翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

アイリッシュパブの老人たち

甲府の珈琲専門店ダン、旭川の四條食堂など何十年もの続いてきた店の個人店主は、体力が続く限り、やりがいのある仕事ができます。 

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徐々にリタイア状態に向かっている私は、今さら店を始めることもできず、無為な日々を過ごすだけになるのかと暗い気持ちに…。

 

アイルランドのパブを思い出しました。訪れたのはもう30年以上も前のことです。

会社を辞めてフリーランスとして独立する前、3カ月の長期旅行。ネットのない時代ですから、首都のダブリンはともかく地方の街の情報はほとんどありません。当時、U2が好きだったのと、翻訳仕事を手伝ってもらっていたアイルランドアメリカ人のレジーナのアドバイスで旅先にアイルランドを選びました。

 

ダブリンを離れて始めて向かう地方。念のためその日に泊まるB&Bはダブリンの観光局で予約しました。エアビーアンドビーのある現在からすると隔世の感があります。

Googleマップもない時代なのでB&Bの場所を聞くために目についたパブに入りました。

パブといっても酒場だけではなく、喫茶店、レストラン、地元のコミュニティスペースといったさまざまな役割があるとレジーナに聞いていたから。それに「アイルランド人は親切だから、きっと助けてもらえる」とアドバイスをもらっていました。

しかし当時、地方のパブに東洋人がふらりと一人で入ると目立ちます。昼間からギネスを飲んでる地元の常連らしい高齢男性たちの注目を一身に集めました。

宿に着くまでに酔っ払うわけにいかないので、とりあえず紅茶を注文してバーマンが一息ついているときにB&Bの住所を書いたメモを見せて場所を聞きました。

ダブリンの観光局の女性はバス停から歩いて行けると言っていたのに、バーマンはしきりと首をひねります。待ってましたとばかりに乗り出してくる常連客たち。住所のメモはたちまち次から次へと回され、私のところに戻ってくるのかはらはらしました。

地元の常連たちの誰一人としてそのB&Bを知らないようです。困り果てた私を見かねて、どこかに電話してくれる人がいました。

「わかったぞ、ダブリンの観光局がバス停の名前を間違えて書いたんだ!これは別の街のB&Bだ」

店中が安堵。正しい街へ向かうバスの時間まで教えてくれて、安心して店を出ることができました。

 

この体験に味をしめて、どの街を訪れても真っ先にパブで情報収集をすることに。慣れてくると、とりあえずギネスを半パイント。滋養あふれるほろ苦い味が大好きになりました。アイルランドの国民飲料であるギネスを外国人がおいしそうに飲んでいるのは、パブの客にとってはうれしいことなんでしょう。しばしば二杯目のギネスをご馳走してもらうこともありました。キャッシュ・オン・デリバリーなので、人におごりやすいのです。

「じゃあ、次のギネスは私に払わせて」と言うと「いつか私が東京に行った時、サケを一杯買ってくたらいいから」

この精神はしっかり私に受け継がれ、外国人旅行者や留学生をホストするようになりました。

 

あの時の老人たちは、昼間からギネスを飲んでいたのだから、仕事はしていなかったでしょう。それでも、仲間がいて毎日通うパブがあります。見ず知らずの外国人に親切にできるのですから、陰謀論にかぶれたり右翼化もしていないでしょう。これはかなり理想的な老後です。

コロナが収まって外国人が日本を訪れるようになるのはいつになるのでしょうか。アイリッシュパブの老人たちのようにもてなすことができる日を待ち望んでいます。

  

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アラン島で同じB&Bで知り合ったマーフィー夫妻は、その後ダブリンの自宅に招待してくれました。帰国後も交流が続き、夫婦で来日した時のおみやげはギネスのカップアイリッシュコーヒーのグラス。ウイスキーにコーヒー、砂糖、生クリームを入れるとカロリーも相当なものになりそうで、作ったことはありませんが、ずっと持ち続けています。こういうものは絶対に断捨離できません。

 

 

 

 

 

飽食の時代の空腹

加齢とともに代謝が悪くなり、気を付けていないとすぐに体重が増えます。遺伝的にも太りやすい体質です。

 

伊豆のやすらぎの里や荻窪の友永ヨーガ学院で断食をやってみて、食に対する執着が強いことを実感。そして、戦後の食糧難に成長期だった親は出された食事を残すことを許しませんでした。

人間の長い歴史のほとんどは飢餓との闘いであり、脂肪を蓄えられる人間だけが生き延びました。スリムなマラソンランナーが何十貫もの寿司をぺろりとたいらげるという話を聞き、氷河期なら真っ先に餓死するタイプだと思いました。

 

温泉やサウナは好きだけれど、施設によっては素泊まりができず二食付きのプランしかないところがあります。大浴場はすばらしいけれど、夕食を食べ過ぎて部屋でごろごろするしかなかった苦い思い出も。

伊豆のやすらぎの里の普通食コースでは、一食500カロリーで一日二食、合計1000カロリー。朝食が午前10時で昼食はなし、夕食が午後6時です。若い人には足りないでしょうが、私にはちょうどいい量でした。そして、旅先で食事のことを考えなくていいのはなんて気楽なんだと思いました。

 

一人旅の食事にはけっこう悩みます。東京にはおひとり様歓迎の店もありますが、地方では女性一人客はあまり居心地がよくありません。朝は喫茶店のモーニング、昼はピークを外して遅めにして夜は無料のドーミーインの夜鳴き蕎麦で済ませたりします。

 

先日泊まった釧路空港近くの山花温泉リフレ。一人泊プランもある貴重な温泉宿です。

朝食だけのプランもあったのですが、薬膳夕食というのに惹かれて一泊二食プランにしました。

別名、農村都市交流センターというだけあって野菜がとてもおいしくて、釧路だから海産物もすこぶる美味。

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クコが添えられたお造りは新鮮だし、天ぷらの衣にはひじきが入っています。そしてサラダには豆乳マヨネーズであえたイカとホタテ。これだけでメインになります。

阿寒ポークと野菜、チーズの鍋物に火が通る頃にはすっかり満腹になってしまいました。ご飯は北海道が誇るななつぼし。親の教えでご飯を残すことができず、鍋物が食べきれませんでした。

前泊の釧路のホテルは素泊まりだったので、朝は釧路駅のベーカリーカフェでパンとコーヒー、昼食は抜いて臨んだのに。昨年の夏、万座温泉の夕食の量が多すぎて廃棄前提というツイートが炎上しましたが、宿側としては量が少ないというクレームを避けるために大食漢に基準を合わせることになっているのでしょう。

 

翌日の朝食。

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量はちょうどよかったのですが、ご飯を少なめにと言い忘れて、ななつぼしがたっぷり盛られました。鍋は卵とハム。ケチャップが添えられていないのは卵が絶妙の味付けされていたから。ふきの煮物が絶品。給仕担当の女性は、ふきなんかそこらへんに生えていると豪快な対応でした。

 

飽食の時代は、飢餓どころが空腹になることがめったになく、誘惑に負けて食べ過ぎてばかり。アルコールにしても、祭りなど特別な行事の時だけ口にできたのに、現代はいつでもどこでもお酒が買えます。

 

飢えることもなく、好きな時にアルコールが飲める状況だからこそ、空腹とシラフの状態は貴重だと思い至った旅でした。

さよならは言わない、またどこかで会おう

釧路の旅の思い出。

一人旅でちょっと大変なのが食事。東京ならおひとり様向けの店も探せますが地方ではなかなかありません。混んでいる時間の一人客は迷惑かと、午後のおそめの時間にランチタイムの指定がない定食屋さんに行ってみました。お目当てはカキフライ。釧路なら、厚岸のカキを使っているでしょう。

店に入ると客はいなくて、ワンオペで回しているらしいシェフがまかないを食べていました。大失敗! 恐縮して「時間はあります。どうぞ最後まで召し上がって、それからでいいです」と口走ったものの、プロの料理屋さんならそんなことをするはずがありません。すぐ厨房に入ってカキフライを揚げてくれました。

 

揚げたてのカキフライは夢に出てくるようなおいしさ。私のために料理してもらったという特別感がスパイスとなっていたからです。

お会計をすると、お釣りと一緒に次回に使える無料コーヒーチケットが。「旅行者なんです」という言葉を飲み込み、ありがたくいただくことにしました。

 

映画『ノマドランド』のボブ・ウェルズの台詞が心をよぎりました。

I’ve met hundreds of people out here and they don't ever say a final goodbye. I always just say, I'll see you down the road".

ここで何百人と会ったけれど、誰とも最期の別れを交わさなかった。「いつかどこかで会おう」と言うだけだ。

"down the road"というイディオムが、「いつかどこかで」と車上生活をかけていて、とてもしっくりきました。

 

この映画を観たのは三宮。神戸の実家で父の四十九日を終えた日です。お坊さんは、父は彼岸に旅立ったとおっしゃったけれど、さよならなんて言わなくていい。私もいつかそこに行ってまた会えるから。

この世で会う人もみんなそう。だからさよならは言わず、にっこり笑って別れます。

 

最終日は、山花温泉リフレ泊。釧路空港に近く、サウナと水風呂があり一人泊もOKなので選んだのですが、釧路駅からの直行バスは日に2便。イオンモールまで出れば、そこから始発の便もあります。駅のバスセンターの人が親切にあれこれ教えてくれました。

 

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別名が釧路市農村都市交流センターというので公共施設なのでしょうか。一人泊も格安料金で泊まれます。チェックイン前でもこんな景色を見ながら自習室で仕事できます。

 

夜のお風呂に行くと、小学高学年の女子グループが。「こんばんは」と明るく挨拶してくれました。地元の子供会かと思ったら、朝食レストランで修学旅行だと知りました。いかにも働き者らしい女性スタッフが常連さんに「お客さんが少なくて暇でやってられないけれど、昨日は修学旅行があったから」と話していたのです。

 

チェックアウト時、他にお客さんがいなかったので「修学旅行の生徒さんたち、どこからですか? とても元気よくて礼儀正しかったので」と聞いてみました。

フロントの男性はもしかしたら支配人? 道東の修学旅行事情について説明してくれました。小学校6年で道東内で一泊、昨夜のお風呂で会ったのは北見の小学生でした。中学3年で札幌、高校の修学旅行で本州となるそうです。

「先生が転任して、修学旅行先で食事がおいしいのはどこだったという話になって、うちが選ばれることもあるんです」と嬉しそうに話してくれました。フリーランスの極意も同じです。目の前の仕事をちゃんとこなしていれば、別から声がかかるものです。

 

コロナで自粛が続いているけれど、修学旅行は一生の思い出だから、中止にならなくてよかった。そんな話をしていると、生徒さんたちがフロント前に集合してきました。一学年男女合わせて20人ほど。この年齢は女子のほうがずっと大人っぽい。

心配しながら送り出した親御さんたちは私よりずっと年下でしょう。へたすると私と同世代の祖母もいるかも。

向田邦子が同窓会で鹿児島に行き、同級生の恩師による出産祝いの植樹が大木となっていて、自分が得られなかった人生をまざまざと見せつけられたという話を思い出しました。

 

元気に挨拶してくれた小学生女子たちにもさよならは言いませんでした。またどこかで会いましょう。

釧路で国の光と影を観る

旅先で仕事をするのでノマドを気取っていたのですが、私がやっているのは気楽なワーケーション。不要不急の遠出はお叱りを受けそうですが、静かな一人旅で酒場にも近寄らず、ホテルの部屋でパソコンに向かっています。サウナと水風呂のある宿を選んでいますが、沐浴ならぬ「黙浴」の貼り紙が。昔は地元の方との会話は面白かったけれど、そこは我慢しなくてはいけません。そして釧路の道は広く、観光客が激減しているのでたまにしか人とすれ違いません。

 

あちこち飛べるのはJALの「どこかにマイル」のおかげです。6月のベストシーズンの北海道なんて選択肢に出ることがなかったのに、今年はどんどん出ます。JALが飛んでいるのは札幌、函館、旭川、帯広、釧路、女満別。どんな旅先が出るか試しに見ているつもりなのですが、鹿児島の指宿にも行きたいところがあるので北海道プラス鹿児島の組み合わせが出ると、つい申し込んでしまいます。そして今回の行き先は釧路。コロナ以前からリモートワークで編集者とのやりとりはすべてメールで、データはPDFで送ってすから、どこでも仕事ができます。

 

北海道の空港に降り立つたび、樹木の力強さに圧倒されます。東京とは異なるエネルギーレベル。そして、空は抜けるような青さで智恵子抄ではありませんが、私が東京で見てきた空は本当の空じゃなかったのかと思います。

 

しかし空港バスが釧路駅の近くまで来ると、なんだか物悲しい雰囲気。かつては道東最大の繁華街だったというのに。

炭鉱と水産業の衰退により、全国に先駆けて始まった中心地の空洞化。1976年に長崎屋、1981年にイトーヨーカドー、1989年にダイエーが開業しましたが、地元と共存共栄の理想的な関係だったそうです。

ところが2000年にオープンしたイオンモールがごっそりと客をうばい、長崎屋とダイエーが閉店。釧路中心街から人出が消えました。

出典はこの記事。

business.nikkei.com

今では釧路駅から幣舞(ぬさまい)橋までの目抜き通りはシャッター街となり、テナント募集の貼り紙ばかりが目立ちます。

 

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幣舞橋周辺の運河。語源はアイヌ語のヌサオマイで神を祀るための場所という意味。この橋から見る夕日は世界三大夕日だとか。あとの二つはインドネシアのバリ島とフィリピンのマニラ湾。

釧路にはドーミーインの上位ブランドのラビスタ釧路川がありますが、今回は一人なので天然温泉とサウナの評判が高いホテルパコにしてみました。

大浴場の構造がちょっと変わっています。受付が12階で洗い場と内湯が9階、サウナと水風呂が11階、露天風呂が12階にあり裸で階段を上り下りします。露天のドアを開けようとしたら男の人の声が聞こえて「まさか男風呂に迷い込んだのか」とあせりましたが、大型テレビの音でした。サウナだけでなく露天もテレビがあるのかとがっかりしましたが、夕日を見ながらととのうという最高の立地です。立ち寄り客の来ない朝の時間帯はほぼ貸切状態。部屋も新しくて気持ちよく、釧路川が見える窓に面した机もとても使いやすく、すっかり気に入りました。

 

観光名所にはあまり行かないけれど、釧路の街を衰退させたイオンモールはどんなところか見たくなって行ってみました。

釧路駅から4キロ、バス代は360円。車がないと、日用品を買いに気軽に行ける場所ではありません。

広大な駐車場にピカピカの店内。東京でおなじみのチェーン店がずらりと並んでいます。小田実の『何でも見てやろう』でアメリカをグレーハウンドバスで隅々まで回っているうち、似たような街ばかりでどこがどこかわからなくなったという一節を思い出しました。街の中心部は空洞化して、郊外の中産階級は休日になるとショッピングモールに繰り出す。釧路は日本で最もアメリカナイズされているのかもしれません。

 

夏至を過ぎたというのに、長袖のカーディガンを羽織っても肌寒いほど。避暑地としては最適で、海産物、野菜、乳製品、パンやお米、なんでもおいしい。港町だからなのか、釧路で接した人はよそ者にも親切でした。これほどの都市が衰退してしまうとは。

観光の語源は易の風地観の爻辞「国の光を観る」。釧路の光と影を観た旅でした。

嫌われない年寄りになるために

美容院で、ワクチン接種のコールセンターに高齢者のクレームが殺到してオペレーターが心を病んでいるという話題になりました。ネット予約ができず電話で待たされイライラして、さらに希望の日程で予約が取れないと「俺が死んでもいいのか」とか暴言を吐くそうです。

同世代の美容師さんと「そんな年寄りにならないように気を付けたい」と話しましたが、心構えだけで避けられるものでしょうか。

 

ノマドランド』の映画と原作はアメリカの話とはいえ、いかにして老いるかの教科書です。

お金がなくて家を失うのは悲惨なことだけど、お金さえあれば幸せな老後を送れるわけではありません。これも美容師さんに聞いた話。退職後の高齢男性が自治会長になり、事あるごとに昔の肩書を出して「だから俺の言うことを聞け」と言わんばかり。陰で若い主婦から「昔は偉かったとしても、今はただの無職のジジイ」と言われているそうです。

ノマドランド』の原作に登場する高齢者が魅力的なのは、ジャーナリストのジェシカ・ブルーダーを受け入れて、自分の失敗談もユーモラスに話せる心のゆとりがあるから。そして、ハウスレスであってもホームレスではない、人のためにちょっとした手助けができるというプライド。こういう自己肯定感がないと、過酷なノマド生活を続けられないでしょう。

 

映画にも登場するボブ・ウェイルズは車上生活の先駆者としてウェブサイトで情報発信を続け、RTR(ラバートランプ集会)という交流の場も立ち上げました。無料の各種セミナー、不要品交換会を通して自分の技術や所持品を同じ立場の人々と共有するのです。機械に詳しい人は自動車修理の基本を教え、大工仕事が得意な人は、トラックの荷台にベッドフレームや棚を取り付けます。美容師免許を持っている人は、人気の寄付ベースでヘアカットを提供し、ろうあの女性は即興でアメリカ手話の講習会を開くといった具合。

 車上生活をしている仲間のひとり、リサ・ネスミスは毎朝日の出とともに起き出し、朝一番にキャンプファイヤーの火をおこす。その火にポットをかけてカウボーイコーヒーを淹れ、カップを持ってやってくる人にふるまう。これはリサがバージニア州リッチモンドの高層マンションに住んでいた頃からの、長年の習慣だ。日曜日は早起きしてコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、玄関のドアを開け放して近所の人に知らせたものだという。コーヒーの用意ができました。どなたでもどうぞ、と。

 

月一回、献血ルームでタロットカード占いのボランティアをしています。

献血が趣味という人もいて、全血献血は男性は年3回、女性は年2回しかできないけれど、成分献血なら一年に24回までできると教えてもらいました。「献血すると世の中の役に立てたと、自己肯定感が上がるんです」とのこと。それは私も同じ。血液を提供してくれた方々と対面してカードを読む時間はかけがえのないものになっています。

 

歳を重ねるにつれて能力は衰える一方ですが、「高齢者だから優先しろ」という年寄りではなく、人のために何かしたいという気持ちを持ち続けたいものです。

 

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スペインの街角のバル。観光客向けではないこうした店で人間観察をするのが好き。近所の常連の高齢者たちはとても大切にされていました。国家財政は厳しくても老人にはやさしい国だという印象を持ちましたが、コロナ後はどうなっているのでしょうか。