2年前の夏、フィンランドを旅して、トーベ・ヤンソンが暮らした島まで足を伸ばしました。30年近くの夏を過ごし、ムーミン・シリーズなどの作品が生まれたクルーヴハル島です。
この島は離れ小島で、たどり着くには少し根性が必要です。
まず、ヘルシンキから長距離バスに乗り、ポルボーという街に。あらかじめ連絡しておいた漁師のマルティン・ティルマンさんのお宅までタクシーで向かいました。
クルーヴハル島保存協会から許可を受けたティルマンさんが島までボートに乗せて連れていってくれるのです(料金は200ユーロ)。
漁師といってもティルマンさんは、なかなかの事業家のようで、自宅横に小さなホテルを建設中。漁獲したサーモンを加工する作業場も見物させてくれました。
トーベ・ヤンソン著「島暮らしの記録」(筑摩書房)には、「なにもかもが単純になり、ただしあわせだと感じるに任せる」という記述があります。
彼女が女友達、猫、時には母親と暮らしたコテージは、質素で居心地がよさそうです。
天気がいい日はそう思えますが、嵐の日には怖くなかったのでしょうか?
クルーヴハル島で思い出したのは、ムーミン一家よりも、フィリフヨンカのことでした。
「ムーミン谷の仲間」に収録されている「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」です。
祖母が昔住んでいたという海辺の家に引っ越してきたフィリフヨンカ。
小さな鏡、貝殻、赤いビロードの枠に入れた写真、かぎ編みのレースの上に座っている瀬戸物の猫、絹糸や銀糸で美しい言葉を縫い取りしたもの、ボートの形をした小さなミルク入れ、真珠をはめた柄のついたビロードのかご…といった、ごちゃごちゃとした品物をどっさり持っています。
フィリフヨンカは、世界のおわりにおびえています。
ガフサ夫人をお茶に呼んだ日、ついに、家を揺らすほど激しい嵐の夜を迎えます。
屋根のかわらが飛び、煙突が吹き飛ばされました。日の出には竜巻が来て、彼女の家具やお茶セット、おばあさまの形見などすべて天国へ飛ばしてしまったのです。
フィリフヨンカがずっとおびえていた、この世のおわりが来たかのようなのに、意外にも彼女はうっとりしてこうつぶやきます。
「もうわたし、二度とびくびくしなくてもいいんだわ。いまこそ、自由になったのよ。これからは、どんなことだってできるんだわ」
離れ小島に暮らしたトーベ・ヤンソンも嵐が過ぎ去った後は、そんなふうに思ったのでしょうか?
ものがあふれる現代の日本では、よほど気をつけないと、ものに支配されて生きることになります。
トーベ・ヤンソンの島を思い出すたび、物質から解放されて、精神の自由を取り戻したいと強く願います。