「プールの水が抜けたら、誰が裸で泳いでいるかわかる」というウォーレン・バフェットの言葉をネットで目にしました。
原文を調べてみると、プールの水ではなく潮の満ち引きでした。
You never know who's swimming naked until the tide goes out.
潮が引くまで、誰が裸で泳いでいるかわからない。
株価の上昇局面では簡単に利益を上げられるけれど、今回のように暴落が起きれば、だれが正しい投資をしていたかがわかるという耳の痛い言葉です。プールの水ではなく人間がコントロールできない潮の満ち引きにたとえたほうがしっくりきます。
この言葉は投資だけでなく、あらゆる事象にあてはまります。
コロナ禍によって人間の本性が現れたという話をよく聞きます。前向きな人が落ち込んでいたり、だらだらしている人が意外とてきぱきしていたり。
だましだまし結婚生活を送ってきた相性の悪い夫婦が外出自粛で四六時中顔を突き合わせているうちに、コロナDV、コロナ離婚に至るのも、潮が引いて相手の裸(本性)に直面せざるを得なくなったからです。
夫婦二人で引きこもっている我が家を震撼させたニュース。
ニュースで第一報を聞いた時は、日ごろから夫婦仲が険悪で夫のDVがエスカレートして妻を殺したと想像しました。ところが、この記事を読むと事件の印象ががらりと変わります。結婚して30年たっても愛称で呼び合い、孫もできて、二人で仲睦まじく飲みに行ってたというではないですか。
奥さんはご主人の稼ぎが少ないことを不満に感じつつも、じっとこらえて自分が稼ごうとしていたのでしょう。そしてご主人も内心不甲斐ないと思っていたことでしょう。
危ういところでバランスを取りながら夫婦関係を続けていたのに、コロナ禍でみるみる収入が減少。外出自粛なので家飲みで気を紛らわせようとどんどん深酒に。記事によると夕方から延々5時間半もビールと焼酎を飲み続けていたそうです。
コロナさえなければ、この二人の幸せな結婚生活は続いていたはず。そして、殺人まで発展しないまでも、ほとんどの人は今回のコロナによって人生が変わるのではないでしょうか。
着飾って世間の目をごまかしている人も、裸を見せなくてはならない時が来ます。実態より自分を大きく見せてきた人は戦々恐々としているでしょう。コロナ禍が去って、平和になっても見せた裸は人々の記憶に残ります。
正反対のケースは、カミュの『ペスト』に登場するグラン。平時にはうだつの上がらない下級役人ですが、街にペストが蔓延すると保健隊に志願して事務の要として献身的に働きます。ペスト禍が去ると、何事もなかったかのように平凡な生活に戻ります。こういう人は稀有な存在だからこそ文学作品になっているわけで、凡人は裸をさらす事態を少なくするよう自制したいものです。
昨年の夏に訪れた銚子。空はどこまでも青く、銚子の人は大らかで食事もおいしかった。銚子電鉄に何度も乗り、海の見える温泉にも入った…。今や東京都民は隣の県にも行けなくなりました。