栃木方面に旅する時、いつも楽しみにしているのがレモン牛乳。
黄色と緑のパッケージになつかしい味。東京を離れて旅に出たという高揚感もあり、とてもおいしく感じます。
宇都宮、鬼怒川の土産物屋には、レモン牛乳だけでなくレモン牛乳味のクッキーやチョコレートなどのお菓子類、パッケージデザインのTシャツや文房具も売られています。
近所のローソンでレモン牛乳を発見! 大喜びで買いました。
でも、ありがたみが薄れたような気がして、記憶に残っている味ほどおいしく感じません。レモン牛乳は旅先という非日常の味。近所で買えるなら、単なる甘い飲料です。
パッケージを見ると、栃木産ですらなく、横浜の工場で作られているようです。
手に入らないものを美化してありがたく感じます。
冷戦下のソ連には「ボーン・レコード」なるものがあったそうです。
欧米のロックやジャズを禁じられた当時の人々は、病院から廃棄されるX線写真で海賊盤を作り、音楽を楽しんでいました。録音できるのは3分で、ぺらぺらの盤ですから10回も聴くとすり減って使い物にならなくなります。
しかも、当局に見つかると逮捕されるリスクもあります。
そこまでして聴く西側の音楽は、心をどれほど激しく揺さぶったことでしょうか。
ネットサービスを使えば音楽も聴き放題、映画も観放題。読みたい本もすぐに手に入ります。恵まれた環境のようでいて、「どうしてもこれが聴きたい、観たい」というものがなくなります。
だから旅に出て非日常感を味わうのです。栃木だけでしか飲めないレモン牛乳はその象徴です。
しかし近所のローソンでいつでも手に入るとは…。
右側が栃木で買ったラングドシャ・クッキー。左のレモン牛乳は栃木より関東の字が大きく、製造工場は静岡です。
東京の生活がつまらないと感じる私に活を与えるのは、ドナルド・キーンの『短くても強烈な』というコラムです。2003年の朝日新聞の切り抜きはすっかり黄ばんでしまいましたが、折に触れて読み返しています。
ソ連へ旅行する機会があってそこの日本研究の状態を見た。レニングラードで日本文学の教授に会った。私と違い、ソ連の日本研究家は好きな時に日本へ行けなかった。五十歳位の教授は一回しか日本へ行ったことがなかった。団体の通訳だったので見物などができなかったが、ある朝団体の用事がなかったために一人で自由に東京を歩くことができた。この三、四時間を一生忘れられないと教授は語った。
この話を聞いた私は一種の罪悪感を覚えた。私は数年も日本で過ごしたし、また行くだろうが、私に負けないほど日本に深い関心を持っていた教授は三、四時間で満足しなければならなかった。不公平だというしかない。しかし、自己弁護になるかも知れないが、教授の数時間の日本のイメージは数年間にわたって出来た私の日本のイメージより純粋で強烈だったのではないかと思う。そう信じたい。
ドナルド・キーンはコロンビア大学を退職し、2011年9月に日本に永住するために来日しました。契機となったのは東日本大震災です。
「どうして日本に生まれたのか。選べるのならアメリカに生まれたかった」と若い頃に思っていたので、ドナルド・キーンの行動に驚きました。そして、日本語学校の教師になり、「あこがれの日本」に嬉々としてやってくる若者たちに接しました。
自分の生まれた場所、持っているものに満足して一生を終えたら、それはそれですばらしい人生です。
その一方で、「ここではないどこか」を夢見る人生もなかなか楽しいのではないでしょうか。