2週にわたって受講した天海玉紀先生のインナーチャイルドカード講座。
満足感が大きいのは、自分の物語を語ると同時に、人の物語も聞けたからです。
聞き手や読み手のいない物語は、宙に浮いたままでどこにも行きません。
私がインナーチャイルドカードを自分用に所有したいと思わないのは、一人でカードを引いて物語を作ってもおもしろくないからです。
日本語学校の作文クラスの指導は試行錯誤の連続です。
選択授業なので、ひらがながやっと書ける初心者から、創作をどんどん書く上級者まで、学生のレベルはさまざまです。
昨年の夏から着任した新ディレクターのアドバイスを受けて6週間のカリキュラムを作り、レベルは違っても全員が同じテーマで書くというスタイルにしました。
初心者向けには単語を変えるだけで作文が完成するフォーマットを作り、上級者には創作意欲をかきたてるようなトピックを探します。中には何も渡さなくても、自分だけで物語を展開していく才能あふれる学生もいます。質問は適宜自由に受け付けて、学生同士で教え合うことも奨励しています。
この教室運営で正しいのかどうか、わかりません。
学生からの質問が途切れてじっと立っている時など、まさにオズの魔法使いのかかしのようです。私の知恵(教え方のスキル)が至らないんじゃないかと不安になります。
そして、6週間の1サイクルが終わるたびに、次は選択する学生が少なくてクラスが消滅するかもしれないと思います。
書くだけだったら、自習できるだろうと思うのですが、どうやら学生は「日本人の読者」を求めているようです。文法の間違いを正すだけでなく、自分が書いたものに日本人がどう反応するかが知りたいのでしょう。
インナーチャイルドカードも、カードから出てくる物語を聞いてくれる人、読んでくれる人がいるからこそ、物語がどんどん展開してくのでしょう。
昨年、初めて受けたインナーチャイルドカードのセッションで「日本語教師になったら」の問いの2枚目に引いたカード。暗い洞窟を手元の灯りを頼りに進んでいくのはまさに外国語の学習。今も私は学生とともに暗い洞窟の中にいます。語彙は無限にあってわからない単語だらけ、苦労して文法のルールを覚えても例外だらけでがっくりきます。それでも、新しく習得したことばを使って通じた瞬間の喜びを糧に、洞窟の探検を続けます。