翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

干からびてしまったロバ

 3年前に副業として始めた日本語教師の仕事。

外国人好きだから、刺激的でおもしろい。わざわざ海外に行かなくても、日本好きの外国人が向こうからやって来てくれる。そして私の母語である日本語でコミュニケーションできる。

こんな最高の仕事があったなんて。

 

その反面、教育というよりサービス業に近く、消耗がはげしい。準備が大変。授業も不慣れで失敗が多い。そもそも教師という職業が好きではない。50代の半ばを過ぎて体力と気力がもつか不安。

3年もやれば飽きてくるし、そろそろ、やめ時かも。

 

「続けたい」「やめたい」という二つの気持ちがぐるぐる回って、決められません。

非常勤講師が大半で、流動性の高い職場です。同僚はどんどん入れ替わっていくし、上司も4人目。やめようとしたら簡単にやめられるはず。

その反面、人手不足で教師の確保はなかなか大変なようす。

 

続けるべきか、やめるべきか…結論が出せず、とりあえず現状維持。

 

つらいけれど、やっぱり楽しい。

高校かるた選手権大会のために来日したアメリカ人学生。彼が在籍するのはボストン在留の日本人子弟のための日本語補習校ですが、アメリカ人でも日本語が勉強したければ入学できるそうです。いきなり百人一首の好きな句の話になり40年以上も前の記憶を探りました。

最近は中国からの学生も増えてきました。着実に富裕層が増えているのでしょう。

「稲垣さん」を連発する中国の女子学生。稲垣さんって誰?という私に「吾郎さんですよ!」。

10代の彼女からしたらおじさんじゃないかとぽろりと本音が出ると、「先生、なんてこと言うんですか!」と怒りのあまり稲垣さんの魅力について長文を書き上げました。

 

そして、欧米からやってくる愛すべきオタク・スチューデントたち。ひらがなもおぼつかないレベルの学生もいますが、スイスやベルギー、オランダなど多言語国家の学生は、独学でかなりのレベルまで日本語をマスターしていることもよくあります。

 

世界各国からやってくる学生を相手にしていると退屈することがないし、老後の暇つぶしにはぴったり。限界になるまでやっぱり続けよう。しかし、毎回、へとへと。

 

鏡リュウジの『実践タロット・リーディング』に「干からびてしまったロバ」というブラックジョークが紹介されていました。

 

恋人のカードです。

 

f:id:bob0524:20180813093733j:plain

 

右のスミス・ウェイト版では恋人たちを天使が祝福しています。このカードが出たら、恋愛の成就とよむのが一般的です。

一方、左側のマルセイユ版では1人の男性に2人の女性。このままでは二股ですからどちらか1人を選ばなければなりません。

恋人ができるというのは、その他の異性を恋人として選ばないということ。愛とは選択であるというのがマルセイユ版のメッセージです。

 

そして「のどの渇いたロバ」の話。

のどが渇いたロバに水の入った2つの桶。桶には同じ量の水が入っており、ロバを中心に対象の方角、等距離に置かれています。そして、このロバは最短の距離で最大の水を得る行動をするようにプログラムされている特殊なロバです。

まったく同じ条件なので選択のしようがなく、ロバは一歩も動けず干からびてしまいました。

 

そんな非現実的なことはあり得ない?

でも、二人の男性から同時にプロポーズされて決められずに両方とも断ってしまうという女性はいるかも。

あるいは、一人の男性からプロポーズされたけれど「待てばもっといい結婚相手が現れるかも」と断ってしまい、ずるずると独身を生活を続けているという人はけっこういるでしょう。

 

決断を迷うのは、どっちを選んでも後悔するかもしれないという恐れがあるからです。

 

私は24歳でさっさと結婚し、30歳でとっとと会社をやめてフリーランスになりました。

若さの勢いもありましたが、「今、これをしなければ、後悔する」とはっきりわかっていたから。

日本語教師養成講座の受講も迷いませんでした。学校の説明会に行って、その場で申し込みました。資格を取るなら若ければ若いほどいいと思ったから。とりあえず資格を取っておいて本当に教えるかどうかはその時考えようと決断を先延ばしできたし。

 

そして、実際に教え始めて、日本語教師をやめるか、続けるか、こんなに悩むとは。

どちらを選んでも後悔するでしょう。だから、ロバのように動けません。とりあえず現状維持。毎週、憂鬱な日曜日の夜を迎え、月曜日になれば、何も考えず習慣として学校に向かいます。