映画『クレイジー・リッチ』では、財産目当てと誤解され大富豪の恋人の家族からいじめられるヒロインが描かれています。
結局、ヒロインの無欲がみごとに物語を着地させました。
日頃は「清貧に生きる」と言っていても、ほとんどの人は大金が目の前に示されると豹変します。
子供のいない伯母の遺産をめぐって骨肉の争いに巻き込まれ、いとこと絶縁することになった体験を通して、お金はつくづく因果なものだと痛感しました。
NHKラジオの「エンジョイ・シンプル・イングリッシュ」毎週1回、日本の昔話が英語で放送されます。
先日、取り上げられたのが「わらしべ長者」。
わら一本から成り上がるストーリーは複数あるようです。
わらにあぶを結び付けたのを大泣きした男の子が欲しがり、みかんと交換。そのみかんが、反物、馬、屋敷と交換されていくのが一般的ですが、紹介されたのは別バージョンでした。
わら一本を持って歩いていると、炭焼きに遭遇。
炭焼きは炭を作る火を起こすためにわらが必要。わらの代金を払うと言われても「もともとただで手に入ったものだから」と代金を受け取らずにわらをあげる。炭焼きから炭をもらう。
次に会ったのは刀工。
最後の仕上げに火を入れるために炭が必要だというので、炭を渡す。代金を辞退したら、どれでも好きな刀を持って行っていいと言われ、短い刀をもらう。
そして、戦さに向かう武士と出会う。長い刀は持っているけれど2本目の短い刀を持っていないという武士に短い刀を所望される。すべてはただで手に入れたものだから代金は要らないという若者に武士は感嘆し、「この青年なら」と手紙を持たせて自分の屋敷へ向かわせる。青年は家族としてその屋敷で暮らすことに。
武士は、無欲の青年に感じ入って自分の家族の命運を託したのでしょう。
目先のお金にとらわれていては、それだけのものしか手に入らない。
無欲になった時、人は最高のものを手に入れる。
お話の教訓はそうですが、実生活ではなかなかむずかしいものです。
シンガポールの「富の噴水」。
中国系の人は財を求めて風水による建築物を建てるのでしょうが、一般の観光客も楽しめる開運スポットとして開放されているなんて太っ腹。関係者で独占していては、「気」の流れがよどみ、運気の停滞を招くと考えるからでしょう。