翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

Spontaneous(自然な流れ)に生きる

部屋の上部に取り付けられた戸棚に物を入れようとして椅子に乗り、バランスを崩して床に落ちて腰を強打しました。

踏み台を使えばいいのに、仕事用の回転椅子の上に乗ったのが間違いでした。
もっと悪いことに、酔っていました。お酒が入ると、やたらとモチベーションが上がり「面倒だ」という気持ちが消え、普段手の届かない場所の掃除やらアイロンがけを片付けたくなるのです。

夜だったので、なんとか布団までたどり着いて寝ました。動かさなければ痛くないのですが、寝返りを打つのも一苦労です。

医者嫌いの私ですが、痛みに耐えられず整形外科へ。
診察台に上り下りするのも「痛い…」と声が出てしまいます。
レントゲンを撮り、骨に異常がないことがわかり、医師の見立ては「時間がたてば治る」。

平らな場所を歩くことはできるのですが、右足を上げると激痛が走るので階段が上れません。靴下を履いたり、しゃがんだり立ち上がるのにも時間がかかります。
椅子に腰かけているのは大丈夫ですが、姿勢を変えると痛いので、机につかまって腕力で体を動かさなくてはいけません。

まるで身体障碍者高齢者のような10日間を過ごし、再び整形外科へ。痛みは残っていたものの、毎日少しずつ痛みは小さくなってきました。
「ダンス系のエクササイズはいつから始めていいですか?」と質問すると、「できるだけ早く。今日からでもいい」と医師。

この言葉を聞いたとき「ああ、私は治るんだ、元の生活に戻れる」と、目の前がぱっと開けたような気持ちになりました。
そして思い出したのがこの本。

癒す心、治る力―自発的治癒とはなにか (角川文庫ソフィア)

癒す心、治る力―自発的治癒とはなにか (角川文庫ソフィア)

「これ以上できることはない」「病気と共存するしかない」「あと半年のいのちだ」といった医師の言葉には、自己治癒力について深いペシズムが反映されているとワイル博士は書いています。そして、シャーマニズム文化では、呪いをかけられると衰弱死する現象がありますが、現代社会においても、病院で同様の呪いが毎日かけられていることに私たちは気がついていません。

たとえば、前立腺がんが骨盤に転移した55歳の男性。医師に「タバコはやめるべきでしょうか?」と尋ねると「この段階なら、吸ってもいい」との答え。

その返答から患者が受けとったのは「どうせあんたは、もうじき死ぬんだから」というメッセージだったのだ。それは大学病院という聖堂に鎮座ましましたテクノロジー医学の司祭長が、シャーマニズムの呪文と同じ呪文をかけたに等しい。なぜなら、われわれの文化における医師という立場には、異文化がシャーマンや司祭にたいして投影しているものと同等の権威が賦与されているからだ。医師の吐くことばが患者の恐怖の源泉となっている。その恐怖は患者を無力にさせ、みずから生存や健康を勝ちとろうとする建設的な努力から患者を遠ざけてしまう。

この本に出てくる深刻な病と、単純な打ち身(しかも酔っ払った不注意で引き起こしたという間抜けな事故が原因)を比べるべきではないでしょうが、軽い病気やけがが治るのも、自己治癒力が働くからです。そのプロセスで「私は治る」と確信できれば、もう半分治ったようなもの。

整形外科の医師に「痛みが完全になくなるまで、慎重にようすを見なさい」なんて言われていたら、鬱々と過ごして治るのも遅くなったような気がします。そして、ダンスを再開するころには体がすっかりなまってしまって、元に戻すのが大変だったでしょう。

『癒す心、治る力』の原題は"Spontaneous Healing"。

Spontaneous(自然な流れ)という言葉は、初めてカウチサーフィンでホストしたスザンヌのキーワードでした。
ドイツ人のスザンヌがボランティアでヘルシンキに来て「ここに住む!」と決断し、両親を説得し、フィンランドで働ける資格を取得。幼い頃から空手を習い、日本にあこがれ、カウチサーフィンで私の家にやって来て…。
「すべてはSpontaneousだった」というのが彼女の口癖です。

病気の回復、仕事、旅、そして人生すべてが自然に流れていきますように。


スザンヌのお気に入りのヘルシンキのカフェ。ここで一緒にコーヒーを飲んでから2年近くが過ぎました。