今年最後のJAL「どこかにマイル」で長崎へ。
4つの候補地は、那覇・宮古島・大分・長崎。寒さが厳しくなってきたので沖縄に行くのもいいし、大分は温泉天国。長崎にもずっと行ってみたいと願っていたので、どれになっても最高という組み合わせでした。
長崎に行きたかったのは、カズオ・イシグロが1954年に生まれ5歳まで過ごした地だから。
到着してまず向かったのは、彼が生まれ育った新中川町。長崎駅前から市電で5つ目です。川が流れ山が迫り、坂道には住宅が立ち並ぶ閑静な街でした。
昔の面影は失われているものの、初の長編作品『遠い山なみの光』の舞台だと思うと胸に迫るものがありました。
淡々とした静かな物語ですが、読み方によっては身の毛がよだつホラー。
登場人物のほとんどが女性で、会話部分も多く、元は英語で書かれたものだと意識せずにすらすらと読めます。
「これはリアルな日本ではなく、カズオ・イシグロの日本だ」と感じたのは一か所だけ。主人公の悦子が義父のために急いでお弁当を作るシーンです。
「じゃ、お弁当を作ってさしあげますわ、一分もかかりませんから」
「それはありがとう。それなら二、三分待たせてもらうかね。じつを言うと、お弁当を作ると言ってくれるんじゃないかと、待っていたんだよ」
<中略>
「何を作っているのかね」
「たしたものじゃありませんわ。ゆうべの残りものですから。急におっしゃったんだから、このくらいでがまんしてね」
「それでも、あんたはなかなかうまいものを作るからな。卵で作っているのは何かね。それも残りものというわけじゃないだろう」
まるで原節子と笠智衆の会話のようです。それもそのはず、カズオ・イシグロは小津安二郎の映画にも大きな影響を受けたそうです。
ゆうべの残りものを詰めながら、卵料理だけは作る悦子。お弁当に入れるのだから卵焼を連想したら、オムレツでした。おそらくカズオ・イシグロのお母さんはイギリスで卵焼きではなくオムレツを作っていたのでしょう。
カズオ・イシグロの一家が渡英したのは、海洋学者であるお父さんがイギリス政府から国立海洋学研究所に招致されたからです。今でこそ一家で海外赴任は特別なことではありませんが、当時はかなりの決断だったのではないでしょうか。
両親は毎年のように「来年は日本に帰る」に言うのでカズオ・イシグロもそのつもりだったのに、帰国が実現することはなく、彼が再び故国の地を踏んだのは5歳で日本を離れて以来、約30年後です。
カズオ・イシグロが小説家になったのは、記憶の中にある日本を永久保存するためだとインタビューで語るのを聞いたことがあります。彼の小説の中では「記憶」は重要なテーマの一つです。
5歳の子供が異文化で生きていくのは並大抵のことではなかったでしょう。『遠い山並みの光』では、親に連れられて外国に行くのを嫌がる子供や、悲劇的な結末も描かれており、彼自身の葛藤をうかがわせます。
しかし、その特異な経験が小説という形で結晶したのはすばらしいことです。
山と海が一望できる長崎の独特の景観。グラバー邸など明治の洋館が残されている一方で、中国のお寺や孔子廟もあります。クルーズ船の寄港地にもなっていて、多くの外国人観光客が街を散策していました。
世界に開かれた街だからこそ、カズオ・イシグロの両親も外国に移住するハードルが低かったのかもしれません。