四国八十八ヶ所巡りを終えたアン姉さんをホストして、じっくりと話を聞きました。
とあるジャーナリストが、「アメリカのパーティで、レストルームでメモを取っているのは同業者」と書いていました。社交の場で紙とペンを取り出すのは無粋なこととされているのでしょう。
その点、アン姉さんと私は同業なので、お互い取材ノートをテーブルの上に広げて、メモを取りながらの会話になりました。四国八十八ヶ所を歩き通した人の体験談なんて、めったに聞けるものではありませんから。
アン姉さんが出発したのは4月14日。徳島の1番から17番までのお寺は4日間で回れたそうです。しかし、頑張りすぎたせいか、膝が痛くなり休息。宿泊したのはカウチサーフィンのホスト宅です。
さらに高知、松山での休息を挟み、5月29日に八十八ヶ所を回り終えました。
どこに宿泊したか、アン姉さんは毎日の記録はつけていたものの、集計はしていなかったので、一緒に数えました。
善根宿(ぜんこんやど)に6泊。無料や低料金でお遍路さんを泊めるてくれる個人の家です。
通夜堂(つやどう)に5泊。お寺の中にある無料の宿泊施設です。
有料の宿坊、大師堂にそれぞれ1泊。
遍路小屋に5泊。屋根のある小屋で、ほぼ野宿に近いのでは。
道の駅、公園に10泊。最初はテントを張っていましたが、寝袋だけで大丈夫なことがわかり、テントは送り返したそうです。
民宿に6泊、ビジネスホテルに3泊、ホームステイ1泊。
四国八十八ヶ所巡りを思い立ったきっかけは、2年前。広島で日本人の若い男性からお遍路の話を聞いたこと。来日5回目にして初めて耳にして、非常に興味を持ったそうです。
フィンランドに帰国後は、八十八ヶ所の情報を集め、クロスカントリースキーとウォーキングで体を鍛えました。
「日本で巡礼の道を歩くことは、私にとってまったく新しいことだから、ぜひチャレンジしてみたかった。もちろんスピリチュアルな面もある。願をかけてお遍路に出る人が多いようで、『良縁? 子供がほしいの?』とよく質問された。でも、私は何かを得るために出発したわけではない。40日ほどかけて歩き通すことで人生に感謝することを学びたかった」とアン姉さん。
両親はクリスチャンだけど、彼女自身は特別な信仰は持っていないそうです。
日常生活を離れ、ひたすら歩くだけの毎日は、時間がゆっくりと過ぎ、多くの気づきがあったと彼女は言います。
といっても、朝6時から夕方5時まで、1日11時間、10キロを超えるバックパックを背負って歩き続けるのは、肉体的にはとても大変なことです。
特に23番・徳島の薬王寺から24番・室戸岬の最御崎寺、37番岩本寺から38番足摺岬の金剛福寺は、寺と寺の間が離れていて2日半、ひたすら歩くだけ。食べ物や飲み物も見つけにくく、かなりハードだったそうです。
食べ物はコンビニのおにぎりやパンが中心。栄養を摂らないと歩けないので、チョコレートやアイスクリームもよく食べたそうです。その結果、体重自体はあまり落ちず、筋肉がつきました。
「夕方5時に歩くのをやめて、夜の時間はどう過ごしたの? 野宿した時なんて、何もすることがないでしょ?」と質問しました。
アン姉さんの答え。
「その日の宿泊場所に着いたら、疲れ果てて何かをしようという気になれなかった。実際、本の1ページも読めなかった。野宿では7時頃から寝たし、民宿は夕食が6時で、その後は洗濯して日々の記録をつけるのが精いっぱい。
そして、朝が来たら起きる、歩く、お寺で朱印と墨書をもらう、食べる、寝るの繰り返し。地図を見て、あと何キロ歩くか、どこにコンビニがあるかを確認し、どこで寝るかを決める。頭を使うのはそのくらい。とてもシンプルな毎日だった」
そして、ごく普通の日本人がどんなに親切か、お遍路体験を通して痛感したといいます。お接待してくれた四国の人々、情報交換した歩き遍路の人々。
「日本語で『縁』っていうでしょ。まさにソウル・コンタクトだった」
巡礼といえば、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラが有名ですが、そっちを歩いてみる気はまったくないそうです。
「あまりにも多くの巡礼者が歩いていて、完全に一人になれないから。四国では、一人で歩くことが多く、自分と対話できた。サンティアゴへ行くぐらいなら、もう一度四国八十八ヶ所を回る。内なる力を鍛えたいのなら、四国のほうがいいと思う」
「お遍路を終えて、人生そのものが巡礼であることがわかった」とアン姉さんはいいますが、日常生活は雑事に追われ、どうでもいいことをくよくよと悩み、安逸に流れ、あっという間に過ぎていきます。
旅人と接することで、単調な時間の流れを違う視点から見直せます。巡礼者をお接待する側にも、大きな気づきがもたらさるのです。
巡礼者でもなくても、自分を高めるために異国を旅をする人々を、これからもホストできたらと思います。