3年続けた日本語教師の職を休職。本職のライター業は細々と続けていますが、自由に使える時間がいきなり増えました。
仏教伝道協会のケネス田中先生の講座に再び通い始めました。
思い返せば、先生に初めてお会いしたのは6年前の9月。この年に、阿佐ヶ谷の七夕祭りで占いイベントを企画し、天海玉紀さんと意気投合。二人で仏教伝道協会のシンポジウムに出かけたのです。
2016年から日本語学校で月火水と週3回教えるようになり、月曜の仏教英語講座に通えなくなりました。学生の日本語の作文と火曜日の授業準備に忙殺され、月曜は睡眠時間も削るほどでした。
3年間、休んだ間に講座もずいぶん変わっていました。
英語ガイドの資格を取れる講座となり、宿題が出て修了試験もあります。出席者もずいぶん意欲的で、遠方から泊りがけで来られている方もいます。
ケネス先生の奥様のケリー先生の発音指導もあり、日本語学校の学生から「先生の英語の発音はひどい」と言われた私は冷や汗ものです。宿題にも時間がかかります。
それでも、教師という立場に比べれば、学生は何と気楽なものか。
これから一生、学生のままでいいやと思えるぐらいの心地よさです。
高齢に差しかかかっても学び続けるなんて貪欲なことですが、私の人生は学ぶことで次々と展開してきました。
男女雇用均等法前に就職したメーカーの事務職に飽き足らず、夜間のコピーライター養成講座に通って広告制作会社に転職できました。フリーランスのライターになってからは、占い学校で東洋占術を学ぶことで出版不況の中でもコンスタントに仕事を受注できました。
仏教英語講座は実利には結びつかないかもしれませんが、ケネス先生に定期的に会えるだけで十分です。
ゆるい仏教英語講座の時代は、毎回、講座の後に有志で飲みに行っていました。ある日、酔った勢いでこんなことをケネス先生に申し上げました。
「仏教も学びたいのですが、こうして先生とお目にかかって、その存在を感じるだけで私は満足です」
先生は「これほどうれしい言葉はありません」と喜んでくださいました。真の教師は教える内容ではなく、存在自体で学生を導くものです。私はとてもその境地に達することができませんでしたが、学生としてなら、これからもすばらしい師と出会えるかもしれません。そのために、死ぬまで学生を続けることでしょう。