翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

日本の新首相と生存者バイアス

「日本はバナナ共和国」という記事がワシントンポストに出ました。

バナナ共和国とは、中南米発展途上国の蔑称。政治は私物化され、法律が公正に適用されない国のことです。アメリカには「バナナ・リパブリック」というサファリ風ファッションのアパレルのブランドもあり、日本にも進出しています。

政界は二世、三世議員ばかりで歌舞伎と同じように政治家は世襲。安倍首相の疑惑は文書偽装で、上級国民には警察は甘く、女子学生は医学部入試で減点。「バナナ共和国」と言われても反論できません。

フィンランドのマリン首相の父はアルコール依存症で母と離婚、LGBTカップルの貧しい家庭で育ちました。そして世界最年少の34歳で女性首相に。日本と何たる違いでしょう。

アメリカだってケネディやブッシュみたいな一族がいる一方で、ビル・クリントンがいます。生まれる3カ月前に父が事故死し、母の再婚相手はアルコール依存症。進学したジョージタウン大学では「アーカンソー出身の田舎者」と教授に馬鹿にされても、大統領になれたのです。

ネットフリックスの「クィアアイ」を見ているとメキシコから移民して魚屋を経営し、4人の子供を育て、シーフードレストランまでオープンさせるという男性や、韓国系二世で小児科医になった女性などが登場し、アメリカンドリームは今も健在のようです。

 

高卒で上京し働きながら夜間大学を卒業したという菅義偉氏が首相に就任するのは、格差が広がる一方の日本に一石を投じるのではないか。貧しさのために進学できない子供たちにとっては朗報だと思いました。

 

しかし、ちょっと調べてみると手放しでは喜べないような…。

菅氏の父は元満鉄の職員で郷里の秋田県に引き揚げ農業に順次。いちごのブランド化に成功し、町会議員も務めた名士です。母や叔母は元教師で、二人の姉も高校教師という教育一家。高卒で上京したのは農業大への進学を勧める父への反発のようです。

 

怖いのは生存者バイアス。

生き残った人だけを基準にして「たいしたことはなかった」と判断する傾向です。

先日、花王ロリエの「生理は個性」というプロジェクトが炎上しました。生理痛が本当にひどい人にとっては、個性なんて生やさしいものではないでしょう。このプロジェクトに関わった女性は、大手メーカーや広告会社に採用されて働き続けている生理の軽い人ではないでしょうか。

私はやたらと体が強い子供で、学校を病欠することはほとんどありませんでした。社会人になっても、体調不良で締め切りが守れない人が理解できませんでした。若い頃は「風邪なんて気力でなんとかなる」と本気で思っていました。これから老いて体が思うようにならなくなっていき、こうした傲慢さのツケを払うことになるのでしょう。

その一方で、家事が得意で自然に人の世話ができる女性からは「なんでこんなこともできない(しない)のだろう」と思われているかもしれません。

 

超高齢化が進む中、コロナに東京オリンピック、台風や地震などの自然災害のリスクにさらされている日本の舵取りは、並大抵のことではありません。親からの地盤もない中で地方議員から首相まで成り上がるほどの手腕がなければ務まらない難局でしょう。

菅氏が「俺だって大変だった。それができない人間は見捨ててもいい」という生存者バイアスを持っていないことを祈ります。

 

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甘党でパンケーキ好きがすっかり有名になりましたが、出身の秋田の名物は金萬。「都まんじゅう」と呼ばれる白あんをカステラ生地で包んだおまんじゅうです。子供の頃によく食べた「天満屋まんじゅう」もこの系列で、なつかしいおいしさでした。

数年前、秋田駅から徒歩5分のところにある金萬の製造工場に行ってみました。直売店はなかったのですが、受付の人はとても親切で、できたてを食べさせてくれました。秋田の人は温かい。どうか菅首相もそんな秋田県人でありますように。

地獄の沙汰はアイデアと人間関係

別府で地獄めぐりのバスに乗ってみました。

別府観光の父と呼ばれる油屋熊八はバス会社を創業し、日本初の女性バスガイドがたいそうな評判となったと聞いたから。

「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」をキャッチフレーズにした油屋熊八は七五調を好み、案内も七五調に。ガイドさんが当時の案内の一部を聞かせてくれました。

 

昔は熱湯や泥が噴出している場所は不吉な場所として恐れられ「地獄」と呼ばれていましたが、傷を負った武士の療養に温泉が使われるようになり、江戸時代にはにぎやかな温泉地に発展。昭和3年に油屋熊八が遊覧バスを開始したことから観光資源として活用されるようになりました。

 

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地獄は何種類もあり、レンタカーなど借りてお好みの地獄を訪れることもできますが、バスツアーは各地獄の入場券が込みになっていて周遊します。

 

コバルトブルーのお湯の海地獄、真っ赤な血の色地獄、泥が坊主頭のように盛り上がる鬼石坊主地獄、間欠泉が噴き出る龍巻地獄など。

それぞれの地獄が特色を出そうとしているのにも感心しました。海地獄はアマゾンから取り寄せた蓮が見事だし、鬼山地獄ではワニ、白池地獄は熱帯魚を飼育しています。かまど地獄では、温泉の熱を目に見えるようにする煙を吹きかける公開実験が行われ、血の池地獄は、赤い粘土から作った軟膏が特産品。龍巻地獄は、ナチュラル志向で園内の果樹園で収穫された果物のジュースやジェラートを販売しています。他の地獄と差別化するためにアイデアを競っているのでしょう。地獄の経営もなかなか大変です。

 

バスガイドさんは若い女性でとても話好き。「ガイドの仕事がない時はデスクワークをしなくてはいけなくて、とても苦痛」と、バスガイドが天職なのでしょう。訪問先ごとに親しそうに挨拶をかわしていました。

 

参加人数が少なかったこともあり、地獄の裏話もたっぷり聞かせてくれました。

地獄の所有者たちは組合を作ってバス会社と提携したり周遊チケットを販売しているのですが、組合から脱退した地獄もあるそうです。地獄の人間関係もいろいろあるのでしょう。

脱退したのは山地獄。ミニ動物園を併設し、子供連れには人気があるそうです。動物好きで人間が苦手なオーナーなんでしょうか。

そして、金龍地獄というゴージャスな名前の地獄が見えるのですが、営業していないそうです。別府の地獄では最も多量のお湯を湧出していたというのに、いったい何があったのでしょうか。看板はそのままになっていて、この地獄が一番恐ろしいと思いました。地獄も現世と同じく世渡りはむずかしいのでしょう。このままコロナによる観光自粛が長引けば多くの観光業が地獄を見ることになるでしょう。

 

コロナが収まって地獄めぐりにお客が戻り、多くの人が地獄のお湯を楽しめるようになることを祈っています。

 

ジグソーパズルをはめていく旅

コロナによって世界は一変。それまで当たり前だと思っていたことが不可能に。

生活が脅かされている人には本当に申し訳ないのですが、そろそろ仕事からのリタイアを考えていた身には自粛生活も苦になりません。

 

しかし、旅が制限されるのはちょっと悲しい。

4月に台湾の高雄、6月にロシアのウラジオストックに行く予定でしたがキャンセルを余儀なくされました。秋には韓国かタイに行き、来年の夏至フィンランドで過ごし、いつかは南米にという野望もありましたが、いつ実現できるかわかりません。

 

そんな時にこんな本を読んでしまいました。

 

 『旅の効用』というタイトルからしてそそられます。

金運とか蓄財について書いていると、旅は浪費の象徴。あちこち出かけずに家にじっとしていれば余計な出費もありません。でも、旅に出ずにはいられないのです。

 

著者のペール・アンデションはスウェーデン人。世界各地をバックパッカーとしてヒッチハイク、バス、列車で旅をしてきました。

未知の場所を訪れるのも好奇心を刺激されますが、同じ場所を何度も訪れるのも旅の醍醐味だと書かれています。ペール・アンデションにとっては、ギリシャナクソス島とインドのムンバイ。  

旅はジグソーパズルのようなもので最初の旅はジグソーパズルを初めてやってみる段階。その後パズルの各部分を一つずつはめ込んでいくと全体像が見えてくる。

 私にとっては別府がジグソーパズルです。 

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最初の別府はつれなくて、夜の街を歩いても女一人で入れるような場所が見つからず、ロイヤルホストへ。

 

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 再度訪れるうちに、別府の開放的な面がわかってきました。立命館アジア太平洋大学など海外からの留学生を積極的に受け入れています。そもそも、別府観光の父の油屋熊八こそ明治時代にアメリカに渡ったコスモポリタンです。

 

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別府のアイリッシュパブに入ると、サモアからの留学生、エド君が店を仕切っていました。「エドと申します」と謙譲語を使うなんて、日本語のレベルも相当なもの。

  

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ギネスを飲んでいると、「まかないを食べませんか」とサモアの料理をふるまってくれました。

ココアライサはカカオとお米を炊き込んだ甘いおかゆ。おはぎやあんころもちみたいな味。おいしそうに食べていると「故郷の母に写真を送ってもいいですか」と撮影されました。この時代、外国に息子を送っているお母さんはさぞ心配なことでしょう。日本語教師をやっていた時の記憶がよみがえった夜でした。

 

 

占い師は体験していないことを占えるか

メールが普及していなかった時代、女性誌のライターとして毎日のように出版社に出入りしていました。

ネタ探しと締め切りに追われる報道系に対して、コスメやファッション担当のライターは見た目も華やか。たしかに身なりに構わないようなずぼらなライターに美容記事を発注する編集者はいないでしょう。

私は健康やお金といった実用記事を担当し、占い原稿を書くようになったのですが、その時に編集者にかけられた言葉が忘れられません。

「メイクが下手なコスメライター、太っているダイエットライター、貧乏なマネーライターはいない。占いを担当するからには、運がよくなくてはいけないから一番ハードルが高い」

しかし、多くの占い師を取材しているうちに、運の悪い占い師にも出会いました。やたらと偉そうで、ゲラを送れば真っ赤になって返ってくる。反対に、売れっ子の占い師は感じがよくて鷹揚です。

 

占いについて書いているだけでは飽き足らず、2年ほど横浜中華街の占い店で対面鑑定もしました。

現場に身を置いたことで、不運な占い師は開運指南ができないかというと、そうとも限らないと思うようになりました。裕福な家に生まれ、働かなくても一生お金に困らないという占い師は、金運アップのアドバイスはむずかしいでしょう。あるいは美貌とコミュ力に恵まれた占い師の恋愛アドバイスには説得力がありません。

 

そんなことが頭にあると、この本から多くを学びました。

 小津安二郎は33歳の働き盛りで日中戦争に送られました。中国人の集落に毒ガス弾を撃ち込み、逃げ遅れた住民を切り殺すなど凄惨な戦争体験を経て、「立派な戦争映画を作る」と語ったものの、どうしても撮れませんでした。現実はあまりにも過酷で、スクリーンに落とし込めなかったのでしょう。その一方で、戦争にも行かずに戦争映画を撮る監督もいました。

カウリスマキは小津を尊敬するのは「人生の根源を描く時、一度として殺人や暴力や銃を使わなかったから」と語っています。

 

原節子は姉の夫である映画監督が目を光らせていたため、映画業界内で恋愛に落ちることはなく、小津安二郎は息子を溺愛する母親が結婚の機会を奪っていました。

 

 結婚して家庭を守り、子孫を残していく。そういう生き方は望めない、望まない監督と女優が、家族を映画のなかで描き出し続けたのだった。

 

 節子も小津も重き荷を背負い、見るべきものを見すぎていたのかもしれない。

  

女性占い師は「結婚していないくせに」「子供がいないくせに」という視線をよく浴びますが、結婚していないからこそ、子供がいないからこそ見えてくるものがあります。

 

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日本の観光名所では顔出しパネルが多いのですが、マドリードの王宮前広場では衣装を貸し出して撮影します。本物の闘牛士やフラメンコダンサーじゃなくても、しばしその気分に浸るのも一興でしょう。

 

九十九里浜の夜はふけて

2020年は子年。

十二支には三合という関係があります。十二支を円周上にならべて、正三角形になる組み合わせで、西洋占星術ではトライン。正三角形は最も安定した形ということで、吉方位取りに使われます。

子と三合になるのは辰と申。子年の辰月(4月)に台湾(申方位)に行くはずだったのですが、コロナで頓挫。だったら、申月(8月)に辰方位ということで、九十九里浜に行ってきました。東京都民は不要不急の移動は自粛すべきですが、首都圏内ならまあいいんじゃないかと出かけました。

 

目的地に選んだのは九十九里浜の「太陽の里」。サウナと水風呂がある日帰り温泉施設で宿泊もできます。

東京駅から千葉、外房線で茂原へ。茂原ではホスピタリティあふれる洋食店でランチを食べ、予約していた送迎バスで「太陽の里」へ。

 

お風呂は最高。

BS朝日の「サウナを愛でたい」で東久留米のスパジアム・ジャポンを訪れたヒャダインが、水風呂のはしごをしていましたが、太陽の里ではサウナを出てすぐに水風呂があり、露天にはちょっとぬるめの2つの水風呂があります。外気浴のための腰掛ける場所も多く、空気にはほんのり潮の香。まさに整い放題です。

 

ゆったりとサウナと水風呂の交互浴を楽しんでいたところ、にぎやかなおばさまたちが乱入。サウナでの会話を小耳にはさめば、大衆演劇の追っかけ軍団のようです。

 

夕食を取りに食堂に行ってみると、18時から歌謡ショーが開催。おばさまたちは客席前方に陣取って熱い声援を送っています。

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一見、密ですが、終演後の撮影タイムで前方に集まったため。後方にはゆったりしたテーブル席もたくさんあります。九十九里はお風呂も部屋もすべて大きめでした。

コロナ対策のため、歌や台詞はすべて録音されて役者は動くだけ。それでも追っかけにとっては生身のアイドルを間近に見られるのだからうれしいでしょう。「コロナで終演後の握手がなくなった」と嘆く声も聞きましたが、役者が舞台の袖まで来るとおひねりをねじこんでいるおばさまも。

「私は桃太郎」「私は桃之助」とかサウナで語っていたのはそれぞれの担当なんでしょう。

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コロナでこの温泉施設も大きなダメージを受けただろうし、劇団もずっと休演だったでしょう。この先どうなるのか、ネガティブに考え始めると不安は尽きませんが「好き」をエネルギーにするからこそ人は生きていけます。入浴料金だけでご贔屓のアイドルを間近に見られるおばさまたちをうらやましく感じました。

 

ままならないことが多いけれど、なんとか楽しみの種を見つけていきていこう、そんなエネルギーを得た九十九里浜でした。