バンコクでの瞑想体験からの連想でエリザベス・ギルバートの『食べて、祈って、恋をして』を再読しています。
そして、エリザベス・ギルバートはは創造性についての本も出ていことを知りました。
彼女のTED Talkはとてもおもしろかったから、活字でも読んでみることにしました。
- 作者: エリザベス・ギルバート,Elizabeth Gilbert,神奈川夏子
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2017/10/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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詩人のルース・ストーンの話はいつもわくわくします。
ヴァージニア州の農家に育った子ども時代、畑で農作業を手伝っていたルースには、ときどき詩が自分のほうにやってくる音が聞こえたそうです。詩は、全速力で走る馬のように、田園地帯を一目散に彼女めがけて突進してきます。ルースには、そのたびに何をすればよいか、ちゃんとわかっていました。詩に追い抜かれないよう、母屋に向かって「死に物狂いで走るの」。手遅れになる前に、紙とペンを手にとって詩を捕獲するのです。
創造性は天から降ってくるようなもの。
といっても、それを受け止めるには、持って生まれた才能が必要じゃないかと思っていたのですが、この本の冒頭には「創造的な生き方とは、かならずしもプロのアーティストや芸術一筋の人生を指しているわけではない」とあります。
その例として挙げられているのが、40歳になってからフィギュアスケートのレッスンを始めたという友人のスーザンの話。
スーザンは幼いころから大会に出場して、滑ることが大好きでしたが、思春期に入り限界を感じてスケートをやめてしまいます。四半世紀の間、スケートを封印して疲れて気の抜けた中年女になってしまったスーザンは、10代の頃の気持ちを思い出し、再びコーチを雇いリンクの上に立つことにしたのです。
華奢で妖精のような少女に交じって練習するのは気が引けましたが、なんとか克服し、ただひたすら滑っているうちに生きているスーザンは実感を取り戻します。
もう大会で優勝を目指そうなんて思っていません。ただ純粋に滑ることで美しく澄み切った心を取り戻したのです。
エリザベス・ギルバートは、これこそが創造的な生き方だと言います。カーネギーホールで演奏をしたり、カンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得する必要はないのだと。
私はライターといっても、創造性とはかけ離れたところで、淡々と編集者に指定された文字数を埋める仕事をしてきました。そのほうが需要があったし、職人のようなやりがいもありました。
才能がないんだから仕方がないと思っていたのですが、スーザンのスケートの話を読んで、私にとっての創造性はズンバのレッスンだと思い至りました。
上手に踊れるわけではありません。かっこいい人たちはスタジオの前列へ。私は後ろ側で踊っているだけで満足です。ズンバ自体、インストラクターの振り付け通りではなく、人にぶつかりさえしなければ、好きに踊っていいという自由なものですから、中高年の参加者もけっこういます。
プレッシャーの多い日本語教師を3年間続けられたのは、ズンバのレッスンのおかげです。教室でどんなに失敗しても、スタジオで踊っているうちに気持ちが切り替えられます。
曲のほとんどがスペイン語なので、歌詞の意味もわからず、ただただメロディとリズムに動きを合わせる楽しさ。ダイエットや筋トレなど目標を持ってスポーツクラブに通う人もいるでしょうが、ズンバに来る人は、ただ楽しみたいという人が多いような気がします。
心配なのは、そのうち踊れなくなること。いくら健康でも、人間の体には耐用期限があります。足を悪くしてスタジオレッスンを引退し、水泳やヨガに転向した人たちをたくさん見てきました。
まあでも、終わりがあるからこそ、遊びは楽しい。踊れるうちは、何もかも忘れてレッスン時間を楽しむことにします。
バンコクの絢爛豪華なお寺もいいけれど、街角の小さな祠にも創造性があふれています。