アガタ・クリストフの三部作『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』を一気に再読しました。
- 作者: アゴタクリストフ,Agota Kristof,堀茂樹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2001/05/01
- メディア: 文庫
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この半年間、ハンガリーから来た学生に日本語を教えていたので、もう一度読んでみようと思い立ちました。
彼から「ハンガリー人の名前は日本と同じでファミリーネームが先」と教えてもらいました。だったらクリストフ・アゴタとなるところですが、1956年のハンガリー動乱でスイスに逃れ、母語ではないフランス語で執筆しているため、アゴタ・クリストフと名乗っているそうです。
もともとこの本は、若い頃に勤めていた広告制作会社の同僚のデザイナーが、「重すぎて読み進められない」と譲ってくれたものです。
たしかに、きつい内容です。
具体的な時代や地名は書かれていませんが、第二次大戦中のハンガリーの国境の村でしょう。
双子の男の子が主人公ですが、読み進めていくうちに果たして本当に双子なのか、空想上の存在なのか混乱します。
アガタ・クリストフはスイスで工場勤務や店員、歯科助手として働きながら文筆活動を始めます。当初はハンガリー語で書いていたのですが、出版の可能性がないためフランス語で書くようになりました。
カズオ・イシグロは幼少時に渡英し、日本語を忘れ英語が第一言語となりましたが、アガタ・クリストフがハンガリー動乱でスイスに逃れたのは21歳の時です。母語でないフランス語を使ったため、少々ぎこちない文体となり、フランス人には独特の印象を与えたそうです。
若いハンガリー人の学生はアガタ・クリストフを知りませんでした。彼の家はハンガリーでホテルを経営し、貴族の血を引くとのこと。動乱の中でも上層の地位を維持したハンガリー国民にとっては、母国だけでなく母語も捨ててしまった作家は封印すべき対象なのかもしれません。
祖国ハンガリーとの別離の傷みをこの小説で述べようとしたとアガタ・クリストフは語っています。
彼女にとっては、過酷な人生を生き延びるためにどうしても書かなくてはいけない物語だったのだと思います。
再読となると、主人公の双子以外の人物にも目が行きます。
双子がよく紙やペンを買いに行った本屋の主人、ヴィクトール。
若い頃の夢は作家になること。姉によく本の話をして、姉はヴィクトールの才能を信じます。ところがヴィクトールは夢を忘れます。50歳になり、このままででは永久に本が書けないと思い、本屋を売って故郷に帰ることにします。
すべての人間は一冊の本を書くために生まれたのであって、ほかにはどんな目的もないんだ。天才的な本であろうと、凡庸な本であろうと、そんなことは大した問題じゃない。けれども、何も書かなければ、人は無為に生きたことになる。地上を通り過ぎただけで痕跡を残さずに終わるのだから。
結果的に本は書けず、酒と煙草に溺れたヴィクトールは悲劇的な最期を遂げます。
最初に読んだ時は50歳なんてまだ先のことだと思って読み飛ばしていたのに、私もヴィクトールみたいなものだと苦笑してしまいました。
そして、アガタ・クリストフは困難の多かった自分の一生の痕跡を残すために、どうしても三部作を書かざるを得なかったことが伝わってきます。
本は書けなくても、こうして渾身の力を注いで書かれた本を自由に読めるのは、なんてすばらしいことだろうと思います。
熊本の橙書店。村上春樹の紀行文で知りました。店主の気に入った本しか置いていません。こういう形で本と関わるのもすてきです。