映画『ニューヨーク公共図書館』をようやく観ることができました。
神保町の岩波ホールでは連日、行列ができているとのことで、行く気になれませんでした。当日の朝、整理券を求めて窓口に並ぶという旧式システムで、ネット予約ができません。
4年前、フランスの修道院の映画『大いなる沈黙へ』を岩波ホールで観ようとしたのですが、朝一に行かなかったため、すべて売り切れていました。その後、新宿のシネマカリテで観ました。
『ニューヨーク公共図書館』も岩波ホールの後、アップリンク吉祥寺で上映。ネットで座席を予約して出かけました。
それだけ観たかった映画なのに、タイトルを「ニューヨーク公立図書館」と誤解していました。Public Libraryだけど、公立ではなく私立の図書館。ニューヨーク市からの出資や民間からの寄付で運営されています。
ネットがこれだけ普及している時代に図書館は時代遅れの遺物になるのではというのが大方の予想でしょうが、ニューヨーク公共図書館は講演や読書会、コンサート、ダンスから就職支援まで、多彩な教室を開催し、市民の知的生活を支えています。ネット環境がない人々のために接続機器を貸し出すし、ホームレスの来館者にどう対応するかも話し合われます。
映画を観る前に予習をしていかなかったため、登場する著名人の背景を知らず、メッセージのすべてを咀嚼できませんでした。
たとえば、読書会で取り上げられたのはガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』でしたが、私はたまたまこの本を読んでいたから流れについて行けましたが、未読の人はこのシーンは退屈だったかもしれません。
それにしても、3時間を超える他国の図書館のドキュメンタリーが連日行列ができるほどの人気を集めるとは、「知」への欲求を持つ人はけっこう多いのかも。
この4月から通っているケネス田中先生の英語で学ぶ仏教講座も、毎回、熱心な参加者が詰めかけています。
ただ、どちらも圧倒的に多いのは中高年。若い層は食べていくことに必死で、「知」への欲求なんて悠長なことは考えられないのでしょうか。
知りたいことを学べる場があるのは貴重なことです。ネットや本から一方的に情報を受け取るだけでなく、自分がどう考えたかを発表して意見交換できればさらにいい。ニューヨーク公共図書館のような壮大な規模でなくても、そんな場所に関わっていくのが理想の生き方です。
熊本の橙書店。店主がいいと思った本だけを置き、定期的にイベントも開かれているそうです。探せば日本各地にした場があるはずです。