翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年秋、スペイン巡礼(フランス人の道)。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。おかげさまで重版になりました。

泣いている兎を助ける

自分のバイブレーションを高めることで、望ましい人間関係を作る。
そう目指すのは、とてもいいことですが、だからといって「この人のバイブレーションは私と違う」と切り捨てて、冷たい態度を取っていいわけではありません。

バイブレーションの高い人は、深いつながりのない相手であっても、できるだけ感じよくふるまいます。

よく聞く話に、デート中、レストランのスタッフに対する態度が横柄で、相手への熱が冷めてしまったというものがあります。
デートの相手には優しい顔を見せても、そういうところでバイブレーションの低さが露呈してしまうのです。
「そうはいっても、彼は私にだけは優しいの」と交際を続けていると、彼に影響されてあなたの運気も下降していきますし、彼のあなたへの熱が醒めたら思い切り冷淡に扱われてしまいます。

ラム・ダスの『ビー・ヒア・ナウ』を読むと、世俗的な仕事でお金を稼ぎながら、覚醒した人生を送るヒントが得られます。
たとえば「お金と正しい暮らし」という章。

人は意識が高まれば、どんな職業でも光をひろげるための乗り物に変えられるようになります。
あなたが最初にそうなれば、つぎにあなたが出会う仏性をそなえた存在はバスの運転手、医師、職工、保険外交員、音楽家、料理長、教師など、複雑な社会が要求するありとあらゆる役割、つまり、キリストの肉体のさまざまな部分として姿を現すでしょう。

あなたにはその人がわかります。というのも、バスに乗るときに小銭を渡すといった、ふたりのあいだに発生する簡単なふるまいの中に、人間の神性に対するあなたの信仰を強めるものがあるからなのです。それほど簡単なことなのです。

人間関係にはさまざまな深さがあります。
袖が触れ合っただけの多少の縁の人に、深い関係性を求めると敬遠されるでしょうが、ほんのちょっとした触れ合いで、心が満たされることだってあります。

素敵な写真をたくさん撮っているケイスケさんは、一眼レフを持っていると「写真を取ってもらえませんか?」と声をかけられることが多いそうです。きっと「撮影の上手な人」と期待されるからでしょう。
ケイスケさんは「もっとこういうふうに撮ってあげれば良かった」と後悔することもあり、どんな写真を撮りたいか、双方の確認作業、コミュニケーションの重要性まで考えが及んでいます。
http://sakak.hatenablog.com/entry/2014/01/11/214236

今日の話なんですが、私が家族といっしょにセントレアのスカイデッキでウロウロしていたら、女性の二人連れの方からコンデジを渡されました。ズームが望遠気味に設定されていたことと、逆光気味のロケーションだったので、どうしようかと少し考えたんだけど、とりあえず言われるがままに、(カメラを渡された場所で)シャッターを押しました。後から落ち着いて考えたら、手ブレはしていないと思うけど、写真としてはイマイチだった気がします。理由は、、、
•望遠側から広角側に変えたほうが良かったのでは?人物だけがドーンと写った写真になっていて、どこの場所の写真なのかがよくわからない。望遠過ぎることが原因。私がズームの変え方がわからなくて、望遠気味のまま写してしまったことも一因としてある。
•フラッシュを強制発光したほうが良かったのではないか?(逆光だったから)
•撮影場所を逆光になりにくい場所へ変えたほうが良かった?
•そもそも、どんな写真を望んでいるか先に聞けば良かった?(人物の全身を写す?または、人物は上半身くらいにしておき、背景にアイテムを入れる?)

写真にこだわりのない私は、シャッターを押してあげるだけで十分親切だと思っていたので、考えてもみなかったことばかりです。

たまたま観光スポットにいる画家に「この場所の私たちをスケッチして」とか、俳人に「私たちを詠み込んで一句」なんて頼めません。
でも写真だったら、シャッターを押すだけだから、気軽に頼んでしまうわけです。
それなのに、ここまで考えるケイスケさんはすごいと思いました。

社会生活を送っていれば、縁の深い人だけでなく、たくさんの人と触れ合います。
A great man shows his greatness by the way he treats little men.
(偉大な人間は、小さな人間に対する接し方で偉大さを示す。)
トーマス・カーライルの名言です。little menは「利害関係のない人」と訳されることが多いようですが、漢文でいうところの「小人(しょうじん)」でもいいでしょう。
「この人とは友達になれそう」「役に立ってくれそう」という人以外でも、いかに親切に感じよく接するか。
人間の器の大きさはそこで決まるのでしょう。


出雲大社大国主命因幡の白兎の像。
日本神話の中で私が大国主命を好きなのは、肌が赤く剥け、痛くて泣いている白兎を助けてあげたから。それに比べて大国主の兄弟たちのいじわるなこと。ヤガミヒメ大国主を選んだのも、まさにlittle men(白兎)への接し方で、大国主の器の大きさがわかったからでしょう。
ここでカップルから「写真を撮ってください」と頼まれました。デジカメだったので、写真を確認してもらい、「お幸せに」という一言も添えられましたが、今思えば、一枚だけでなく数カット撮ってあげるべきでした。