世間は10連休。日本語学校を辞めた私は365連休のようなもの。
なんだって好きなことができるというわけで、天海玉紀さんのこの企画に参加しました。
南阿佐ケ谷のウラナイトナカイのご近所である善福寺川流域は、東京近郊の古代聖地として特徴的な地形が多く残されており、気軽に散策しながら、古来より聖地と呼ばれた場所の歴史を辿り、その雰囲気を感じることができる貴重な地域です。
そうそう、善福寺川には何かがある。
それなのに阿佐ヶ谷在住30年となる私は、善福寺川に行くのは年に一度の花見だけでした。いつも締め切りに追われ、自宅から徒歩15分の広大な公園を散歩する心のゆとりがありませんでした。
この春から暇になったのをいいことによく行くのが武蔵野園。釣り堀に併設された食堂です。
釣り堀と桜。晴れた日の午後、ここでビールを飲んでいると、たいていのことはもうどうでもよくなります。
今回は玉紀さんの解説を聞きながら、大宮八幡宮から南阿佐ヶ谷まで歩くので武蔵野園には立ち寄りません。自宅の近所なのに、観光ツアーみたいな不思議な気分です。
太古の昔、東京の大部分は海の底。
玉紀さんが資料として配ってくれた地図は、北欧のフィヨルドのよう。今回歩くルートは善福寺川の蛇行に沿って、数多くの岬や入り江が入り組んでいます。こういうところを小舟に乗って進むのはさぞ楽しいことでしょう。
海辺の街で育った私は、杉並は海から遠いと感じていたのですが、こんな近くに海の痕跡があったとは。
玉紀さんの資料より。
埼(さき)、岬(みさき)、坂(さか)、境(さかい)といった「サッ」の音は、あの世とこの世の「境界」を示す。
とがった先端部分は、異界へと通じるスポット。善福寺川沿いには神社とお寺が点在しているのもこのためです。今回は大宮八幡宮から始まって、成宗白山神社、宝昌寺、尾崎熊野神社、成宗須賀神社と回りました。
初めてお参りする神社もあります。尾崎熊野神社。
「尾崎」の「尾」は「小さな」という意味で、かつてはこの地が海に突き出た小さな突端部だったのでしょう。
初めて来たのに、なんだかなつかしく感じられたのは、私の産土神社に雰囲気がよく似ていたため。岡山県の瀬戸内海沿岸の街、御崎(おんざき)にある御崎(みさき)八幡宮です。
尾崎熊野神社の御神木である樹齢400年の松の木が、海辺のような雰囲気をかもしだしているのでそんなふうに感じたのかもしれません。松の木は塩に強く、海からの風を防いでくれるので海岸沿いに植えられることが多いのです。
私は高校卒業まで岡山の海辺の小さな街にいて、広い世界に出たくてしかたがありませんでした。当時の私は岡山市や高松市を都会だと思っていて、東京はとても遠いところでした。その後、両親は神戸に転居し、私は東京に暮らして30年になります。
小さな街にはレコード店が一軒しかなくて、そこで思い切って買ったボブ・ディランのレコードで言葉の力に目覚め、海外にあこがれました。
東京に出てきてからは、雑誌の原稿を書きまくり、翻訳をやったり、ついには外国人に日本語を教えました。そして、働き詰めだった時期を終え、次は南米に行こうと目論んでいます。
ずいぶん遠くまで来たはずなのに、結局はふりだしに戻っている。
いや、ふりだしに戻ったから、次の異界に飛び出していける。初夏の日差しの中、そんなことを考えました。