにおびえ、減っていくお金に悩む高齢者も多いでしょう。それでも、お金をたくさん貯めれば、それに比例して幸福度が上がるわけではありません。

アン・モロウ・リンドバーグも、貝のコレクションが趣味で、島に来たての頃は「美しい貝を一つでも見逃したくなくて、ポケットには濡れた砂が付いたままの貝殻で一杯に。足元に気を取られて、顔を上げて海を眺める暇もなかった」そうです。

それでも、「所有欲は美しいものを本当に理解することと両立しない」と思い至ります。

 浜辺中の美しい貝をすべて集めることはできない。少ししか集められなくて、そして少しのほうがもっと美しく見える。

貝やお金だけでなく、仕事や持ち物、人間関係も持ち過ぎている生活。旅や巡礼を通して、「これだけあればいい」と思えるようになりますように。