親の家と自宅を往復するだけで精いっぱいで、親の家の片付けには手が回らないのが現状です。
自宅も荒れ放題ですが、私には死後の片付けをしてくれる子どもがいません。
夫のほうが長生きする可能性もありますが、あまり期待できません。
できるところから、物を少なくして、新たに買う時はよく吟味して。
基本的に「買い物断食」で生活しています。食品と消耗品(洗剤やトイレットペーパー)、仕事に必要なパソコン関連品、書籍、プレゼント以外は買わないことにしているのですが、時々、散財したくなります。
買い物断食の発想を得たのはフィンランド映画から。bob0524.hatenablog.com
買い物をしない一方で、家にある物を減らさなければ。
スウェーデンの「死のお片付け」を知り、なかなかいいと思いました。
自分が死んだ後を想像して、物を処分していきます。
「あの人、こんなものを持っていたんだ」と笑われそうな物は真っ先に処分。
「これは素敵、もらいたい」と思われるような物を残します。
私の場合、海賊版も含めて大量にコレクションしているボブ・ディランのCDは、一括して中古品屋に売れるだろうから、取っておいてもいいでしょう。ノーベル賞も受賞したから、笑われる趣味ではないはずです。
アキ・カウリスマキや小津安二郎監督のDVDもセーフ。ただしレニングラード・カウボーイズは…。リーゼントにサングラス、軍服という見た目から変な趣味だと思わるでしょうが、フィンランド好きが高じて日本語教師へと、私の人生を変えた存在ですから、死後に多少笑わることがあっても、取っておきます。
私の物欲は文房具に向かうことがよくあります。
書き心地のいいペンとノート、メモ、付箋、シール、スタンプなど。すべて我慢していたら続かないので、時々は文房具を買ってガス抜きしています。
かさばる物ではないし、処分も簡単だから、取っておいても迷惑はかからないか。
残された人にとって負担になりそうなのは服と靴。
私の母は自宅で介護を続けることができず施設に入所したのですが、大量の服と靴が残されています。服には流行がありますし、第一、小柄な母の服を私が着ることはありません。
実家にスペースがあるのでそのまま放置しているのですが、母は終活とか自分の死後を考えたことがなかったのだろうかと想像します。
「死の片付け」という語感は暗いのですが、物が減ってすっきりすれば、生きるのが快適になります。
「メメント・モリ(死を忘れるな)」。
死を常に念頭に置いて人生の後半を生きようと思います。