安岡正篤の「論語に学ぶ」(PHP文庫)を読んでいたら、こんな一節がありました。
人生万事縁である。だから縁起という。
日本で民間に一番普及している仏は、観音菩薩や阿弥陀如来ではなく、地蔵菩薩。なぜ地蔵菩薩が普及したかというと、地蔵さまを信仰すると多逢勝因(たほうしょういん)といい、そのおかげで善い因・縁・果に恵まれるから。
私は子供の頃から母に「縁を貴べ」とよく言われ、意識的・無意識的に縁を大事にして、一度縁あった人のためにはできるだけ誠を尽くしてきた。
- 作者: 安岡正篤
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2002/10
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風水の黒門先生に学び、最も印象に残ったのが「あらゆる運は人からもたらされる」という言葉です。
縁によってさまざまなことが起こるから「縁起」。現在では縁起という言葉は吉凶の兆しという意味で用いられていますが、円満な人間関係を築いている人は自然に運が上がるものです。
風水にはさまざまな開運テクニックがありますが、山奥で誰とも会うことなく自給自足の一人暮らしで暮らしをしている人があらゆる開運法を実行しても、上がるのはせいぜい健康運だけ。恋愛運は相手あってのことですし、金運も社会との関わりの中で生じるからです。
「今はネットに婚活サイトもある」と反論されるかもしれませんが、始まりはオンライン上であっても、最終的には人が介在するのです。そして、ネットのやりとりだからこそ、人間性がストレートに反映されると思います。
たとえば外国人旅行者を自宅に泊めたり、海外旅行先で泊めてもらうカウチサーフィンは、実際に会う前はオンラインのやりとりですが、プロフィールやメールのやりとりでどんな人なのかわかってきます。
そして最近、フェイスブックは外国人旅行者と縁をつなぐにはとてもいい手段です。
「去る者は日々に疎し」といいますが、SNSを活用することで、異国の旅人をいつも身近に感じることができます。フェイスブックの私のタイムラインには英語やフィンランド語が行き交い、メールのやり取りも手軽です。
先月、ホストしたフィンランドの女の子、マイヤちゃんが京都で楽しんでいる様子や、帰国したスザンヌやユハナ君がヘルシンキで日常生活に戻っているのもリアルタイムで伝わってきます。カウチサーフィンでの旅人との人間関係は淡々としたものであるべきだと考える人もいますが、私は情が移ってしまいます。
自由とハプニングを求めて旅するカウチサーファーには私の感情は重たすぎるのかなと危惧したのですが、フェイスブックで友達になるぐらいなら、相手の負担にならないでしょう。
私も時々、日本的な場所を訪れたら写真をアップして英語で解説をつけるようになりました。
日本人の友達からは「英語なんか使って気取ってる」「文法がおかしい」と思われるかもしれませんが、フェイスブックは所詮流れていくもの。あまり気にしないことにしました。
多くの恋愛相談を受けている友人の優春翠がこんな話をしてくれました。
「別れた恋人に執着し、元彼・彼女が新しい恋人とデートしたり友達と楽しんでいるのを知り、苦しくてたまらないと言う。『どうしてあなたは、そんなに具体的に元彼・彼女のことがわかるの?』と聞くと、『フェイスブックで見た』とのこと。一昔前なら、時間の経過によって心に傷も癒されただろうに」
使い方によっては喜びにも苦しみの種にもなるSNS。
また、こうしてブログを書くことで、実際には会ったことのないブロガーとも知り合えて刺激を受けています。
ネット時代の「縁起」のためにも、上手な活用法を身につけたいものです。