翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

他人の靴を履いてみる想像力

コロナが落ち着いてくれば、静かな一人旅なら再開できそうです。

 

今は行き帰りの交通も宿も自分で手配していますが、老化とともにわずらわしくなり、添乗員付きのパックツアーに申込む日が来るかも。

参考のためにこの本を手に取りました。

高齢者が働くのは当たり前になりつつある日本。

交通誘導員、マンション管理人、メーター検針員など高齢者の職業を取り上げた三五館のシリーズはヒット企画ではないでしょうか。

 

添乗員という職業は、旅そのものを仕事にできてうらやましいというイメージがあったのですが、この本を読んで私には絶対に無理だとわかりました。

 

格安ツアーでグループで申込んでも席がばらばらになるのが前提なのに、娘と離れた新幹線の席をあてあがわれて「こんな侮辱、生まれて初めて」と激怒する高齢女性。

渋滞に巻き込まれ、現地での滞在時間が短くなったことに大クレームとなったバスツアー。

その一方で、添乗員に感謝の言葉を伝える人もいます。日帰りのスキーツアーに参加した金髪の若者が「添乗員さん、ありがとうございました」とお辞儀をしたエピソードは心温まりました。「金を払っているのだからサービスされて当たり前」と思っている人は、お礼を言うなんて思いつかないでしょう。恋人としていくら優しくても、お店の人への態度が悪い男性とは結婚しないほうがいいというアドバイスは正解です。結婚後、お店の人のように扱われるだろうから。

 

知り合いに実家からたっぷり仕送りがあったので、大学時代に一切アルバイトをしなかったという人がいます。悪い人ではないのですが、想像力がありません。自分は常にサービスされる側だとしか考えられないのです。

私はけっこうアルバイトをしたほうです。家庭教師や甲子園で阪神タイガースのボールガールといった楽しい仕事もありましたが、喫茶店のウェイトレス、デパートの売り子として時にはクレームを受けながら働いたことは、大学の講義以上の学びがありました。

英語に"put oneself in someone's shoes"というフレーズがあります。誰かの靴を履いてみる、つまり相手の立場になるという意味。短期アルバイトでも サービスする側で働くのは実際に靴を履いてみる体験です。

 

三五館の日記シリーズによると、60代や70代でも働ける職場はたくさんあるようです。本業がそれほど忙しくなくなったので、短時間のパートでやってみてもいいのですが、大学後卒業後ずっと働き詰めだったので気が進みません。

それに、50代後半の3年間は究極のサービス業である日本語教師を非常勤でやっていました。

教師という職業は人に頭を下げなくて済むというのは昔の感覚。しかも私が働いていたのはヨーロッパ系の学校で「学生はカスタマー」という意識が徹底していました。教師が学生の評価をつけると同時に、学生も教師を評価します。5点満点で平均4点が求められていましたが、一人でも気の合わない学生がいて2とかつけられると一気に平均点が下がります。ヨーロッパの本部やアジア地区を統括しているシンガポールから来日してくる上司の視察も胃の痛くなる思いでやり通しました。

今から思うとなぜあんな無謀なことに手を出したのが不思議ですが、やってよかったと思います。学生時代のアルバイトの記憶が薄れて老境に突入して介護施設に入所したら、クレーム婆さんになりかねないから。サービス提供側も生身の人間であり、精一杯やってもカスタマーの要望を満たせないことがある。これだけは、老いても絶対に忘れたくありません。

 

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石垣島かもめ食堂フィンランドかもめ食堂のイメージで作られたのでしょうか。若い女性が一人で調理と接客をこなしていました。お客さんものんびりしていて、こんなお店ならなんとか働けるかもしれないと夢想しました。

結局、一人で歩くしかない

映画『ノマドランド』がおもしろかったので、原作も読みました。そこでノマドたちの愛読書が紹介されています。

 

そのうちの一冊が『わたしに会うまでの1600キロ』。  

 

欠損した家庭で育ち、自分の人生も失いそうになった若い女シェリルが、生きる意味を見つけるために数千マイルのパシフィック・クレスト・トレイルを一人で歩き通すというノンフィクションです。

 

母親は19歳で妊娠し、結婚。結婚3日後に父は母を殴り、母は家を出て戻るの繰り返し。二人の娘と一人の息子が生まれたけれど、ついに離婚。

生活保護家庭のアパートで暮らしても、母の口癖は「うちは貧乏じゃないわよ 愛はたっぷりあるもの」。三人の子を精一杯育て、まともな男性と再婚したけれど、45歳にしてがんで亡くなります。

次女のシェリルは大学にも入り、幸せな結婚もしました。しかし、大学は中退し自らの浮気で離婚。最愛の母が亡くなり、ドラッグに手を出し望まない妊娠もして中絶。人生を立て直すために選んだのが、メキシコ国境からカナダ国境まで、アメリカ西海岸を南北に走るパシフィック・クレスト・トレイルを3か月かけて歩き通すという計画です。

全長1600キロという長さは、青森県から山口県ぐらいの距離。なにもそこまでやらなくてもいいのにと思いますが、これぐらいのインパクトがないと人生は変えられないのかもしれません。

 

シェリルが歩いたのは夏ですが、夏季の激しい暑さもあれば、標高が高くなれば凍えるほどの寒さ。コヨーテやガラガラ蛇などの野生動物も怖いけれど、もっと恐ろしいのは人間の男。そして食料から調理器具、テントまで一切合切を背負って歩くのです。それでも、パシフィック・クレスト・トレイルを歩く同士とのつながりが心の支えになります。

といっても、一緒に歩くわけではありません。歩くスペースは人それぞれだし、自分を見つめ直すために歩いているのですから。それに、最初は意気投合しても昼夜を通して一緒にいると合わないところも出てくるでしょう。だから、交流するのは中継点だけ。トレイルのところどころに置かれたノートへの書き込みも励みになります。

 

歩き通したシェリルは人生の再建にも成功。再婚して家族ができ、体験をまとめたこの本は映画化されました。

 

こういうハードな山歩きに挑戦しようとは思いませんが、生活に必要な最低限の物だけを持ち、時々気の合った人と交流するという暮らしにあこがれます。

 

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晴れた日の函館・五稜郭公園。私が歩きたいのは、景色がよくて平坦な道。

アイスクリームの求不得苦(ぐふとっく)

ケネス田中先生の仏教講座で8つの苦しみについて学びました。

生死病死。そして愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦(愛する人と離れ離れになること、恨み憎む者と会うこと、求めるものが得られないこと、肉体と精神が思い通りにならないこと)。

愛別離苦と怨憎会苦は恋愛と人間関係の悩みでさんざん聞いたし、医学が発達した現代でも五蘊盛苦は免れません。イメージしにくいのが求不得苦。日本に生きていればネットでたいていの知識は手に入りますし、よほど運が悪くないかぎり、毎日の食事に困ることはないし、洋服だって余るほど持っています。

 

ネットフリックスの『ヘッドスペースの瞑想ガイド』で、求不得苦のイメージを鮮明につかむことができました。

 


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ガイドはイギリス人のアンディ。世界各地で仏教の修行を積み、瞑想普及のための団体「ヘッドスペース」を創設しました。

アメリカ英語もいいけれどイギリス英語も好きなので、アンディの誘導で瞑想するのは最高。そして、瞑想の前のお話も大いに参考になります。

道路の脇に座って、車を眺める。車は思考。車を止めようとせず、ただ眺める。車に気を取られることに気づいたら、また眺めるだけに戻る。

すばらしいメタファーです。

 

そして、アイスクリームの求不得苦。

I'm always remainded of this when I think back to my time early on living in the monastery and one particular situation.

I found myself sitting down for lunch one day.

It's summer.  It's outside.

It's really hot, and you only get two meals a day in the monastery.

And there's not a lot of variety as you can imagine, 

So food actually becomes quite a big thing.

So when I looked over and saw them handing out ice cream instead of the usual curryed vegetables, I got really excited.

I didn't even see that happening in my mind, actually.

I was so excited I got completely carried away with it.

What I didn't realize was that the person handing out the ice cream was being followed by somebody else who was handing out the usual rice and curried vegetables, and the ice cream was being pushed to the middle of the table, making it very clear that the curry and the rice was to be eaten before the ice cream.

Now in this particular monastery,  you had to take about an hour to eat the food, so you're eating incrediably slowly.

And obviously, that meant that the ice cream was just gonna sit there.

So in my mind, I went from a place of real, genuine excitment...

I hadn't seen ice cream for a long time.

...to feeling a little bit confused, a little bit frustrated, and quite anxious as I sat and watched the ice cream melt in the summer sunshine, until eventually, there was just a feeling of ill will in my mind where I really kid of just resented the whole situation.

All I could think about was the story in my mind of the ice cream that could have been.

I eventually came to a place of acceptance and realization that I was never gonna get to the ice cream anyway.

You can look at the story and say, "Well, that's fine. It's just ice cream."

But you could replace the ice cream in that story with anything

 

私がいつも思い出すのは、僧院に入りたての頃のある場面です。

暑い夏の日、私は昼食の配膳を待っていました。

僧院の食事は1日2回で種類も限られていますから、食べ物は特別なものでした。

その日はアイスクリームが運ばれてきて、私は大興奮しました。

このあとどうなるかも知らずに喜んでいました。

そして、その後ろからはいつもの食事…カレーと野菜が運ばれてきました。

テーブルの中央に置かれたアイスは当然、食事のあとに食べることになります。

私のいた僧院は食事を1時間かけてゆっくり食べる決まりでした。

その間 アイスは目の前に置かれたままです。

久しぶりのアイスクリームに私の心は釘付けでした。

頭は混乱とイライラでいっぱいです。

アイスクリームが暑さで溶ける不安に支配されました。

その状況に言いようのない感情が湧き、やがて怒りさえ覚えました。

アイスクリームを食べることだけ考えていたからです。

最終的にアイスクリームを食べられないことを悟り、受け入れました。

この話を聞いて、「たかがアイスクリームじゃないか」と思うでしょう。

でも、アイスクリームはなんにでも置き換えることができます。

 

食べられないアイスクリームが溶けていくのを見せるなんて、いじわるな修行だと思いましたが、仏教では死体が朽ちていくのを見せる修行もあります。実際にアイスクリームを見せたからこそ、アンディの記憶に鮮明に残っているのでしょう。

 

伊豆高原のやすらぎの里や友永ヨーガ学院で数回の断食を体験しているので、この話はリアルに想像できました。普通食を食べている人のとなりで、薄い味噌汁だけとか、駅から友永ヨーガ学院に行くまでに目にするファストフードの店。

一見、 満ち足りているようで、得られないものはたくさんあり、そこから苦しみが生まれています。

  

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やすらぎの里、養生食コースの夕食。

もちきび入り五分づき米、大根と人参、凍豆腐の味噌汁、水菜の塩漬け、ブリの塩こうじ焼き、ほうれん草と菊花の三杯酢和え、ふきの五目煮、茶わん蒸し。

断食コースの人たちを思い、ありがたい気持ちでゆっくり食べていました。1週間、お菓子を食べずに過ごしましたが、目の前にアイスクリームを置かれたら、心が大きく動揺したことでしょう。

シングルタスクで世界を相手にする

デール・カーネギーの『道は開ける』は自己啓発本の古典であり、現代にも活用できる知恵が満載です。ウラナイ8のサイトでも紹介しました。

uranai8.jp

そして、現代には現代にふさわしい自己啓発本があります。『シングルタスク 一点集中術』はネット依存症の現代人への一冊。

 

一つのタスクに集中する人がもっとも能率が高く、マルチタスクをやめるだけで成果が上がる…耳の痛い指摘です

 

掃除や洗濯など毎日の家事。禅の教えでは、作務に無心で真剣に取り組めといいますが、私はマルチタスク。録音したNHKラジオの英語講座を聞きながら皿を洗ったり床を磨いています。

これはOKです。「意識的な努力を必要としない活動は、メインの作業と同時におこなうことができる」とあります。皿洗いや床磨きは毎日のルーティンなので、意識せずに体が動きます。

 

そして、意識的な努力を必要とする活動はシングルタスクに徹するべきです。

携帯電話が普及し始めた頃、広告業界で働いていました。会議中なのに、これ見よがしに携帯をデスクに置き、着信があるとすぐに出る人。目の前の私よりも、遠くにいる相手の方が重要なのかと憤慨しました。

 

国務長官ヘンリー・キッシンジャーの講演会でボランティアを務めた若きサミュエルのエピソードに心打たれました。

キッシンジャーの旅行鞄が紛失し、着替えのシャツがなくなってしまいました。あわてて新しいシャツを買いにでかけたサミュエル。

 買い物から戻ってくると、キッシンジャーは礼を言い、ぼくが選んだシャツを受け取った。彼はそのあいだずっとぼくの目を見つめつづけていた。一度もほかのところに注意をそらすことなく、ぼくだけに意識を向けてくれた。すべてのことを排除し、ぼくだけに集中するという努力をしてくれた彼のことを、ぼくは一生、忘れないだろう。 

 キッシンジャーは、まるでぼくが宇宙で唯一の人間であるかのように思わせてくれた。もちろん、一緒にすごした時間は短かったが、あのときの強烈な印象はいまも鮮やかに残っている。

 キッシンジャーはさまざまな債務を負った偉人という言葉では表現しつくせない人物だ。彼には、ぼくに礼を尽くし、きちんと対応する必要などなかった。それでも、彼はぼくのことを思いやってくれた。あの能力が、世界を相手にする外交家としても大いに役に立ったのだらう。

すばらしい! 世界を相手にするには、まず目の前の一人から。

この一節も胸に刻みました。

心と肉体を同じ場所に存在させるのだ。出席する(be present)とは、「今この瞬間に意識を向ける」(be present)ことなのだから。

私がシングルタスクに徹するのはズンバのレッスン。音楽に耳を傾けて体を動かすだけで精一杯。他のタスクが入り込む余地はありません。ライターと日本語教師の二足のわらじで極限状態にあった3年間、ズンバによって正気を保っていました。

ジムでエクササイズをするには、心身ともに完全に集中しなければならない。

レッスンで周囲に置いていかれないようにするには、100%集中しなければならない。そして、毎週、新たなリズムの新たな動きを覚えていく、

肉体と精神を同様に集中させるために、受講者は容赦なくシングルタスクを迫られる。

 

願わくば、一日でも長くズンバのレッスンに出られますように。

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熊本の小泉八雲邸宅。デスク周辺がこれだけシンプルだったら、執筆にも集中できたことでしょう。

コロナの時代に観る『映像の世紀』

本の整理をしようと思い立ち、古い本の棚卸しをしています。

 

自己啓発本の古典、デール・カーネギー『道は開ける』。

原題は"How to Stop Worrying and Start Living"(悩むのをやめて、人生を始める方法)。悩んでばかりの人間は、生きることを放棄しているということでしょうか。

 

両親の本棚にあったので、初めて読んだのは高校時代。アメリカ人の考え方が新鮮で、日本よりアメリカに暮らしたいと夢見たものです。

先の見えないコロナの時代にちょうどいいと考えて再読しました。古臭いところもありますが、現代にも通用する自己啓発ネタが散りばめられています。

 

巻末にさまざまな人の悩みの克服法が紹介されています。

経済学者のロジャー・W・バブソン氏「私は一時間以内で楽天家に変身できる」。

書斎で目を閉じて、歴史関係の書棚から一冊を取り出し、行き当たりばったりに読み始めるのです。

読めば読むほど、世界は常に苦闘の渦中にあり、文明は常に危機に直面ししていたころが理解できる。

(中略)

一時間ほど歴史をひもといていると、現状は決して良くないけれども、過去に比べるとはるかに良くなっているという事実をはっきり認識できる。これによって私は、全体としての世界が少しずつ良い方向に動いているのを知ると同時に、私の現在の悩みについても大局に立って考えることができるようになる。 

 …とは言うものの、去年の春からのコロナ禍は人類歴史上に刻まれる苦難でしょう。たまたま日本にいるから、それほど悲惨なことになっていないとはいえ、このままデルタ株の拡大が続けばどうなるでしょうか。

 

そこで、NHK映像の世紀』を観ることにしました。NHK内部に気骨のある人がいて、あえてオリンピック開会式前夜に再放送を始めたという説もありますが、たしかに絶妙のタイミングです。後世の人に「どうしてあの時、オリンピックを止めなかったのか」と聞かれたら、「第二次大戦と同じで、政府が『もう決まったことだから』と押し切ったから」と答えるしかありません。

 


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圧倒されるのは、第4集『ヒトラーの野望』、第5集『世界は地獄を見た』。いったん再生を止めると二度と観ないような気がして、一気に最後まで観ました。

 

ナチスホロコースト関連の本やドラマ。ドイツと同盟国だった国の人間として、知っておく義務があると思い、昨年の春は『これが人間か』を再読しました。

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『これが人間か』や『夜と霧』など、生還者がいるから当時を伝えられるわけですが、ほとんどの収容者は命を落としています。『映像の世紀』では、それが人間だったとは意識できないほどあまりにも多くの死体が映し出されました。

 

当時のドイツ国民が残虐な差別主義者だったわけでなく、ナチスに関わらなければ善良な市民として生きたであろうことは、多くの作品で描かれています。

 

じゃあどうしてこのような事態が起こったか。

ヒトラーの天才的な演説も『映像の世紀』で観ることができます。

私は我が民族の復興が自然にできるとは約束しない

国民自らが全力を尽くすべきだ

自由と幸福は突然、天から降ってはこない

すべては諸君の意志と働きにかかっている

 

我々自身の国家のみが

我々自身の国民のみが頼りとなる

ドイツ国民の未来は

我々自身のうちにのみ存在するのだから

国民自身が国民を向上させるのだ

勤勉と決断と

誇りと屈強さによって

ドイツを興した祖先と同じ位置に上がることができる

 

ある国の人間であること以外誇ることがないので右翼化するネトウヨはもちろん、意識高い系までカバーする見事な演説です。私が当時のドイツ国民だったら、迷わず入党したでしょう。日本の政治家の伝達能力のなさが批判されていますが、演説の下手な政治家は大衆を扇動することはありません。

 

そして強制収容所以上に衝撃的だったのが、フランス解放後のパリ。ナチスに協力したフランス人女性が公衆の面前で丸刈りにされる映像。

 平和な時代に生きているのはなんと幸運なのだろうと思ってきましたが、コロナによって日本がどうなるか、予測できません。凡庸な人間は加害者と被害者、どちらにもなりえると胸に刻みました。

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スペインの港町、カディスの大聖堂。複雑にからみあったヨーロッパ各国の歴史がよくわかり、『映像の世紀』は歴史の教科書としても秀逸です。