トーベ・ヤンソンは77歳になるまで夏は島暮らしを楽しみました。
無人島に小屋を建て、親友と二人で住み創作に打ち込む日々。生活必需品はすべてボートで運ぶという不便な生活ですが、それが創作意欲を刺激したのでしょう。
10年ほど前にその島を訪れたのですが、観光で行くのも一苦労、夏の間だけでも住むなんて絶対に無理だと思いました。
軟弱な私はもっと大きな島を目指します。しかも飛行機で。
JALは沖縄や鹿児島の離島をプロペラ機で結んでいます。
グレタさんが知ったら「よくもそんなことを!」と絶句しそうですが、島に暮らす人々にとって定期的な飛行機の航路はお守りのようなもの。普段はフェリーを使っていても急病人の搬送など、飛行機が必要になることもあるでしょう。航路を維持するためには、観光客も乗せて、ある程度の収益が必要なのではないでしょうか。
島に行くか、山に行くか、どちらかを選ぶとなると私は島に行きます。
山奥の村はのどかで自然も豊かですが、閉鎖的なイメージがあります。もちろん観光客として訪れるのなら歓迎されますが、四方を海に開かれている島の開放感を心地よく感じます。
7年ぶりに石垣島を訪れました。
前回、街歩きガイドさんから教えてもらった「路上寝」という言葉。酔っぱらってそのまま路上に寝ることです。なんてワイルド!
飲み屋街には「路上寝禁止」と注意書きが貼ってあるところを見ると、あいかわらずの習慣のようです。
すばらしいお店だと感動した辺銀食堂は、要予約の9900円おまかせコースのみの高級レストランになっていました。新しい店もいろいろオープンしている一方で、7年前と同じ居酒屋や喫茶店も営業していました。
写真を撮っている姿が、いかにも観光客然としていたのでしょう。すれ違う若い女性から話しかけられました。
日本語でも英語でもないし、彼女の風貌もアジア系なのかヨーロッパ系なのか…。
何やら路上を指さしています。彼女が一生懸命伝えようとしたのは、ハート型をしている石でした。私が理解してスマホを向けて撮影すると、「ね、素敵でしょう、とても気に入っているの」と言いたげににっこり笑いました。
これこそ島旅。
どこから来たのかわからない者同士が、情報を交換する。石垣島は八重山諸島行きのフェリーが発着する玄関口ですから、多くの人が行き来しています。
この本を読んで、種子島にも行ってみました。
ビジネスマンが書いた本なので、学術的にはあいまいなところも多いと批判されていますが、おもしろく読めるし、考えるヒントもたくさんあります。
種子島に鉄砲が伝来したのは、たまたま漂着した船にポルトガル人が乗っていて鉄砲を積んでいたからとされます。しかし出口氏は、当時の海上交易はたくさんの情報を持っていて、儲かりそうな場所を選んで物品を運んでいたのではないかと考察します。
鉄砲が求められるのは、紛争が起こっている地です。当時の日本は室町幕府の力が弱まって群雄割拠となっているタイミング。「鉄砲を日本に持っていたら高く売れるのではないか。どうせ持ち込むなら、目の青いポルトガル人を連れて行ったほうがありがたみがます」と中国の商人は考えたのではないか。
昔も今も日本人は外タレに弱い。種子島の領主にとっても、漂着としていたほうがお上に咎められる可能性は低くなります。早速、高値で買い求め解体し構造を調べています。
歴史を動かすのは財。海の男のロマンもあるだろうけれど、結局はお金の匂いが人を動かします。あちこちを転々と移動するタイプは財を確保しなければ暮らしが成り立ちません。
島を歩いているだけで、人生に新しい風が吹いてくるような気持ちになります。トーベ・ヤンソンみたいに夏が来るたびに同じ島に暮らすのにあこがれますが、適度に稼いで気ままに南の島を行き来するのもいいものです。