ネットフリックスの『グレイス&フランキー』に夢中です。
ジェーン・フォンダとマーティン・シーン、ハリウッドを代表する名優の二人が高齢の夫婦を演じています。
夫は弁護士、妻は化粧品ビジネスを立ち上げて軌道に乗せたというアメリカンドリームを体現したカップル。そんな理想的な妻を裏切って関係を持ってきた相手と再婚したいと言い出す夫。なんと、浮気相手は男性で同じ弁護士事務所の同僚。彼にも妻がいて、長年家族ぐるみでつきあってきた仲です。
普通の浮気だったら、どろどろしたメロドラマになるのに、同性愛というのがポイント。妻たちはパニック状態ですが、幼馴染の子どもたちは父親同士の恋愛を受け入れます。
わざわざ結婚をやり直ししなくても、長年連れ添った妻と仮面夫婦を続け、ひそかに恋愛すればいいのにと、不純な私は思ってしまいます。同性愛への理解が進んだカリフォルニアとはいえ、眉をひそめる人はいるでしょう。同じ職場で働いているのだから、いくらでも逢瀬の機会はあるだろうし。
「自分らしく生きる」という呪い、という言葉を思い出しました。
「自分の人生は自分で決める」「すべてのひとが”自分らしく生きられる”社会を目指すべきだ」というリベラルの価値観は、1960年代のアメリカの西海岸(ヒッピームーヴメント)で始めり、その後、パンデミックのように世界じゅうに広がっていったきわめて奇矯な考え方だ、とあります。
マーティン・シーン演じるロバートの浮気相手であるソルの妻、フランキーはヒッピー上がり。あやしげな瞑想をして占星術を信じています。ソルが「自分らしく生きたい」と離婚を申し出たら、どんなに嫌でも反対はできないでしょう。
すべての人が「自分らしく生きる」のは一見、素晴らしいことのようでいて、闇もあると『無理ゲー社会』には書いてあります。
「自分らしく生きられない」人はどうすればいいのか、答えがないから。
大学生の就職活動では夢や理想についてけれど、夢なんかないのにどう答えればいいのかという相談が相次いでいるそうです。
誰もが夢を抱き、実現に向けて努力できればいいけれど、具体的な夢を持てなかったり、努力が苦手な人もいます。そんな人に対して自己責任を押し付けるのはかえって残酷です。カースト制度は差別的で非人間的な制度だと非難されますが、能力ではなく生まれによって職業が決まるのであれば、努力不足や自己責任を問われることはありません。
『グレースとフランキー』の夫、ロバートとソルが夢を実現できるのはアメリカの白人男性で弁護士として成功しているからという意地悪な見方もできます。
ドラマの舞台がサンディエゴというのも絶妙です。リベラルなカリフォルニアにあってロサンジェルスやサンフランシスコよりのんびりしているイメージ。