翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)、ビジネス記事翻訳ですが、そろそろリタイア状態へ移行中。JALの「どこかにマイル」で日本各地に出没。ウラナイ8で活動しています。

「お客様は神様」時代の終わり

コロナで医療崩壊が報じられましたが、レストランやコンビニもスタッフが確保できず一時的に休業しているところがあるそうです。コロナが収まっても、今のペースで高齢化が進む上に円安で外国人労働者がいなくなれば空前の人手不足です。

そのうち客が店を選ぶのではなく、サービスを提供する側が客を選ぶ時代になるのかもしれません。

 

日本学校で教えていた2017年からの3年間、物価の高いヨーロッパの国から来た学生が「日本の物価が安くてびっくり。特にレストラン」とよく言っていました。留学生の入国は再開したようですが、このところの円安でさらに驚いていることでしょう。

 

日本ではファストフードの接客が丁寧で高級レストランと変わらないのも、外国人は感動しますが、いつまでこのような状態が続くことやら。

 

「客なんだから尊重されて当然」という時代は終わり、店が客を選別するようになるかもしれません。たとえば、会員制にしたり、支払う金額の下限を設けるなど。労働力の争奪戦が始まると、単価が安く要求水準だけは高い客を相手にするゆとりがなくなるからです。

 

そんなことを考えるのも、両親の介護体験からです。

介護が必要となった父はサポートを受けながらぎりぎりまで自宅で一人暮らしをして、母と同じ施設に入所して看取ってみらいました。

実家から歩いていける介護施設は、ケアマネやスタッフとも顔なじみとなり、できる限りのことをしていただき、感謝の気持ちしかありません。

 

父も母も最初に告げられた待機状況よりずいぶん早く入所させてもらいましたが、待機者の順番が公表されているわけではなく、施設側である程度の選別を行っているような気がします。クレーマー気質の入居者や家族はできるだけ引き延ばし、他の施設に入所するのを待ち、職員と良好な関係を築けそうな人から優先的に入ってもらう。そうでもしなければ、職員の離職率が高くなり職場が回せなくなるのかも。

 

この国で老いて介護を受けようとするなら、施設に入所させてもらう基準をクリアする高齢者にならなくては。老いてそんなことまで気を使いたくないから自宅で孤独死を選ぶという選択肢もありますが、腐乱状態になる前の発見、埋葬の手配をしておかないと世の中に大きな迷惑をかけることになります。

 

4月に泊まった川越のゲストハウスの中庭にあった眼鏡屋さん。商売が成り立つのかと思ったら「お客さんは紹介制。一見さんが入店しないようにあえてこの場所にしている」と教えてもらいました。こういう流れがあちこちで起きているのでしょう。

 

金があるほど問題が起こる?

行動経済学のダン・アリエリーの本に「金があるほど問題が起こる」というラッパーのノートリアスB.I.Gの"Mo Money Mo Problems"が紹介されていました。

 

そんなはずはないと反論したいのですが、この記事を読んでノートリアスB.I.Gの曲にも一理あると思うようになりました。

president.jp

お金持ちと貧しい人向け、両極端の二つ病院に勤務しているブラジルの緩和ケア医。患者はみんな、死期が迫っています。

 

どちらの病院の患者のほうが苦しそうかというと、意外なことにお金持ちのほうだそうです。

どれだけお金を積んでも、最期のときから逃れることはできません。

人生に多くの選択肢があった人ほど、死を前にすると、後悔の波にのまれやすい傾向があります。逆に、生き抜くというただひとつの選択肢しかなかった人ほど、逆境のなかでも最善を尽くしてきたという揺るぎない自信をもって最期を迎えられます。

なるほど。

「金持ちが神の国に入るより、ラクダが針の穴を通る方がまだやさしい」というキリストの言葉はカルトの教えのようだと書きましたが、こういう意味があったのか。

bob0524.hatenablog.com

かといって、何も考えずに宗教にお金を明け渡すぐらいなら、少しでも社会の役に立ち、自分らしいお金の使い方をしたいものです。

 

相続者がいない人が亡くなったら、どんなところに寄付しているのか、終活をお願いしている団体の方に聞いてみたことがあります。

「自分の名前を冠した基金を作りたいなんて人がいるんですが、かなりハードルが高い。面倒になって、結局は国境なき医師団とか山中先生のiPS財団になることが多い」

 

理想は死ぬ瞬間に持ち金がゼロになっている"DIE WITH ZERO"です。

uranai8.jp

 

どんなに抗っても生老病死は免れないという仏教の教えが行き渡っているからでしょうか、バンコクの街のあちこちで極楽浄土のイメージを目にしました。

 

占いや宗教自体は悪くない

連日続いている旧統一教会の報道。

占いを仕事の種として、精神世界に興味があり、ケネス田中先生の仏教講座にも熱心に通いました。一歩間違えれば、報道される側になったかもしれません。信者と私を隔てているものが何なのか知りたいのです。

 

元信者で今は夫婦で奪回支援のボランティアをしているという女性の証言。

「きっかけは手相。『今まで苦労してきましたね』と言われました」

どんなに幸運な人生を歩んできた人でも、何かしらの苦労はあります。手相を見て絶対にはずれない決まり文句です。

「次に家系図を持ってきてと言われ、『長男がうまくいかない家系』だと言われました」

家族のこととなると、自分ではどうにもできない。問題が家系に由来しているのなら、何か大きな力にすがるしかないという切羽詰まった気持ちになるのでしょう。

「高額なビデオセミナーに勧誘され、気がついたら韓国に何度も出かけ、数百万の献金をしていた」

 

このところテレビ出演が続く紀藤弁護士

「占いや宗教自体は悪くない。ただ勧誘で占いは巧妙に使われやすい」という発言がありました。

 

この流れで占い関連の仕事も下火でしょうか。

uranai8.jp

 

占いや宗教がすべて禁止された世界は、窮屈で息が詰まりそう。日本神話は荒唐無稽だからおもしろいのです。

 

さかんに議論されているように「ここまではOK、ここからは危険」というラインを引くのはかなりむずかしいでしょう。旧統一教会問題を騒ぎ立てるなという人は「公明党がOKなのに」などと言い出します。

 

私の父は宗教に興味がなく、長男なのに田舎の実家からお寺やお墓の相談があるたびに逃げ回っていました。「面倒なことを言ってくるなら、イスラムスンニ派に改宗する」と伯母たちを脅すぐらいだったので、母が亡くなった時は無宗教の葬儀にするかもしれないと思っていました。

ところが、配偶者の死となると話は違うようです。

「アマゾンのお坊さん便というのがあるらしい」「戒名は私がつけてもいい」と提案すると、「そんなのじゃなくて、ちゃんとしたお寺で」とのこと。

檀家でなくても来てくれる真言宗のお寺を葬儀屋さんが紹介してくれたので、なんとか格好はつきました。お布施の相場も葬儀屋さんに聞きました。戒名は30万円。コピーライターとしてネーミングの仕事もしていた娘の私が付けるほうが、母は喜ぶのにと、ちらりと思いました。

 

私自身の葬儀は無宗教で執り行うよう、終活の団体に依頼済みです。ただ、死期が近くなったら父のように考えを変えるかもしれません。願わくば「宗教はカルトにつながるから一切禁止」なんて世の中になっていませんように。

 

『失われた岬』とサウナ

統一教会と関わった政治家は、時間の経過とともに国民は忘れると踏んでいるのかもしれませんが、今のところ報道は続いています。

なぜ世俗の生活を捨て、特殊な集団に入る人がいるのかが知りたくて、篠田節子『失われた岬』を読んでみました。

 

なかなかたどり着けない北海道の岬でひっそりと生きる人々。カルトといえばカルトですが、勧誘も献金もないので社会問題化していません。連絡を絶たれた家族や友人がやっとの思いで探し出して連れ帰ろうとしても「静かな暮らしを送りたいだけだから、放っておいてくれ」と岬に留まります。

 

岬の人々は「地上のすべてのものは、自分の体も魂も含め、借り物に過ぎない」と言います。

これは私もよく思います。あの世には何も持って行けないから。だからといって、無欲で暮らすのは無理。俗世で心の安定を得るためには、ある程度の物質と健康が必要です。死ぬまで手厚く面倒を見てくれる施設に入れば安心かというと、それも退屈でしかたがないような気がします。

 

さらにこんな言葉も。

『近い将来にこれを得るために、今、これを我慢する』という展望が失われるんだよ。だからといって刹那的になるのでもない。

子どもの頃から「いい学校」「結婚」「潤沢な資産」などのために今を我慢するのは当然だと刷り込まれてきたので、なかなかこうはいきません。「今、ここ」に集中できる瞬間が続く環境なら、ずっといたいと思うかもしれません。

 

そういう境地に達したいために瞑想やヨガをやってみたものの、雑念ばかり湧いてきます。音楽に合わせて体を動かすズンバのほうが没頭できました。そして、私にとって「今、ここ」への集中に最も近いのが「サウナでととのう」。

 

サウナと水風呂、外気浴を繰り返すうちに脳がバグを起こして一種のさとりのような状態が訪れます。熱いサウナと冷たい水風呂は体にダメージを与えるという声もありますが、健康のためにやっているわけではないのです。

 

「危ない薬に手を出していた人が、サウナで合法的にキメるようになり、立ち直った」という話まで耳にしました。

bob0524.hatenablog.com

 

いつも必ず「ととのう」というわけでなく、その時の心身の状況やサウナ、水風呂、外気の温度が関係します。ととのいとは遠い状況のことも。たまたますべての状況が完璧で、ととのえた日の記録。

bob0524.hatenablog.com

 

旅先でもサウナと水風呂のある宿を選びます。観光スポットを巡るより、その土地の水や空気をダイレクトに感じるほうが好きです。

チェックインしたら大浴場に直行。体を洗ってサウナと水風呂、外気浴を3セットこなすには2時間近くかかります。夜のサウナのために、夕食は控えめに。いつも飲んだくれているのに、サウナの宿ではアルコールも飲みません。翌日は朝食抜きで3セット。何かの宗教に取りつかれているかのような過ごし方。

 

秋田のユーランドホテル八橋。サウナと水風呂に南欧のパティオのような外気浴スペースがあります。ワ―ケーションスペースはフィンランドの森。あまりにもすばらしすぎて、街に出るのがおっくうになったほどです。

 

サウナはすばらしいけれど、あまりにも頻繁にととのいを求めるのもどうかと思うようになりました。月に一度か二度ぐらいがちょうどいいのかもしれません。

 

サウナ―のバイブル『サ道』の「サウナを信じるな!」を思い出し、サウナだけを信じる一神教からの離脱を試みます。

ととのっただの

ととのわなかっただの…

ある状態を追い求めると

それに振り回されてしまわぬものか?

 

ある状態を求めれば

苦しみを生むだけではないか?

 

ある状態は手に入れてもやがて失ってしまう

現れては消える状態を求めるな

信じるな

 

ととのった特別な状態など

はじめからない!

ととのうなんてものはない!

そんなものを信じるな!

サウナを信じるな!

旅の荷物は最小限に

グランマ・ゲイトウッドことエマ・ゲイトウッドは1955年5月3日、全長3000キロのアパラチアン・トレイルの南端に立ちました。地図、寝袋もテントも持たず、サンタクロースのような巾着袋を肩に担いで歩きました。その中身。

ウィンナーソーセージ、レーズン、ピーナッツ、ブイヨン・キューブに粉末ミルク。バンドエイドのブリキ缶にはヨードチンキ、ヘアピン、ヴィックス軟膏が入っている。サンダルとギンガムのワンピースは、こざっぱりした格好が必要な時のために持っていくことにした。それから暖かいコートと雨よけ用のシャワーカーテン、飲み水が少しとアーミーナイフ、懐中電灯、ミントのアメ、ペン、ロイヤル・バーノン・ラインの小さいメモ帳。家のそばのマーフィーズ雑貨店で買った25セントの罫線入りノートだ。

『わたしに会うまでの1600キロ』のシェリルはトレイルウォーキングのための用具をアウトドアショップで調達し、出発前のモーテルでバックパッキングを背負ってあまりの重さに立ち上がれませんでした。

エマは20代の若者とも一緒に歩きました。海軍を退役したばかりで、釣りや探検をしながらロング・トレイルを歩いている二人組。池のそばのシェルターで夕食の準備をしていたところにエマが入ってきます。

この人里離れた困難なセクションのトレイル上で高齢の女性に会って驚いた二人は、エマを招き入れて少し話をした。

エマがはるばるジョージアから歩いてきたと聞いて若者たちはいたく感銘を受けたが、彼女が肩に担いでいる荷物が9キロにも満たない袋だということにはさらに驚いた。10日間のハイキングのために、この海軍の若者たちはそれぞれ25キロのバックパックを担いできていて、自分たちがまるでバカみたいに思えた。

年齢的にはエマに近いけれど、生きている時代はシェリルに近い私。長い距離を歩いてみたいと思い立ち、銀座の好日山荘で登山靴と登山用ストックを買いました。エマの登山用ストックはそのあたりに落ちている小枝だったというのに。

 

それでも、旅の荷物は最小限にしようと試みています。コロナ前の最後の海外旅行となったスペインの旅も身軽に動きました。bob0524.hatenablog.com

 

鹿児島・指宿の断捨離リトリートに滞在した時も、断捨離トレーナーから「荷物、それだけ?」とびっくりされました。家の中は片付いていないけれど、旅に出るとスリムになれます。

 

7月初めに滞在した穂高養生園の部屋。ここまですっきりした部屋にふさわしい旅人でありたいものです。