翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えていましたが、2019年3月で卒業。フィンランドが大好き。

人生の後始末を考える

母が亡くなったのは昨年の12月16日の日曜日、早朝でした。

1週間前の月曜日に施設から「栄養物を受け付けなくなったので、水の点滴に切り替えた」と連絡がありました。

危篤状態になっても病院に搬送せず、施設での自然な看取りをお願いし、署名と捺印も済ませておいたので、そのままお任せするだけでした。

 

水だけの補給で、いつ命が尽きるのか、それは人によって違ってくるとのこと。

本来なら月曜の時点で東京から神戸に駆けつけるべきなのでしょうが、月曜から水曜まで日本語学校で授業があります。

急な代講は頼みにくいし、仕事中毒ぎみの私はなかなか考えが切り替えられません。いざとなれば新幹線で3時間ほどの距離ですし。結局、水曜の授業まで済ませて、午後の新幹線に飛び乗りました。スマホで新幹線の指定席の購入ができて何度も変更できるEX予約は本当に助かりました。

 

木曜、金曜、土曜と、死を待つだけの日々。

施設の人からは「テレビドラマのようにご臨終に家族が立ち会うことのほうがめずらしい」と言われたので、夜は実家に帰って寝ましたし、葬儀の準備にも取りかかりました。

母が数十年前に平安祭典の会員になったと聞いていたので、会員証を探し出し、ネットで検索すると「事前相談」ができるとあったので、金曜日に電話してみました。

その日のうちに相談できるというので、急いで出かけて大体の流れがわかりました。

葬儀会社とのトラブルでよく聞くのは、よくわからないままに病院と提携している葬儀会社が遺体を引き取りに来て、そのまま葬儀を執り行い高額のプランになってしまったというケースです。

母の入所していた施設では、葬儀会社をあらかじめ決めておくように勧められ、特に提携しているところもにあようでした。

 

金曜日に大筋が決まり、土曜日も同じ状態が続き、内心「長引くようなら月曜日にいったん東京に帰ろうか」と仕事人間に戻りそうになりましたが、日曜の早朝5時に施設から、息を引き取ったと連絡がありました。

 

実家から施設まで、徒歩25分ほどの道のりを歩いているうちに、日が昇り夜が明けていったのを覚えています。

その後はベルトコンベアに乗ったかのように葬儀会社の仕切りに任せました。

 

喪主は父ですが、肺炎で入院中なので、すべての選択をするのは私です。

直系家族と仲の良かった近所の人だけの小規模な家族葬にしました。親戚は昨年の夏まで子供のいない伯母の遺産を巡って骨肉の争いを繰り広げていたので、誰も呼ばないことにしました。裁判までもつれ込んだ対立していた人たちが和やかに葬儀に参加するとは思えないし、どちらか一方だけを呼ぶのもトラブルの元になりますし。

 

それにしても、祭壇の大きさから、棺桶、装束、写真、花など、なんと選ばなくてはいけないことが多いのでしょうか。いちいち考えるのも面倒で途中から「中の中でお願いします」で済ませてしまいました。父が払うので自分の財布は痛まないと思ってさくさくと決められたわけで、自分が払うのだったら迷ったかもしれません。

 

家族葬だからといって、安くなるのは通夜でふるまう料理の数だけで、一般の葬儀と費用はあまり変わらないということで、費用は80万円ほど。これにお寺へのお布施が加わります。

 

葬儀で忙しいのは、遺族の悲しみを和らげる効果があると言われますが、たしかに亡くなって三日間ほどは考える暇もなく淡々と時間が流れていくような感覚でした。

 

その後も年金や金融機関の手続き、遺産分割とやるべきことが山積です。

 

母の死を通して、自分の死もリアルに考えるようになりました。子供のいない私が死んだら、だれも手続きをしてくれません。任意後見と死後事務委託について調べてみるつもりです。

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