先週は集中して仕事したのをいいことに、今週は遊び暮らしています。
「1週間で1冊書いたのだから」と、いい気になっていますが、アガサ・クリスティーは3日で長編小説を書き上げたことがあります。
タイトルは「春にして君を離れ」。
推理小説ではないので、誰も死にません。しかし、「三人の子供のよき母親、夫にとって申し分のない妻」という自負を抱いた女性が、旅先で一人きりになることによって、そうしたイメージが完全に間違ったものであることを悟るというストーリーです。
- 作者:アガサ・クリスティー,中村 妙子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/08/01
- メディア: Kindle版
ロンドンは毎晩、爆撃を受け、クリスティーは大学病院の調剤師としての仕事を始めます。戦時中はどこも人手不足で、彼女は若い頃の経験を活かしたのです。
そんな中、クリスティーによる「完全に満足のいく一つの小説」が生まれました。
彼女の頭の中にはっきりとあり、ずっと書きたいと思っていた物語です。
書き出しは、ヒロインのジョーンが、海外で結婚した娘に会うためにヴィクトリア駅を出発するシーン。
列車が動き出すとプラットフォームから去っていく夫・ロドニーの後ろ姿が見えます。完璧な妻の不在でさびしい思いをするだろうと思い込んでいたのに、夫は束縛から解放され休暇を取るような歩き方だったのです。
頭の中で小説が成長していく感じというのは妙なものである。六、七年ものあいだ、いつかそのうち書こうと重いながら、すでにできているところへ、常時、増強されていくのがわかる。そう、すでにできている―ただ、もっとはっきりと霧の中から姿を現さなくてはなくてはならない。自分の物はすべてそろっている、したくもできている、舞台のそでで待っている、合図があり次第舞台へ出る用意がすっかりできている…すると、突然、はっきりした命令を受ける―今だ!
今こそ用意ができている。さあもう何でもわかっている。やあ、ありがたい、すぐさまかけるというのは初めてだ。今というのは本当に今なのだ。
(アガサ・クリスティー自伝より)
そしてクリスティーは、中断することなく、最終章まで書き上げます。書き終わると、ベッドに倒れこんで24時間ぶっ通しで眠り、起き出して、たっぷりと食事を取り、翌日には再び病院勤めに出かけます。
職場の仲間から「ひどい病気だったの?」といわれるほど、目が落ちくぼみ、とても疲れているように見えました。しかしクリスティは、何の困難もなく一気に小説を書いたことに満足し、充分価値があり、大いに報いられる経験だったと回想しています。
いったいこれらのものはどこから来るのか、ふしぎである―わたしがいっているのは絶対必要なもののことだ。これこそ人が神に近い感じを持つときだとときどきわたしは考える。そのわけは、天地創造の喜びをほんの少し感じることを許されるからである。自分自身でない何かを作ることができる。自分が七日目にあって(神が天地創造を終えたのは七日目)自分が作ったものがよしとわかったとき、全能の神の親族という気がするのだ。
物書きの端くれとして、一生のうち一度でもこういう体験をしてみたいものですが、それはやはり、神に選ばれた書き手だけに訪れるものなのでしょう。
クリスティーのミステリーをを夢中になって読んだのは高校時代ですが、自伝からも学ぶことがたくさんあります。